境界線

 

 

 

またまた抽象的な女の子の夢。添い寝をしている。くっつこうとしたら払われてあぁ違ったわと思い離れようとすると後ろから抱きすくめられて、その何かになんだかふるふる泣いてしまい、なぜか女の子も、もらい泣きして2人して泣く。なんなんじゃろ。

 

 

世界が良くなっているのではなく、良きものばかりに注意が払われるようになったというだけかもしれない。一般的には世界はどんどんしんどくなっているみたいだけど。

 

梅干し貴族に加えて、らっきょう王族になった。

 

昨日駄目元で、再配達依頼に、「できれば20時以降でお願いします、難しければまた依頼するので大丈夫です」と添えた。なんとか急いでぴったりの時間に帰宅したら不在通知があってやっぱり無理だったかと。でも、不在通知表に手書きで、「すみません、最終便でした、またご連絡ください」と書かれていて、あぁ、ちゃんと読んでくれている、調整してくれようとしたのだのなと、誠実さにほっこり。

 

そうして肌着とハーパンで帰宅後の諸々をしようとしていたら、ピンポーンと鳴る。出たら、配達員が時間を失念していてと別の人? が届けてくれた。たぶん違うと僕は読んだ。たぶん自分の配送ルートでは無理だったけどたまたま合う人が居てその人にお願いしてくれたとかそんなの。単に忘れていたのだとしたら手書きの言葉はなかろう。あくまで好意的解釈だけど、結果が同じなら楽しい方を選ぶ。

 

こういう匿名的な仕事の中の人が見えるのはとても良い。どんな仕事でも中に自分と同じ個人が居るのは当たり前よね。

 

 

そうして、おばあちゃんにお礼の電話をした。もはや元気そうに発話することなぞ手慣れたものだから、いやいや、普通にありがとうと思っている、元気元気で話す。

 

声聞けて嬉しいと言ってくれるのはまぁ良きとして、何かが弾んでしまったのか、今度帰ってくるときは嫁を貰って来いとかなんとか。曰く、器量が良い人を高望みせずに穏やかな人を選ぶべきとのこと。

 

確かに、所帯を持つことで安心感を与えられることは分かるし、それで子供も連れて帰れば最大の孝行なのも分かるけど、そもそもパートナーは貰うものではないのだよなぁ。婚姻が何か自分と他人を繋げる括りだというのもそろそろメッキが剥がれているような。単なる契約の流用に過ぎない。

 

なんだかこれを法律世界のカタログ的に引き直すとなかなかグロテスクな感じがある。自由恋愛でもその延長の婚姻関係でも、相手を条件で天秤にかけて一番良い物件を選ぶ、みたいな。健全ではある。恋愛感情ってそういう無限の可能性を限定するためのものって脳科学の本で読んだ気がする。

 

確かに、恋人とか配偶者は役割というか立ち位置の名称であって、交換可能性があるもの。一生ものかは分からない。

 

 

まぁ良いや。

 

祖母の発言の分析。器量から。個人的にはいまや何を持って器量が良いのかがよく分からないところはある。性別関係なく人からどう見えるかを気にしているような人は良いなって思うけど、たまたま若いとかたまたま時代にあった造形な人には特に惹かれなくなった。僕が可愛いと思う造形であれば良いだけど、この可愛さは造形の前にある。

 

小括。器量とか知らん。なんの器の量やねん。

 

もっと致命的なのが、穏やかさの観念。僕は見ての通り他人の評価として穏やかさを使わないから、穏やな人ってなんぞやとはてなが満載になる。

 

でも少し考えるとちょっと分かる。穏やかさって客観的なものだから、例えば僕が嫁を連れ帰ったとして、その嫁が穏やかに見られたら良いという意味なのだろうなと。要は、空気に合わせて談笑できるくらいのスキルがある人。これなら分かる。別に僕にとって穏やかで在る人を要求していない。

 

ちなみに、僕の時系列の恋人さんで穏やかだった人居ないなと一瞬不安になったけど、個人的な関係においてまで穏やかである必要はないし、僕はそこを見ていたから問題はない。ただフラれまくる不思議。

 

僕が言う穏やかは、誰かにとってとかではなく現実と中身のあくまで自分の話だから、語彙がズレすぎているのに同じ単語出てきたわーってなっただけ。

 

ただ、現実的な穏やかさはこいつなら何を投げても良いなって思われがちではある。世界線が随分変わったからそういうことにはならないのだけど。

 

仕事通話だとこの人めっちゃ甘えてきているなというのはある。全く知らない人と1時間通話するってこの仕事じゃなかったらないだろうな。それだけ話しても個人として認識されない世界もまぁまぁ楽しい。

 

つまるところ、僕は別に自分を固有として捉えられることに重きがない。僕は勝手に固有と捉えているけど、そこが繋がるなんてことはなかろうと。

 

だからあえて問うているのだけど、誰も答えてくれんのよね。

 

僕の日記を読み続けることができるような人は、きっと世界についてちゃんと主観があるはず。その主観的な世界において何を持って存在になっているのか。もちろんこれって僕世界とは無関係なのだけど、不具合があったとしたらちょっと困るだけ。

 

文字情報なんて単なる読み物ですで良いんじゃないか。

 

会おうとは思わないけど、会ってみたいとは思わなくない。

 

規定された世界で関係することって楽しいのか。

 

僕は穏やかっぽい人が個人的な関係において激しいのはとても良いなと思っていて、好きな人、他人をちゃんと他人として見ている。

 

自分にとっての効果で人を見ない人って希少じゃない?

まぁ交わる世界線が全く想定できないから好きなこと言っている感はある。

 

返ってこないこと受容の証左って、きっとこの人以外にない。

くらいには好きなのだけど、別に肉体が交わることも求めていない。

 

皮膚が未来を予知できるという本を立ち読みして、そんな感じはする。

皮膚感覚はすなわち現実との境界。

 

 

おやすみなさい。