どんだん

 

 

月がとても近かった。今なら移住できるかもしれない。周回軌道上から眺める地球はとてもきれいだろうな。

 

 

 

劇評の公募は採用になったらしい。あまり深くは想像すまい。とても楽しみというか、きっと僕の何かがまた変わるだろうなという予感。とりあえずサイトをちょっと見て出演者さんの苗字を覚えた。こういう、自分のこと以外で全然無関係な人(及び世界)には目を向けなくて良いという観念も常識という悪癖よな。きっと人の容量って自分が思っているより遥かに広い。

 

本日は、いつもよりさらに1時間早く目が覚めた。おそらく昨日のルーティーンが早めに終わったから目覚めのタイムテーブルが1時間早まったのだと思われる。起きてふと見たらまた1か月分更新されている。昨日とデジャブ。なんという幸せ。

 

寝ぼけた頭で読んだ第1印象だと、食生活が安定しているようで良き。同居人さんグッジョブ、生活圏の人達グッジョブ。何目線かと思ったけど、やっぱりおばあちゃん。もしくは周回軌道上。

 

日中は大丈夫そうで嬉しいなと思いながら過ごす。昼ご飯タイムでは革靴の靴紐を買いつつ、僕はどういう風に生活していこうかなと組み立てていた。観測圏内から離れたら、もっといろいろやらかしてみようとか。例えば、酔いどれnoteとか。ただ、酔いどれの時の方が文字は滞りなく現実化されるのだが、書きっぱなしで推敲する気がなくなるのがデメリットよなとか。あとは、今度は何ができるようにしようかとか。いや、こんなの別に観測圏内で居るかどうかには無関係である。矛盾。

 

そうして、帰ってからもう1周すると、どこか印象が違った。楽しそうだし、自分というものに対する解像度というか被写界深度(知らないけど字面が好きなので使ってみる)が深い。ただ、何か違和感。

 

1つ気になったというか、僕の思考の契機になった記述。「いろんな自分を見てほしい」というフレーズ。それに対して同居人さんは爆笑して、当人もつられて笑ったほほえましくみえるエピソードなのだけど、この訴えってもっと切実なものなのではと思ってしまう。

 

昨日の日記にも書いているように、僕は社会生活上の人格と私生活上の人格は別物だと捉えている。というか、何処に対しても発現できる本質的な人格があるはずがない。もっと言えばそんなもの設定する必要ないまである。

 

自分の人格が1つであって、外界に接するときの態度の違いは仮面の取り換えに過ぎないと思える人は、育ちが良いというかとても素直な人。もしくは人格が変わるような局面を避けてきたか。

 

こういう感じで人格の多層性というか多数性を自然と受け入れている質だから、人が一貫性を持った人格であるとも思っていない。機嫌とか虫の居所で人は容易くものさしを変えるし、まぁこれは良いか。不機嫌な好きな人をあやしたい衝動。

 

でもなく、こういう表層の反応の水準以外でも人にはたくさん人格がある、僕が読む人だからかどうかはともかく僕が近くなった人は僕以外には現わさない人格をさらしてくれていたと思う。こういうのは僕のなので、あまり書かない。葛藤とかトラウマの中身とかそんなもの。言っても害がないということだったのかもしれないし、ただの止まり木だったのかもしれないし。

 

あんまり具体的に書けない話になってきた。でも、僕はもっとその人たちを見ようとした方が良かったのかもしれないと思う。無数の非言語のメッセージに目を潰してきたのはほんと、自分に余裕がなかったからだろうな、申し訳ない。

 

でも、現代の一般的観念において人格がたくさんあるなんてものはない。人格は1個しかないから、解離性うんたらみたいなものは障害になる。

 

そもそも、人格はひとつに統合されるべきという観念も過渡期の心理学とか神経学とかの一般論であって別に真理でもない訳で。笑った同居人さんにはバッドジョブとか勝手に思う。全然文字化できない領域だったため、文字数が進まない。

 

ともあれ、今は時計的にはかなりかつかつとしても、精神的には滅茶苦茶余白がある。全然余白がなかった時代を通り過ぎて思うと、この余白が全く自分と連動しない世界を読める領域。余白がないと他人もあるがままに見ることができない。

 

余談。「脳は私ではない」で、自分が何を意識していたかを答えられない人はあまりいないというフレーズがあった。僕はそういうことは割と多々あった、最長の恋人さんと過ごしているとき、意識が数瞬間ブラックアウトする。何考えていたのって聞かれても答えられない。意識を意識するモニタリングを続けてなんとなくなくだけど、膨大な非言語が巡っていたのだろうなという観測値。今でも気を抜くと、読書中でも起こる。

 

原点として、そもそも他人をあるがままに見る必要があるのかという命題。普通は自分にとってどうかしか見なくていいし、それで十分だろう。ただ、そのまなざしは当然自己にも向かう訳で、ほんとにそんな目で大丈夫かとは思う。

 

まぁ、自分のあるがままって、別にまなざしを向けるものでもないけど。

 

本日は言語化できない領域が多い模様なのでここまで。

 

 

おしまい。