まぐれ

 

 

 

なんだか、諸々考えている。免疫力とか理由とか。いつものこと。この思索癖は後付けではないのだ。どこから来たのか分からないけど、なるべく人には開示しないようにしている。

 

だから、ここはあるようでないような僕の世界の話。関係して開示されるような僕ではない。だったらなんだろう。

 

考えすぎだからもっと気楽に生きた方が良いと多々言われた史実。楽で楽しかったことはないから、何か違う世界の話だ。考えることはしんどいことではないのだけど。これが分かったのも最近のこと。

 

自分が楽になる為に考えていると思われていたのか。解決策があることは特に考える必要はないのに。比べて選択するだけ。この比べるというのが難しいのは分かるけど、これは思考の範疇ではなさそうな。自分の枠内に限り。

 

そうして友達が居なくなった。

同じの水準が同じ場を過ごしただけでは僕には無理だった。

 

さておき。

 

どうでも良い話。

 

職場で化粧水の新作らしき情報、買いたければ買っていいよみたいなものが流れていたのだけど、当然のようにスルーされた。女性のみに開示される。別に買わないし要らないのだけど、向かい側に座っている先輩女性すら、買う?(嘲笑)みたいな感じで、感じが悪かった。僕の顔は笑っていたけど、合わせた笑い顔。

 

毎晩化粧水と乳液と美容液顔に塗りたくっていますって言ったらたぶん認識が更新されるけど、僕は別に人の認識の更新をしてまで自己主張したくはない。その後マスクと化粧の話をちょろっと言っていて、確かに見える部分は綺麗にしている。男は女の化粧なんて分からないでしょうっていう価値観で過ごしていたけど、そこから離れると美的に観測できる感。ここの美は素材の美じゃなくて、主観的な美として自分がどう見られたいかという話。

 

見せるためのしんどい身だしなみとしての化粧。確かに肌には悪そうだから、難しいところ。

 

僕のケアも見せるためみたいなところはなくもないけど、男の肌なんて誰も見ていないことからすると、肌が荒れるとなんだかめんどくさいからというくらいでしかない。髭はマスクに隠れるけど水分補給の時に見えるところだから毎日剃っている。

 

日常のタスクって、結局なんのためにあるのかという話。個人的には擬態だろうと思うのだけど、その擬態をしないと生きていけないなら、それはしんどいものと設定しない方が良いような。

 

ちなみに、肌は外気に触れる免疫の一次防衛線だし。

 

造形じゃない「かお」ってどれだけストレスかかっているかが良く見えそうな気がする。肌ケアの諸々も、成分というよりしなくちゃいけないとする義務かしようとする意志かで随分変わりそうな。

 

自分に義務を設定するってストレスだろうし。ストレスも免疫力には寄与しているだろうけど。

 

 

やれやれ。

 

昨日の日記でぼやかしたところだけど、理由付けの一番の効用は、自分の未来を予測できることにある。人を決める人は、その前に自分を決めている。これがいいかどうか別にして、人が今後どうであるのかは天気予報より正確に把握できる訳で、それが関係を構築するということ。

 

ところで、言語は毎日万に届くくらいは読んでいるのだけど、色が違うというか意味が違うときは浮き出る。これは単なる主観的水準だから説明できない。伝えようとする意志なのか、伝わらなくても良いけど自分の言葉なのか。たぶん後者。

 

で、自分の言葉。

 

言葉は結局のところ翻訳こんにゃくでしかない。

 

どれだけ自分のことを正直に語ろうと思ったところで、自分が広辞苑的な意味でしか言葉を捉えていないのなら、そういう水準でしか伝わらない。

 

僕はかなり自分のことを開示しているけど、だからとて読んだ人がこの水準で関係することなんて求めてないし、僕を読み物として消費しているだけだろうなと思っている。

 

結局はそういうこと。

 

別にこの欺瞞を責めている訳ではなく、いちいち他人を自分と同じ水準で把握することなんてできないことは把握した方が楽になるだろうなっていうだけ。

 

僕は良いねされても、存在を肯定されているとは思っていない。何か一致したのかなと思うだけ。その良いねを言語化してくれればその言葉を見られるけど、そこまでの労力はかけたくなかろうよ。それで問題ない。

 

僕は、僕が言葉を遣うより他人が言葉を遣うのがしんどいだろうなとは想像できるくらいはまとも。

 

はいおしまい。

 

僕の文章は免疫力向上のためにあります(誇大表現)。

 

おやすみなさい。