存在感

 

 

感情的日曜日。

 

初枕はなかなか寝心地が良かったはずだが、あまり寝入ることができず、やはり悪夢っぽいものを見た。母親が何か箸がどうのと言っていて、それに対して皮肉を聞こえるように他の人に発すると、激昂し箸で刺されそうになるところで目が覚める。

 

目覚めた自分は凄く怒っていて、こういう感情も在るのかという感じ。寝入れないのも気絶のように寝ていたことの反動だろうから、全部含めてどんとこいである。あれもそれもこれも自分。

 

なんで怒ったのだろうとお風呂に入って考えたのだが、母親のやり口が嫌いだったのだろうなと想った。感情によって見解が変わるのは遊びに行けるかどうかの死活問題だったがそれはまぁいい。いけないのは、感情論に正当性を乗っけるために権威的な理由をつけるとか他にも良くない理屈をつけて繕うこと。別に感情なら感情で良い。ただ、これだと受け入れるかどうかの主導権を相手に渡してしまうから、自分が正しいとしておかないといけないのも分かる。この所作に怒りの感情があったのだろうなと思った。

 

訥々と正しい理屈で教えてくれる大人というのはいなかったから、理屈アレルギーがあるのかもしれない。いや、素朴な自分は完全に感覚人間だから無知なだけか。適切な理屈は学習中である。議論は前提を均す(数学みたいに)か、相手の前提を相互に受け入れるところでしか成り立たないよなという感触。

 

寝たが寝不足で顔も頭も死んでいるがあまり関係なく本は読んだ。漫画とかインターネット文章に逸れてしまったところもあるが。そうして、仕事日の昼休憩の時間に合わせて温そば。えのき、舞茸、人参、昨日の夜ごはんの余りの焼いた豚肉を加えて食べる。18時にクリーニングの回収があったが、毎日大量に消費しているミネラルウオーターを補充しなければならないから、食後にもぞもぞした後、先に買い出しに行く。天気は良くて日光は暖かいはずだが、ウルトラライトダウンを羽織っても寒かった。部屋も20度くらいはあったのに寒い。特に背中が寒い。寒気かと思い体温を測ってみたが平熱(36.7度)だった。寂しさなのか、血流が頭に行っていたからか。

 

18時でもまだ明るい。一軒家の屋根に取り込み忘れたのか、大き目の熊のぬいぐるみが日向ぼっこの延長戦をしている。冬にはススキの群生地だったところに、はっきりした花弁が5枚の紫の花が群生していた。最近気になっていた花だから先程調べたが、ツルニチニチソウというらしい。漢字は蔓日々草か。語源は蔓を使って輪を作ったからだとかなんとか。

 

道中の考え事としては、更新されていた日記の中の作ってくれたスープを飲んだというところから、一番長く過ごした元恋人さんとの別れ際の言葉について。この人とは昔1年半くらい同棲をして別れ、3年後に再会するという物語があるのだが、再開したとき、前半部分について、曰く、「私は貴方の為に色々していたけど、それが駄目だった、今度は自分の為に色々してくれる人を選ぼうと思った」みたいなことを言われたのだった。かなりあやふや。確かに料理とか作ってくれていたし、諸々してもらったことはあるかと思うが、この水準だと、家賃とか住むところとか、もろもろ何か理屈に合わないところがなくもない。いや、比べるところはそこなのかと。

 

別にもう会うことはないだろうが、嫌いな人物の棚に入っている訳ではなく、なんなら感謝すらしている。けど、何かをしてくれたということに対するものではなく、存在として近いところに在ってくれたということだから、ズレはある。してくれたからするみたいな関係は相互に自分の為だろうという概念がはっきりしていなかった僕に問題があるとしか言えない。この論法の欠点は、何かをしてくれるから相手にとって自分に価値があるとする評価にあって、これだと相手主導になるし、ひっくり返して自分は誰かに何かをしてもらえる価値があるのだと自己評価にしてみたところで、相手がどこに居るのかが分からない。というか誰でも良いのではと。

 

今の僕はおそらくそういうことはどうでも良い。誰かがしてくれるような日常の営みは自分でできるし、そこが誰かによって省略できるとしても、その為に誰かと居ようとは思わない。こう考えていくと、自分の使い方をちょっと変えればもっとまともに生きられるのではと思わなくもないが、まぁ仕方がない。

 

まだまだ知らない領域があるというのは、なんというか自己検証不足が過ぎるが、検証どころではなかったんだろうなという俯瞰。合わせるのに必死だった。

 

そういえば、これも道中思っていたことだが、現実感というかアイデンティティの拡張論から考えると、何かを現実化しない人の中には、しようと思っていてできない人と、そもそもしようとすら思っていない人が居るが、前者の方が現実に近いのだろうなと。まぁ外から見た分にはどちらも同じだが。

 

知らない自分と言えば、まず自分の文体。たぶん対象の核心を言語化するよりその輪郭をなぞろうとしている。ドーナツの穴を残して食べる、みたいな。あと、は書くべきか書かざるべきか。

 

あいにく10分程時間がある。ふむ。

 

経験則上、僕は自分に好意を持っている、もしくは種がある可能性がある人にアプローチをかける性質があった。まぁ感覚の話だが、それほど外れない。

 

しかし、今は全くそんなことがないのに、なんかあると思っているのか、マジか自分の無意識よという感じである。左脳で読む限りそんな余地はないぞ。まぁ、現実に触りたいとは思わない、いや思う、統一してないのはともかく。

 

何はなくとも存在として近さを感じるというのは自分の感覚を突き詰めていけばありうる感情で、肉体より精神より内側にある輪郭をなぞってみたいというのもしかり。生活上もこの位置にあることで、とても精神衛生上良きだし。嫉妬がないのになぞりたいというのも謎だが。

 

謎過ぎるため色々と解釈をこねくり回して整合性を保とうとしているが、結局は「見つけてしまったものは仕方がない」という一言で済むことなのかもしれない。なにせ可愛らしい。

 

そんな感じで、今日は上手く寝られるかな。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。