前の前

 

 

 

キャベツに焼き目がついたときに漂う香ばしい匂いがなんとも好き。理由をいくつか考えてみたけど不明。そんなものだ。

 

暑苦しくなってきた昨今、汗をかく自分に対して、これがまとも体の機能だろうなと思う。20分弱歩いて汗をかかないようであれば代謝が悪すぎる。そうして出勤中、緑の絨毯の田んぼを眺める。前に小さな女の子とお母さんが歩いていて、小さな子も田んぼを見ていた。仲間だ。少しひびが入っていて、この時期にこの土具合で大丈夫だったのだっけと心配になる。

 

仕事。夕方くらいににわか雷雨が激しくて、帰り大丈夫かはそっちのけで、これで田んぼが潤うなぁーって思っていた。帰りに直で見たくなっていつもの帰宅ルートを外れる。暗くてあまり見えなかったけど、ちゃんと水が張っていて良かったと思いながら帰った。ちなみに晴れていたから月もちゃんと見えて良き良き。

 

さておき。

 

やっとこさ、「ミクロ経済学の基礎知識」1周目終了。さっぱりわからんけど、空気は掴めた。人の経済的ものさしだけを抽出したとみれば机上の理論としては有用性がありそう。これに対して現実的でないという反論というか見解は、的を射てない。学問はそもそも現実的なものではないから。いや、自然科学はまぁまぁ現実的だとは思う。特に工学系。でも現実への流用度の違いでしかないような。研究は対象に向かう訳で、別に現実に応用することとセットではない。

 

自然科学と、社会科学ないし人文科学の違いは、視点というか視座だと思われる。前者はいわば神様みたいな客観で研究者がどういう人格かは関係ないけど、後者は対象としているものに研究者自身も含まれてしまうということ。メインではないから、あまり細かく書かないけど。

 

合理性って、理にかなっていることで、その理というのは何ぞやということを掘り下げる。結局は他人(自分)に説明できるかということに至るのではないかという仮説。

 

なんでこういうことを想起したかというと、法律学から。法律は動かすことができない不変の事象だって思っている人は多い。確かに自然と同じように自分では動かせないし。でも、法律は人間が創るものだから、そのルールに従うそれなりの理由というか説得力を持たさないといけない。法律を創った議会に説得力がなければ国民は選挙で議会を不信任にして権限を奪えるというのが今の国家機関のモデルなのだけど、まぁ国民がそこまで合理的で理性的な存在ではあるわけないから、選挙の時にも政治家は良いことしか言わないのだろうな。

 

まぁここは個人的には面白いけど、前置き。

 

要は、分かりやすい理由を設定することが自他的に効率的というか分かりやすいということ。

 

例えば、これこれの発言をした人はこういう人格を持っているに違いないという観念も、その発言を見た人がそういう理由なら人を分かりやすいとしているだけ。

 

就職活動の時に志望動機って必然的に言わされるけど、これも別に当人の本当の中身を知りたいのではなくて、採用する人に分かりやすく説明できますかというだけ。言葉と人格は慣れていないとそんなに分けられないから、まぁだいたい合ってはくる。他人の行動には理由があると思うのは、自分の行動の中に理由がないことが含まれていることを意識していないか、それが分かりやすいとしているか。

 

このだいたいの最小限が法律みたいなところがある。

 

自分への理由付けはだいたい後付けだと思っているのだけど、たぶん他人に因果の分かりやすさを見る時点で、自分の中で因果を把握できる部分しか意識できてない可能性がある。

 

法律を勉強しているって誰かに言うと、僕に遵法精神があるみたいに捉えられるのだけど、いやいや僕は徒歩の時はまぁまぁ信号無視しますけどって勝手に思う。その人の中だけで分かりやすい言語的説明でしかない。交通ルールはリスク配分。

 

自分はこういう言葉遣いをしないから、こういう言葉遣いをする人は悪だっていう認定したい人は自分の悪をないものにしたいのだろうなと思う。人は自分が見えるものしか見えないから。

 

でも、この理由が分かりやすいという概念は、僕みたいな人にとっては擬態のために分かりやすく説明できるようにしないとなとは思う。日記を付けないと不安でしょうがないのです、とか、自己開示することで自分を保っているのですとか。

 

ちゃんちゃらおかしい。

 

自分が自分であることに分かりやすい一般的な説明をする必要はないけど、他の人が安心できるような説明のために言葉を遣う必要はなくもない。

 

観念が現代の一般論と一致している人は意識することはないけど、この外に対する説明付けって、その人は安全だと予測できることに他ならない。自分と同じものさしで動いているなら、相手との未来も予測できる。

 

この辺りの齟齬が問われているような気がしないでもないけど、まぁよろしい。

 

要は、感情も行動も表情も、理由の前にあるものだってことなのだけど。どんな一般論経験則を尽くしても説明できないものが本質ちっく。

 

自分の中に自分で説明できないものがある人の方が好きだ。ただ、これはその人が自分を研究した後にある。

 

あんまり厳密には書いていない。

 

では、おしまい。

 

皆さん、自分の免疫力を強化できますように。

 

おやすみなさい。