終わりと始まり

 

 

ここは予言書だ。

 

諸々が終わって何かが始まった日。すっきりし過ぎて怖いなと思ったら、前の自分が予言している感じ。この2,3年ほんと凄い現象だったな。

 

順番に。

 

朝起きたら、5時くらいで2度寝。夢は見なかった。演劇が始まるくらい時間にシャワーを浴び、眉毛と髪を整えて出発。京阪ルートしか想定していなかったが、路線検索すると新幹線ルートがあることに気付く。気付いてしまうとムラムラしてくる。さらに検索すると地下鉄にも乗るらしい。乗ってみたいなという衝動には抗えず、新大阪で降りる。地下街が随分変わっていた。1駅だけ乗る新幹線はとてもリッチ。このまま東京まで行けるんだよなとか思いながら、煙草を1本吸っている間に到着する。乗り換えの時の階段で小さな子供を連れた3人が階段を塞いでいたため、1本遅れた。こういうのは微笑ましく思えないのは自分の邪魔になったからだけではない。別に1本くらい遅れてもなんとことはないが。(地下鉄烏丸線の発着音が雅だったと書くのを忘れていた。)

 

という感じで御苑に着く。コンビニにおにぎりとサンドウィッチを買い、あと1時間くらいは移動できるなぁと思いながら、なるべく砂利を歩かないように移動する。天気も良くて気温も高かったから、なかなかに人が多い。ちょうど良いベンチ、もとい切り株を見つけて食べていたら、老夫婦がバドミントンを始める。どうやら奥さんは経験者で、旦那さんは未経験者。ここまで生き延びられる気がしないなという思念が想起されたが、ほほえましく眺める。旦那さんが失敗する度に周りを伺うから、僕は見てませんよって目を逸らさなくてはいけない。

 

そうして開演40分前くらいには周辺に居て、一服しようかって場所を探していると、演出家さん(おそらく)が駐車場の一角で一服しているのを見てしまいぎょっとして目を逸らしつつ歩いた。10分程歩くとタバコ屋さんがあり、そこの灰皿で吸って、20分前くらいに着けば良いかなと思って勝手知ったるルートを通っていると、この前ようつべでライブしてた(らしき)人がうろうろしていて、道が分からないなら教えましょうか○○さんとか準備していたが、正解の道で曲がったから大丈夫かと思い、僕は直進する。そうしたためたどり着いた時間がちょっと押してしまった。

 

受付にたどり着き、顔認証の体温計(全然違うところで34度とか記録したことあるから精度大丈夫かと個人的に思う)に勝手に測られ、どこで予約されましたかと聞かれ、あれなんだっけなんだっけと数瞬思考し、「劇評です」って答えたら「あっ」となって次の段階へ。謎の人と企画担当の人が並んでいて、謎の人は別の人を対応していため、「いらっしゃるんですね、(会えて)嬉しいです。」という準備した発話はとこしえの闇に消えた。企画担当の人、好きなのだが、声が小さい(僕の耳が悪い)から、なんとなく雰囲気で聞いている。これが入場券なので、どれでも選んでくださいと、4枚並べられているけど、これはどういうことだったのだろう。非接触は分かるが、1枚で良くないか。

 

謎の人に認識されたことも知りつつ、笑顔(らしき顔)で会釈して通ると、最初の受付の子らしき人が演出家の人にこの人が永田さんですみたいなことを言い、永田さん毎年ありがとうございますと言われたが、僕はさっきのぎょっとしたことがあるため、生返事をしてしまう。席に着く。パイプ椅子で指定席ではないけど、夢のデジャヴだと気づいたのは帰りの電車の中。

 

演劇は、「争い」で独立したものでなく、集大成だった。全部含めて書いても良いのはよいけど、文字数足りなくないか。大丈夫か、6000文字くらいになりそうだけど。章立てちゃんとするので文字数増やして良いですかと交渉する? もし今回劇評僕しかいないのだったら成り立ちそう。

 

その前に。帰り際、企画担当の人と謎の人が並んで見送っている時も割と生返事をして帰ってしまう。ちゃんと笑い顔だったら良いなと思いつつ、自分の存在軸として、物体としての自分には特に重きを置いてないなと思い付く。企画担当の人は僕が納期に遅れないのを知っているし、謎の人は僕が謎の人のことを好きなのを知っている。これは発話で繕えるところではない。

 

と自己観測したとき、僕は自分の発話を自分の存在の中で切れ端くらいにしか見てないのだろうなと自覚した。話そうと思えば話せるが、これは物体としての僕の付属品だから、物体としての自分のこと。書き言葉も物体としての自分と連動しているという人も分かる。でも、僕は、自分の存在を他人との相関に置かなくなり、物体的に連動していない言葉の方が自由になった。現実が不自由だから言葉に依存するということではなく、ここがまんま僕で良い。現実に顕在するのはあくまで相対的なもの。

 

 

演劇。文字数も情報量も多いのに、テキストデータなしだったらなかなかやりおる。単純に人が増えたことによって、声が増えて、大変。帰り際に、高校性カップルらしきペアの男の子が「死に方スケッチ(リスト?)」みたいなことを言っているのが聞こえて、なるほどと思った。

 

僕が移入できなかったのは謎の人が隣の隣で座っていることより、斜め前に座っていた人の座高が僕と同じぐらいだったものだから全体像が全然見られなかったこと。丸いガラスのもにゅめんとが全然見えない。もっと早く入って最前列に座っていればこの不具合は無かったが、そうなった世界線では、謎の人と近くに座って見るという「あの日」にはならない。僕は確実に後者を選ぶ、というか選んだのが歴史。

 

一見してこれはどう消化したら良いのだやべぇと言語化できなかったけど、だんだんと腑に落ちてくる。

 

まず、観劇席と舞台を反転したことの意味。人は誰でも自分の舞台に上ってますよみたいことかなと。あとは、なんとなく変な登場人物が居る。そういえば剣闘士設定はどうなったのだろう。

 

絵画、宇宙、諸々の心象がある。

 

これは劇評で書くから良いのか。

 

残りは謎の人のこと。

 

1つ空いた席になったというのが縁を暗示している感じ。どこに居るのか分からないとは言ったけど分かり過ぎるのもなかなか。演劇終わった後に、見送りに早く行かねばと焦ってiPhoneを落としてしまうのも愛らしい。隣だったら拾ってあげられたが、そんな現実は起らないらしい。僕は席に座った時にチラシ類を落として高校生カップルの女の子に拾ってもらいました。この子、パイプ椅子にかけた上着の腕部分を自分側にたたむという所作をしていて、何か育ちの良さを感じた。

 

ちょっと戻って、劇中、この静謐さで僕が咳をし出したら世界をぶっ壊してしまうなと思っていた。あえて考えだすとしてしまうけど、なんとか耐えた。自分が唾を呑む音は反響していた。

 

謎の人についての続きは、ちゃんと言葉があるのだが、これは健在化するべきことなのかとややこしいブレーキが利いてきた。

 

当人向けなのか、そうなのか。

 

良い睡眠を。