物語信仰

 

 

痕跡が残っていると、おっとなるけど、なければないで何処かで元気なんだろうな、良かったとなる。こんな関係あるはずがないと、でもそう感じるのだから仕方がないと。天秤がゆらゆら。

 

本日の1風景。最寄のスーパーは買い物用のかごが黒、清算用が赤になっている。万引き防止とか人の流れの効率性という合理的なシステム。帰りに寄って入ろうとしたら清算用の赤かごをもって出てきた女性が居た。おそらく置き場所が分からなかったのだろうな、店内に戻って置き直すだろうなと横目に眺めていたら、買い物用の黒かごが積んである横の何もないスペースにしれっと置いて帰っていった。そのまま店内に入ったのだけど、邪魔だろうなと気になり引き返した。見てしまったものはしょうがなくて、僕は僕のもやもやを解消するためだけに意志的に動く。

 

帰り際に気付いたのだけど、いつも置いてある出口に1番近いところにある赤かご置き場がなかったから、この女性は出口に近いところで清算した商品を仕舞う場所が分からず出口まで来てしまったのだと思う。店員さんが赤かごを回収したままにしているという意味では店員さんの落ち度でもある。

 

どちらが悪いとかでもない、単なる風景の話。

 

そういえば、昨日書いた世界をショートカットしたくないという観念は、僕の本質に近いと我ながら感じた。ただ、根掘り葉掘りして解剖したいという衝動とも違う。誰かのことを知りたいと思ったとして、極論、その人の肉体を解剖しても、人体の構造しか分からない。人の情報をどれだけ採取したとしてもこれは変わらない。何か人一般への経験知が積み重なるだけ。

 

というところから考えると、人を一方的に知るということはきっとできないのだろうなという推論。人を知るには自分を知ることも必要だし、なんなら知ろうとする人に自分のことも知られないといけない。ついでに、自分の人格の無限性と同値で相手の人格も無限だから、完全に把握するということは一生できないとセット。素朴に考えると当たり前ではある。だって、人は自分の歴史すら完璧に把握できないのだから。

 

これで人のことを十全に評価できるって言われたら、なんか白ける。人のことが分からないと思っている人の方が誠実だと思う。僕の人の評価はあくまで僕が把握できている限りの情報を前提として暫定的なもの。無限の無知。

 

そうして、僕は誰のものさしからも影響されない状態で自分を突き詰めることにした。自分から見える世界をショートカットしないためにはどうするかという話。自分と対話しても堂々巡りだから世界と対話してみる。

 

という意味ではやっぱりホモサピエンスの歴史が面白い。噂話の延長が神話であるというのは、考えれば確かにだけどなるほどなと思った。集団としてまとまるために、共通の物語を構築して、この物語の中で生きる。これがもっと洗練されたのが宗教。もっと言えば、僕がずっとやってきている法律学が洗練の極みだった。個人的にめっちゃ面白くて。法律学は物語として収集すれば良いのか、なるほどと。

 

要は、客観的現実世界と、想像上の世界の2重構造の世界で人は生きているという話。人権って日常用語で使われるけど、人権っていう客観的に触ったり見えたりできる物体はない。物体がないものを信じられることが物語信仰ということ。言葉もそうだろうし、まずは自分を生きるために自分物語が前提となっている。

 

なんだか壮大な物語の中に生きているのだなと。

 

 

そういえば、ハムレットの、有名なやつは「生きるか、死ぬか、それが疑問だ」だった。真面目に解釈すると、日本の仏教観の輪廻転生でいうと生きるも死ぬも状態の変化でしかないから、分からなくもない。古本だから訳も古いのだろうなと思うのが、ハムレットがオフィーリアに、尼寺へ行けって連呼するシーンがあって。翻訳って翻訳先の文化に合わせるものだからしょうがないとは思うからしょうがない。今だったらシスターだけど、シスターでも結婚はできそうな。世俗的関係から離脱するという状態は、現代では翻訳できないだろうなとか。

 

仏教は恋人といちゃいちゃするのは清らかなことだと言っているという漫画をたまたま読んで、宗教物語とはなんとも自在だと思った次第。

 

 

で、僕が自分を生きるために物語が必要かということになると、全然要らんなという感じがする。触れないもの存在を信じるために、信じる条件としての何らかのストーリーがあるわけではなく、物語は後付けでしかないような感じ。

 

物語があるとすればこの先にしかない。

 

だから、自分の物語で生きている人に対しては自分があってもなくても同じだろうなと思って、消えましょうとなる。

 

何が違うのだろう。

 

物語には筋があって、その筋から外れた登場人物は排除されるはずなのだけど。

 

 

おしまい。

 

おやすみなさい。