部分と全体

 

 

 

 

検温の結果を朝礼時に書かないといけないことになり、昼休みにドン・キホーテで買ってきた。これで文明人に一歩近づいた。うちに体温計がなかったのは、自分の体温が平熱より高いかどうかは感覚で分かるという理由。熱が高いと頭がほんと回らない。食欲はむしろ増す。

 

ただ、客観値を胡麻化すのも忍びないなと。早速計ったら36.3だった。もうちょっと平熱高かった気がするけど、まぁこんなもんか。

 

さておき。

 

本日の夢もなかなかだった。

 

最初の方は、父親とドライブしていた。中学生頃のシーンでおそらく迎えにきてくれた帰り道。おもむろに父親がイタリアンを食べに行こうと言い出す。僕はその旨を母親には言っているのかと聞くのだけど、言ってないから〇がお母さんに言ってくれと投げられる。僕が報告したのかは定かではない。

 

そうこう車は走っていくのだけど、父親にイタリアンの店ってどこにあるのか知っているのかと聞くと、道なりに行けばあるのだとのこと。いつの間にか知っている道ではなくなってきて、さらに車からも降りている。風景としては、枯れ木と岩と茶色の植物みたいな冬の高山みたいな感じ。そこから霧ががった河原みたいな風景となり父親とはどんどん距離がはなれていく。

 

で、僕の意識としても、覚醒しつつあるから、あれ、これ夢だよな。いつの間にか僕死んだのかのかと思ってくる。もう父親は見えない。そのうち、〇―〇―って母親の声が聞こえてくる。で、母親らしき顔が空というか霧に映り、〇は許されているということを言っている。なんだ、意識不明で手術中なのかと見ていたら、唐突に、発見された財布の中には〇〇〇〇(ピー音でもない空白)が見つかったと発言し、そのあと、狂気というか悪魔的に笑い出す。

 

怖さで目が覚めたのが5時過ぎ。怒っているとかでもなくお化け的でもなくただ恐ろしかった。覚醒間際の頭で○○○○ってなんだったのだろうと考える。最初思い付いたのは、違法な何か。次に思い付いたのは、遺書。どちらもそういう予定はない。前者はお酒で十分だし、後者はそこまでのエネルギーはない。ただ、その前の「許されている」という言葉と繋げるとそういう方向に解釈が向かうなと。その後の狂気の笑いは分からないが。母親の実際の言葉でもない。実際だったら方言的に「許されとるけん」とかになるし。どういうメッセージかを無理やり解釈すると、自分が許されているとかちゃんちゃら可笑しいという自分への嘲笑なのかな。知らん。

 

そのまま寝るとまた出てきそうなくらいなリアリティがあったから、「おやすみなさい」をいくつか読んで心を落ち着かせる。ほんと不思議に落ち着く。初期の頃は地鶏が多いのだけど、やっぱりよく分からんけどかわえぇなと思うし、手が映っていたら綺麗だと思うし、言葉のキレもとても良い。よく分からないというのは、客観的に万人がとか僕の素朴な好みとかに無関係なところ。いや、人格が好きだったらなんでも可愛いだろうというのも分かるけど、情報量としてそこまでたどり着いてもいない気がする。(おそらく現実的人格としては、、自主規制)

 

諸々が無関係で好きだとして、では何が関係あるのだ。

 

そうして、言葉のキレ。墓穴掘りは、■■とかおそらく考査にかかるものだから特定されないように固有名詞を削っているのだろうけど、なんとなく読める気がした。最初はキラキラした女の子かなとか、ラブレター○○の小説の下敷きになっている作品のことだろうなとか。あと、シ〇デ〇ラ〇コ〇ョは参考画像に引き付けられていたけど、実際は鳥であり、認識の齟齬に気付く。

 

そうして、僕が排除されない一番の理由もなんとなく把握。とんでもない質を取っているけど因果的には逆だからどうしようもない。作品←作者という因果ではない。

 

 

やれやれ。

 

現実に戻ってきて。体温計が思いの外易かったから余った資金でやっぱりフロムさんの「生きるということ」を買った。「愛するということ」と並べて読んでいると自分が人生に迷っているように見えなくもないけど、素朴な僕は全く迷っていない。断言して良いのかは微妙だけど、迷子は自覚的だもんな。

 

「生きるということ」は。「愛するということ」よりやや難しい。経済学とか哲学がより濃くて。所有が幸せだという観念が最近のものだとは僕も思っていたけど、何かを持たないと始まらないということも分かる。僕もパソコンを持っているからここで書くことができる訳で。ただ、問題は、これを目的にしたらいつまでたっても満たされることはなかろうなということ。それこそが経済システムを回すものだという論も良いけど、この観念が人格にも影響を及ぼす。年功序列とか、知識を持っているから自分が優位だという感覚もこの系譜よね、たぶん。立場で優位であることは相手を保護するということにもなりうるから一概には悪いことではないけど、それがほんとにできるなら、規範は要らん。

 

好きな人を好きな理由をまた1つ思い付く。美学とか演劇学で遥かに僕より知っているはずなのに(省略)。いきの構造ってどこかで見たけどまだ読んでないです。

 

徒然草(一)は終わってしまった。ブックオフに続きあるかな。解説がやたらと細かくて好き。租税法も一周目終わり。生活は毎日続けていても死ぬまで終わらないけどタスクは続けていればいつかは終わる。

 

新刊枠も最終章の「真夜中のストーリー」の中盤。アバターに自分ができないことを移入する感覚って全然分からんな。34歳の屈強な男性が華奢な女キャラで、ジェントルマンな男性キャラが学生の女の子だったという話。アバターに幻想を化体するのってSNSでよくあるやつ。どう見えるかによって見解の通り方が違うのはまぁ分かるけど、結局中身は1つでしょうよと観える。

 

僕は自分の匿名的名前を決める時、その時好きだった小説の主人公の名前とか好きな漢字で決めているだけだから、匿名的名前に自分を化体している訳ではない。匿名的世界だから誰かが現実的なその人と別人になれるなんてことはなかろうよ。どれだけ現実から逃げたとしても現実と同じようなことになるはず。

 

そろそろ時間があれなので、最後。

 

色覚の本は話が重くてあまり進まない。知覚の本は、絵画で全体を見ることを学習しようということだから、自分の世界は変えずに物事を観られるようにするというコンセプトだったと認識の撤回。

 

全ての知覚は知識から始まるって偉人のフレーズ引用した割にこじんまりしている。

 

知覚を手っ取り早く変えるなら、よほど都会でない限り、野草図鑑を読んでその辺に生えている草がちゃんと名前があるものであると知るだけで一新する。都会でも何か建築の構造の本読むだけで建物の見え方が変わるだろうし。なんで絵画でないといけないかというのは推してしかるべく。自分を変えずに世界を変える為。知識がなければどれだけ移動したって世界は一元化される。

 

最後の最後。

 

好きな人は、やはりやたらと近い。言語化するとファンタスティック解釈になるからしないけど、ほんと分かりにくいメッセージ性やめて(天邪鬼)と思う。

 

 

ではおやすみなさい。