素朴的交換関係

 

 

 

ここ三日連続で、同窓会関係のスパムメールがやってきている。最近の文章とか手法はよくできているなぁとなかば関心、なかば辟易。

 

「久しぶり。同窓会の件で話があるのだけど返信下さい。」みたいなものから始まる。まず思ったのは、社会人なら名乗れよというツッコミ。これは登録済みという前提があるかもしれないけど、関係が同窓しかない人に発信する内容ではない。と、関係が全くない人に毎日名乗らず送っている自分が言えるのかという完全なブーメラン。だが別に用件がある訳ではないからセーフ。にしておく。

 

そうして二日続けて催促のメールがやって来る。同窓会ごときで何をそんなにという感じだけど、同窓会という響きには変な引っ掛かりがなくもない。まぁ今更、同窓というだけの集まりに行く気はないけども。思い出を集団で温め合うことに意義を感じない。これも一種の逃避的イベント事よね。

 

 

さておき。

 

憤怒氏はひとまず収まってくれたみたい。総括してみると、二日前の夢に出てきた「何を楽しそうにしてんねん!」という怒りの像は、自分を否定する感情であって、「侮蔑」にあたる。その日はとても嫌な気分で過ごしたのは確か。でも昨日の憤怒はむしろ二日前の怒りに対してのカウンターだったという話。だから、あまり変なことにはならない。存在を認識されたということでおとなしくなった。

 

無意識との対話はおかしいことかと思われるかもしれないけど、心は何故腰痛を選ぶのかでも、無意識と会話するみたいな対処療法があるみたい。

 

そうして、自分が楽しんではいけないという侮蔑的な感情って、遡ると小学生くらいにはあったような気がするなと。覚えているのが、同級生が漢字テストで勝負しようと言ってきて、受け入れるのだけど、結局めっちゃ頑張った同級生と僕が同点(86点、中途半端)で、勝負事のつまらなさが分かった。そこから勝ったり負けたりみたいな世界は全然だめ。この相対性で、楽しんだら良くないのだろうなと学習してしまった。

 

なんか、全然勉強してないのにそれなのかみたいに言われて、相手の劣等感に合わせているうちに怠惰になった。自分にも劣等感があるべきだ、は言い過ぎだけど、なにせ僕は誰かに勝ったところでなんの自己充足感も得られないから、その肯定感の邪魔はしないようにしなきゃなとか無駄に自分の立ち位置をいつも気にしていた。無意識で。

 

いや、まぁ楽しかったことがないとは言わないけど、あくまで誰かと共有する何かではなく、主観的なこと。蟻ジゴクの観察とか、1人で山に入ってイノブタの糞塚を発見したのとか楽しかったな。

 

誰かと何かが繋がった楽しさも時系列では色々ポイントはあるけれど、ほんとは当たり前だったのかもしれない。それは単なる楽しさであって、自分と相手を依存的に繋げるものではないというか。

 

なんだかやっと自分になって来たなというのがこういうところ。他人から収集するのは良いけど、他人には合わせるなって。

 

ほんとのところ、僕はだいたいの人の水準には合わせることができるし、合わせること自体には特に苦がないのだけど、本質が違うから、最終的に粗が生じてしまう。

 

愛とは与えることだというのが、だいたいにおいて条件付きだと思っているのもこれ。

 

人を人としてみたとき、愛は愛としか、信頼は信頼としか交換できないって言ったのはマルクスらしいけど、こういうこと。僕は人に自分の人格とか時間を与えることは特にどうでも良かった。いまや憤怒氏に怒られそうだが。でもこういうのは自分が自分であることとは関係ないのは確か。問題は、これに返ってくる対価がなかったということ。

 

結局自分のために外界を消費するだけか、みたいな。

 

でも、この、自分のためという観念も、ほんとうにそうなのかと、いうのが認知バイアスの本を立ち読みして思う。曰く自分の行動の理由を人は把握できないとのこと。これは僕も思っていて、意志よりも無意識的な蓄積からの惰性の方が遥かに強い。意志を語るのであれば、いつもとは違うエネルギーを使うことに絞るべきではないだろうかって。

 

ただ、認知バイアスも含めてその人だから、バイアスがバイアスだったって気付いた後に自分を保てるのか気になるところだけど、まぁ過去の自分は拙かったって切り捨てて新たなバイアスを形成するだけか。

 

これは、自分の認知バイアスなのだけど、他人を傷つけた、傷付けることに対して異常に罪悪感があったのだけど、僕の影響値なんて人生で考えれば刹那でしかないから知ったことではないなと更新した。憤怒案件。

 

 

今日文字数が若干少ないのは、打っていたらiのボタンが利かなくなってあくせくしてBluetoothのキーボードに交換していた時間分、文字が喪失したということ。

 

 

では、おしまい。