文意

 

 

財布を忘れ取りにかえりつ汗とともに憎しみを流す。

 

身支度を整えるときに何かを忘れていることには気づいていた。しかし、肝心なことには気づかない。ほんとポンコツ。いや、気付いていてあえてなのかもしれん。何の為に。

 

夢は二度寝のときの方が鮮明だ。だいたいアラームの二時間前程に起きて水を飲む。そうして光がカーテンから漏れて寝にくいから、タオルをアイマスク代わりにして寝る。今日の夢は雪景色。寒くはなかったけど綺麗だった。恐ろしく深い谷間の向こう側に、かつて火山だったような形の山。三角柱のてっぺんが欠けて台形状になっている。台形部分の隙間からかつてマグマだった部分の緑が見えた。雪が積もっているのに変だ。いや、もしかしたら地熱なのかと夢の世界でも物理作用が働いているのかも。谷間のこちら側はなにか観光地風で、道は広くどこかのサークルの大きな看板があった。立ち止まるのが恥ずかしくて通り過ぎる。

 

谷間の下を覗くと、何か歯車のようなものがずっとしたで動いていて、あぁ高いところから見下ろすのは怖いと感じる。こういうシーンは手を変え品を変え良く出てくる。実際落ちることも多々。

 

そのあと、実家の母屋のようなシーン。何かいろいろ額縁に入って飾られている。1つ見をみると、何かの言葉の意味についての展示だった。僕がその言葉をどういう意味として吸収して使っているのかというもの。もう一回行きたい。自分の博物館というか、まさに頭の中を整理する機能が可視化されていた。

 

二度寝の時はもっと寝たいではなくあと1時間寝られるみたいな感覚で寝ているから、だいたい夢を見ながらあと何分くらいでアラームが鳴るだろうなと観測している。

 

そのあともシーンがあったのだけど、ふっ、と暗くなって、気付いたら、クッキーの缶の中身のような光沢の棺桶に詰められている。体も動かないし息もできない。あと数分立てばアラームが鳴りだすだろうなと理性では分かっているのだけど、この夢の中での数分間は無限に近いくらい長い。こういう夢は半覚醒時によく見るから対策法は知っている。無理やり現実的にむはーって息をすること。それで目が覚めたのだけど、アラームの6分前だった。この現実的6分をあの閉塞観満載の夢で見るのはなかなか大変だったろう。

 

閉所恐怖症の気があるのか、と思い返す。あんまり思い出させない幼少期に、倉に閉じ込められたのか、倉に閉じ込められる兄弟を見たのか、もしかしたら姉に何処かに閉じ込められたのかもしれないという物理現象と、心理的閉塞感の歴史と。たぶん実際にどこかに閉じこもることにはあんまり恐怖感はないはず。押し入れとかでよく遊んでいた。例えばエレベーターに閉じ込められたとしても、おそらく冷静に脱出手段を探す気がする。これが理性なのか本性なのかは知らない。

 

そうして、好きな人のブログを読み返して出勤したのだけど、僕なりの世界に対するうっすらした憎しみのこと想う。憎しみを説明する言葉は自分の中であまり考えたことがないから語彙が拙いのだけど、自分は欠けているのに世界は欠けてないことのギャップが対象で、それは努力ではなんともならないことに対する感情で良いのかな。怒りとも少し違うだろうし、やるせなさとか悔しさはやや近いけど、なんとも言えない。

 

例えば自分が居る世界より自分が居ない世界の方が綺麗に見えるのが不公平だとする感情には憎しみを当てることができそう。

 

だから匿名性とかアバターみたいなものに需要があるのだろうな。どうでも良いけど、これ書いたっけ。僕は人と別れ際の人の世界に他に何も目に入ってない不注意性について考えた。これって、世界にはその人にしか居なくて、その他の世界は完全にモブなのだろうなと。当人含め。

 

あとこの流れで少しだけ。

好きな人のつぶやきが更新されていて、あぁこれは僕のことのだろうなと。もちろん悪い意味のこと。確かに、僕の恋文はどんどん気持ち悪くなっている。あえて気持ち悪くしようとしている節もあるくらい。

 

でも、そうだとしたら今更かという気もする。僕がこの人に対する感情はもともとぶっ壊れれていたし、文章だってそう。形式を整えるという意味が文章は理性だという意味であれば確かになと思うけど、文章は本性ではなかろうかと解釈している。

 

そもそもあの場が理性ではありえない場だった。理性で書けることなんてない。好きを理性的に言語化するってどうやるんだ。でも当人に実況中継的文章を書くことでもないのはもともと知っていた。

 

まぁ、僕のことを言ってないとしても分からないから、もう恋文も送らないし、読み物で読む者であるだけで良い。新作も通販になってくれると良いけど。いや、この読み物であることも除いて良いだろうな。ただの読むファン。ただ、恐怖の対象になってしまったとしたらとても申し訳ないところ。もしかしたらはじめからかもと思うとなかなか痛い。もともと余剰だったからとても嬉しかっただけ。僕の言葉の扱いがおかしいだけである。言葉は本性を秩序付けて当てはめるものではなくて、本性を説明するもの。

 

いやはや、否定してくれて良かったな。

 

さておき。

 

日曜日の試験は、僕が思っていたキャンパスではなくどうやって向かうのだろうとやや動揺。まぁ起きる時間だけ合わせようかと思い、明日から6時起きにした。間に合うかどうか微妙なところだけど。まぁこのタイミングだと思っていたキャンパスじゃない方が良かった。

 

どこまでお風呂読書時間が続けられるか。ビブリア古書堂の事件手帖も読み終わった。

 

うっすらとした憎しみという語彙には、他人のことを自分の文脈の中でしか気にしなくて済むこともあるし、本とか自然の美に対するものもある。うっすらとした憎しみを癒すために本を読むのか、本を読むことでうっすらとした憎しみが募るのかはどちらが正解か分からない。

 

結局美も収集しないで済むし、他人のことを適度に貶めながらしんどいしんどい言いながらなんとなく幸せに生きられる人が最強だろうなと思ってしまう。もはや無理だから、常に美しい、美味しい対象を収集するしかないという。

 

この日記みたいなものも息抜きくらいな意味でしかない。実況中継してエンターテインメントになるような人生でもないし。

 

なんだかんだすっきりしている不思議。

 

こんなもんか。

 

では、皆さん夏バテしませんように。

 

おやすみなさい。