世界の広狭

 

 

 

髪の毛が伸びすぎて切らなくては、という夢を見た。毛量がすぐ増えるから月1くらいで切っている。今週末がちょうど1か月くらい、切って行くか切らずに行くかそれが問題だ。切らない方が良いのではという気分。店員さんと月1の限定領域で会話するのも楽しみになってきた。今度行ったときは両面宿儺の話と、鬼の漫画と約束のなんたらは一応全部読みましたよ、かな。人気になっている程面白いのかというと、よく分からない。

 

休みの日に漫画を読み過ぎたためお腹いっぱいになって休憩時間に漫画を読めなくなった。ここ二日は「こころ」を読んでいる。文字は読み過ぎるということがないな。リミットいっぱいまで読むためにはかなり頭がすっきりした状態でないといけない。漫画は割とどんな状態でもするする入る。二日酔いの時は難しいかもしれないが。

 

ほんとオタク。

 

文字と言えば「初級古代ギリシャ語」。形で読めない言語というのはとても新鮮で面白い。ひらがなをお手本に沿ってなぞった幼稚園時代が想起された。今やもう当たり前だから気付かないが、「わ」と「れ」の書き分けの難しさとか、「あ」が反対回りになって「お」みたいになるとか、ひらがなってめちゃくちゃ難易度高くて、漢字になるとさらにだから、日本語は世界の言語の中でトップクラスに習得困難な言語なのでは。それほど決まり切ったルールがないなぁなぁさはあるのかもしれない。外国語を読むことでより日本語が分からなくなりそうだ。

 

さておき。

 

1時間の残業になると帰ってからご飯を作り始めるまでにほとんど時間がない。そのため謎の人のnoteの更新は帰り路に急ぎ足で読んだ。まぁ後にして。本日はレンコンがちょっと安かったから、ゆかり和えにしようかと考えた。ちょっとレンチンしてお酢とゆかりと砂糖で和えるととても美味しい。しかしそれよりもほうれん草が安かったため、必殺ほうれん草にすることにした。この「必殺」は葉物にならなんでも使える、一般的には胡麻和え。オリジナルは本の師匠が大切な人(会ったことはない)の料理で、「必殺春菊」と言う。春菊の胡麻和えが美味しいのはその時はじめて知った。ほうれん草だしちくわも加えて、すりごまはいりごまを自分ですったものではない簡略化&アレンジしているけど、根底にはこれがある。

 

人は自分に刻印を与えるもの。この刻印が人の大事さの指標かというとそうでもない気もする。

 

生活としての仕事。ねっとり話す後輩の同期に男性が居る。どう記述しようかと迷っていたため登場はしなかったけど、不器用が過ぎるというか、ちょっと爆発していた。今の仕事を抽象化すると、あるシステムを使用している顧客(企業の担当者)から受電がある、何が知りたいかの主訴をヒアリングする、自分で分かればそのまま答える、分からなければ上司に聞く、それを顧客に返すみたいなこと。

 

で、今日この人が、上司と話した後に「聞いてへんけどな。」って呟いたのが聞こえた。個人的にぎょっとしたのだけど、さらにその後ぎょっとしたのが、この人のところから大きな音が鳴ったこと。何かに当たり散らしたのかと、ひやひやする。じっと不機嫌そうにしているのであればともかく、怒気を現実化されるとびっくりしてしまう。母親がそういう人だったため。怒っている時はドアを力まかせに締めるとか。それのせいか、ビールの空き缶をごみ袋に入れて捨てるときのガチャガチャした金属音もあんまり鳴らないでほしいくらいに大きな音には過敏。大音響の音楽とかは問題ないけど、生活音とか、怒声とかで大きいのはとても嫌。

 

不器用に過ぎるというのは、個人的に人が他人に対して「どうでも良い」と認識していることって、水準としてはそんなに変わらないと思っているため。せめて言葉や態度で擬態できるようにしないといけないことができないことに対して不器用だと評価している。だから会話は毛づくろいだし、人は自分のことを気付いてくれる人にお、と思うし。

 

この人も僕と同じように雑談はほとんどしない人で自分語りもしない。ただ、これってグルーミングもする気がなく自分の殻に閉じこもりながらなおかつ自分の場所が欲しいみたいな感じで、なんとなく不整合だと思う。もっと自己完結的で人と対話しなくても良い仕事ってありそうな気がするけど、何か守りたいところがあるのだろうか。

 

僕もこの類型の仕事が自分にできると思っていなかった類だから人のことは言えないけど世界に対して自分を開かないと、適応はできない。

 

仕事において一生懸命やっているかどうかは主観にしか関係ないし。

 

爆発するのか切られるのかどちらが先だろう。僕は別に優しく慈悲深い人物ではないからしょうがないなと思って見ている。ぶっちゃけ先生に対して独り言だとしてもきっと聞こえるようにあぁいうもの言いをしてしまう人は、仕事圏内に居て欲しくはないところ。先生はこの人が帰ったあと、キャパオーバーなんだよみたいなことを他の上司と話していたからなんともないのだろうが。

 

他人を軽視しているって、どれだけ繕っても第六感には響くよな。

 

という、特に気にするべくもない無関係な話。

 

繊細さんなんかな、自分。いやただ観察しているだけにして、自分の中には影響しないようにしているけど。移入しないバリア大事。

 

もっと楽しい話をしよう。というか、中身はとても楽しいのだった。

 

謎の人の日記の更新を読んでいると、過去が今に追いついてきて面白い。もう一か月前まできていると思ったら、今は2月になっていて、過去と今の追いかけっこ。贅沢というか、僕が読めるようにやってくれているのではと和む。

 

追いかけっこと言えば、noteの方の更新が目まぐるしくなっているのはまた別だろうな。あえて最初から日付は見ないようにしている。だって、あと何回分たまっているのだろうってひやひやしてしまいそうで。間に合わせるのだろうことは知っているが、日記の方更新してて大丈夫ですかという周回軌道上的ひやひや。

 

(ほんと可愛い。)

 

そういえば、noteと日記と並列してだったか、謎の人は、自分のことを「癒し系」だと思っているが、「負けん気が強い」と一蹴されたとか。僕の中では誰がなんと言おうとこの人は「癒し系」でしかないのだが、ただ公にどう言語化できるかというと謎成分のため、対僕だけに効能があるものかもしれない。

 

いや、もしかしたら、こういういじられ役としての「癒し系」だから当人には語られないということもありうる。ほんとにありそうだな。

 

この話を読んだあと、弁当を食べて一服していると、人と犬が散歩していて、ダックスフントが靴のすぐ先を歩いて行った。なるほど、謎の人はなんだか「犬感」があるなと思い付いたら、白い老犬をイメージした。そういえば平和な犬になりたいと言ってたな。

 

何故老犬かというと、別に当人の中身が老いているとかではなく、僕の人生幼少期に、白い老犬が居たというだけ。思い出せる程の情報量もなくある意味写真の中だけの話なのだが、とてもおとなしくて優しかった。一般的なしっぽフリフリかまってちゃんみたいな犬ではなく、じっとしている。

 

そういえば、僕が捉えている謎の人の「女の子」の部分も、世界に対してなんで思い通りにいかないのだと当たり散らしている感じはなく、じっとおとなしくしているから、ある意味共通項。これが何故癒しになるというかというと、謎だ。

 

プラトンさんが、知覚は何故それを知覚したかの理由は教えてくれないと言っていた。だから、あくせく理由を付けるけど、その理由はだいたい忘れて、印象論に落ち着く。

 

もう今日はここまで。

 

おしまいでおやすみなさい。