虚構

 

 

 

早番の帰り道、ぼーっと歩いていたら向かいからまじまじとした他人以上の視線を感じる。なんだと思ったら、平日だいたい寄っているスーパーの1番素早くてちょうど良い店員さんだった。出勤中なのかプライベートなのかは知らないけど今どきの綺麗な感じの私服。グレーのニット地の上半身くらいしか見えていない。なにぶん不意打ちでお互い速度を緩めずすれ違っただけだから。

 

まぁ向こうが気付いたのは分かる。少し注意深い人だったら同じ時間帯にやって来る客は自分の効率の為に覚えているだろうし、僕は仕事帰りそのままの服装だし。あえて余剰があるとすれば、時間も手間もかけなくていい良客であることが良い方の解釈。僕がクレカで払うことも袋を毎回持参していてないことも把握されているように見える。阿吽で終わってとてもスムーズ。悪い解釈はいっつも酒を買っているおっさん。どちらが正解かは知らないけど、表情を見たところ無色よりしかめっ面のような感じだったから後者寄りだと思われる。知らんけど。レジでもそんなに笑ってはいないから、この人にとってはフラットな表情なのかもしれない。

 

僕が何故気付いたかというと、何かに気付いた風なことが視線から見えたから。マスクもしていなかったし私服だしで普通に何事もなく過ぎられたらたぶん分からなかった。最終的に僕のことを気付いたことが僕に気付かれたことを気付かれたと思う。おそらく僕は、お、という表情をしていた。あれ、僕もマスクしてなかったのだっけ。

 

この人がレジだとラッキーだと内心思って居るけど、表情にも態度にも出していないのだけどな。まぁすべてはたまたま。私服を数秒見られたのは良かったのかしれない、というほど特には興味を持っていない。若さ特有の鋭さな気がするので。

 

ちなみにこんなに書いておいて本当にその店員さんかどうかは闇の中。これが創作への第一歩か。

 

そのまま帰っていると50メートルくらい前を歩いている人が東にスマホを向けて撮っていた。なんだろうと遠目に見たら烏の帰宅時間で森が賑わっていたからそれを記録しているのかと思った。確かに見慣れないと不吉な感じがしますよねと。

 

ところが、実際にその位置から東を見ると、遠方に見えるビルのちょっと上に光る物体がある。星でもないし立ち止まって見たら微妙に動いているように見えるし、UFOかなと思う素朴な自分。現代的な自分はそれをかき消してきっとドローンだろうなと結論付ける。でもドローンってあんなにピカピカしているのかね。

 

何を書いていてもフィクションみたいだけど、僕の中では実際在ったこと。

 

さておき。

 

早めに目が覚めたらスマホがおかしくなっていて、それをどうにかしようとする寝ぼけた自分がさらにやらかし、再起不能になった。起き抜けからどうしようもない不安感。

 

スマホに対する依存度なのかなと思いながら、嫌だなあと1日を過ごしてみてそうでもないかなと認識を改めて。社会的繋がりの最後のよすがみたいなものだけど、これがなくなった方が拘束感はない。ただ、通話機能が全くないのは不便というか面倒なことが起こりそうというだけ。時計とアラームは別の道具に移して、漫画が読めないのもちょっとした調べ事ができないのもちょっとした不便でしかない。

 

となると一体何が不安だったのだろう。これはもっと悪いことが起こる予兆なのではないかということ。

 

昨日は日記も恋文も主観的客観的にとても気持ち悪かったから、あぁこれはついにキモイが来るかなとか。生理的嫌悪感はモテない評価よりどうしようもない攻撃力がある。スマホが潰れるより痛いこと。

 

生理的嫌悪感と言えば「罪の名前」って、1章から順に法的に悪くて、最後の虫を食べる男の子は何の法にも触れていないけど、描写で生理的嫌悪感をもよおすことが上手いよなぁと思っていたのだけど、普通は人を殺すことが一番倫理的に悪いのだろうし、なんか僕の読み方がズレている気もした。僕は法がカバーしている領域であえて道徳観を持ち出す意味がないと思っているから。道徳観の悪いことをしないようにするはそれをしたら刑法上の犯罪になりますよで十分なような。何故悪いのかは問題としていないだろうし、何故まで考えているような道徳信者もいないような気がする。

 

好悪と善悪は一緒にしちゃならんけど、どちらも反対は悪なのか。恐ろしや。勧善懲悪なら僕は淘汰される側に在りそうだし。

 

今日は不安感で何も考えてないわーと表層では思っていたけど、そんなことはなかったみたい。

 

ともあれ、今、「真夜中の波」文体への食欲で残りの1冊も読み返している。僕だけへの効用かもしれないけど、この人の文体って何故か個人的な思い出が割り込んで来るところ。この人自体が思い出を大事にしているからという向きもあるけど、いや皆大事にしているだろうという気もするし。

 

今日読んでいたら、ふと付けまつ毛にまつわる思い出が出てきた。女の子の枕元に置いてある匿名的付けまつ毛。あれってぺりっと剥がれる。僕は素顔フェチだから別にその装いが外れたことに対して不細工だとは思わないけど、剥がしている姿とか付けている姿を見るとなんだかすげーなとは思っていたなぁとか。あとカラコンもそう。絶対的に自分で認められるようになりたい衝動はなんとなく見ていたことがある。ここでは関係は関係ないんだよなって、僕に一番近かった人に対する哀愁。

 

これに伴い、僕の性生活の時系列が芋ずる式に掘り上がったのだけど、これは余計だし描写が大変。僕は縛ったりなんだりに興奮しないある程度まともな性癖だと自覚しているけど、ふと、自分がまともな性癖だってどこで認知しているのだという感もある。挿入しなくてもいちゃいちゃできれば良いって、それが全てだとしている相手にとっては最悪の性癖になりうるし。結局小出しに開示するやつ。

 

余計なことを挟んだけども、もともと、こういった哀愁的な性質に対して惹かれたのかなと思っていた。あの人と似ているところがあるみたいな。ただそれだと、持続にはならない。同じようなことを考える人も居るよなで終わる。

 

問題は描写パートより思考パートだったのだろうな。

 

と、なんだかんだ恋文になっているのだけど、このまま書いて良いものか、良くない気がする。

 

最新の文体も美味しかったのだけど、ある単語に過剰に負の感情が目まぐるしい。いや、その感情が芽生える立場ではないだろうと観測するけど、感情はどこまでも理不尽。距離感をちゃんと適切にしろよと思うけど、距離感を相手に規定されたこともないから、どうすりゃ良いねんって。

 

 

そういえばと冷静になって。

 

そもそも、文体ってなんぞや。文章でも言葉でもない。

 

広辞苑的な意味は知らないけど、おそらく、その人なりの文章の構造であって書いた人の名前が隠されていてもその人が書いたのだと認識できるもの。言葉の世界において隠しようがない存在であって、匿名にしようが関係ない。

 

たぶん波さんの文体ならどこに書かれてもそうと認識できる。

 

という意味で、僕の文体はどれだけ食べられているのだろうというのはまぁまぁ気になる。なんとなく官能的関係だし。

 

 

では、皆さんが何かとちゃんと繋がっていますように。

 

おやすみなさい。