固着

 

 

 

頭のどこかでかちりと音がした。

 

 

本日は雨。京都に行った日から気温がやたらと高い。お昼時には上がる可能性もあるなと思い、ビニールシート代わりのビニール袋を持って行ったら、ちょうど晴れていた。濡れ気味のベンチにビニール袋を敷いて食べる。見渡すとちゃんとしたビニールシートを持参している人も居て、僕以上に用意周到だ。

 

公園を歩いていると、雨で落ちた枯れ葉がもりもりになっていてこれはこれで綺麗だなと観る。結局なんでも良いのかい、とセルフツッコミだけど、そういうことなんだろうな。自分にとって気に食わないという観念がほとんどないから、とにかく美点が目に入る。

 

何が変わったのだろう。

 

さておき。

 

このご時世出かけたって行ったらアレそうだけど、対面の先輩にはこっそり言っても良いかなとそわそわしつつ、現実化した。予想通り嬉しそうにしてくれて嬉しかった。ちゃんと話を聞いてくれる感。

 

後輩の年上さんともちろっと仕事の話をしたけれど、全然濃度が違う。仕事の話なのに無駄情報が多すぎて耳に障る。合わせるしかできない。

 

ここで分かるのは、僕はもともと人に話したいことがないし、別に書きたいこともない。ただ、聞いてくれそうな人に対してはお話があるよというだけ。自分のことを知られることが自己肯定感に繋がるのであれば、アクセス数が少なすぎて退場することになる。

 

つぶやき場でも、一瞬活動したことがあり、ふぁぼとかが気になり過ぎてやめた。箱があれば箱なりに語っていたのだけど、やり取りが高校のクラスみたいで駄目だった。なんか書いていても良いと観られるように下心在りきの匿名性なんでしょう、みたいな自己観。140文字で綺麗な文体は日記を切り取ればできなくもなさそう、でも駄目だった。

 

自己考察。昨日の日記は我ながらあまりとっ散らかってなかった。様式の類型が他人を振り分けるためではなく、自分を掘り下げるためのものだから。

 

まず、他人の行動様式とか思考様式とか全般的に把握できることなんてない。共同生活しても同じ。この文脈でいうなら、相手の自分に固有な様式しか見えない。どれもペルソナだから、すっぴんで人に対することなんてほとんどできない。

 

僕は、この様式達を一致させるところをここに置いているから、ここを読んでから会えば割と素のままである。好きな人への接し方はミスっている。

 

他人の観測で言えば、僕が見える他人は他人の行動様式の一部でしかない。一部でも繋がったらOKという感じでもないんだよな。人の思考様式なんて基本的には興味がない。好きな人が考えていることを知りたいという衝動は分からなくもないけど、この衝動の中身は本当に考えていることではなく、自分がどれほど価値を置かれているかだけでは。

 

そうして、ほんとに、頭の中での存在で嬉しいと思うのか。僕の頭の中ではだいたい等しい。ちょっと深く関わった人は現実的接触がなくても忘れないから、それでいいんでしょって思った。

 

で、僕の欠陥も浮き彫りになる。僕は忘れないだけで、現実的には人をいくらでも通り過ぎられる。別に僕に通り過ぎられたところで代替物は見つけているだろうなという意味もあるけど。

 

相手が僕を固有だと把握されている限りは通り過ぎないで置こうかという感じが全てなのだろうな。交換がまかり通らないところのその人を見たいけど、無かったら無くてもしょうがない。そういう現実的なあわあわなんて見ていないのだけどな。ないならないで良いじゃん。

 

ところで、新刊枠。

 

女と男の世界が分かれていて、女の方が体が大きくて、なんなら女は蛇とかに変異して男を物理的にむしゃむしゃ食べてしまうという話。

 

歪なようで、割と見たままな感じがする。セックスって女が男を食べる行為だと常々思っているし。食べたとか抱いたというか男連中が盛り上がる話題にはどうもついていけなかった。自分の一部を挿入することが、英知と見るかどうかなのだろうけど。

 

僕としては挿入射精なしのセックスでも良いじゃんって思う。でも射精させないとセックスではない価値感が蔓延っていて、どうも最初からやりにくかった。

 

だって、相手のことを気持ちよくさせるのであれば、別に道具はそこでなくても良い。融通利かないのだがら指とか舌の方が良いのでは。

 

ちょっと我に返って、なんだ生々しすぎないか。

 

でもこの生生しさがパートナー関係には付きまとう。快感なのは確かだけど、固有じゃないから一定の標準を越えれば誰とでもできる。性別は関係ないだろう。僕が求めているのはここではなかろうな。いちゃいちゃした後の親密さは固有ではないし。

 

いったなんの話なのだ。

 

今の僕は誰とでもはできない。お金払ってまぐわうって苦行に近い。ではだれとできるかなんて迷惑な話なので書かない。

 

要は、僕にとってどうかではなく、僕を観ている人が僕を固有と見ているかどうかに尽きる。だからまぐわいたいとかではなく、自分の世界の外にある人物を観る興味というか暇なところ。

 

僕がここまで言語化しているのは、貴方が読んでいるから書いても良いかなというだけ。これ、現在2人なのだけど、どちらの人も全然僕に媚びてくれない。いや時々甘えてくれるのだけど、変な感じ。

 

まぁ、全部どうでも良いという気もする。

 

僕の自己肯定感ってもともと無だから、誰かからの評価はどうでも良い。どうでも良くないのは、それを言った貴方は何処まで自分を貫徹できるのですかというだけ。

 

ほんとやめとけよって思っている。

 

僕は、現実的、仮想空間的に関係がなくなっても忘れないから、それだけで満足しておきなさいなって。固有で見てくる人にはほんとに固有で見るけど、それでいいのかどうか。

 

では。おやすなさい。