てんけん

 

 

 

あっという間に木曜日。

 

明日見る映画も決まっていない。直感で決めるか、昔見たことがある映画にするか。ふと頭に浮かんでいるのは「嫌われ松子の一生」なのだが何故だろう。結構面白かった気がする。「誰も知らない」も良かったがまったり見るには重たい。洋画だと「バタフライエフェクト」が面白かったような。あ、「マイノリティリポート」は見てないかもしれない。明日は洋画で探してみよう。

 

安定した入眠法を模索中。波の音はなんというか雑念が入ってきて安定しない。寄せては返す。なんとなく、「寝なくても良い」と頭の中で呟きながら目を瞑っていると良い感じかもしれない。あと一瞬我慢したら意識飛ぶ、みたいなタイミングがなかなか慣れない。タイミングは逃さないようにしなければ。

 

ぱっと言語として出てくる思考が減ってきたように思う。おそらくこれは考えていないのではなく、書くまでもないという方向が強くなったからだと思われる。良い傾向なんだろうなたぶん。個人的な学修用のまとめ文章はすらすら書けるし。

 

 

昨日書いていた、手で書ける文字とPCから打つ文字の一致は、自己満足でしかないと思うが、結構面白い観点だ。「ちゅうちょ」は書けないからためらうと平仮名表記にしようとか、手で書ける文字が使用できる範囲だろうなとか。これによって何か表現力・文章力が変わることはないが、意識が通っているかどうかというのはあるはず。道具のこなれ具合。

 

ここで、参加していない、聞くだけの雑談で具無し焼きそばを作ったと言っていたのを思い出す。どこからが料理かという境界線も自己満足の領域よなぁと。冷凍食品とかめんつゆを使うのは料理ではないという見解をどこかで見たが、そういう人たちも醤油を自家製している訳ではないし鰹節を作っている訳でも野菜を栽培しているでもないだろうし。個人的には「味を自分で決められる」というところで線を引いているが、別に料理かどうかを特に気にして生きていない。

 

こういう自己満足の境界線をポリシーと呼ぶのだろうな。ポリシーをしっかり自分で決めている人は好ましい。ただ、ポリシーを他人にも適用しようとする人は好ましくない。義務でない面白そうなポリシーであればしれっと取り入れてしまうが。

 

魅力的に見える人とそうでない人の違いを考えた。これもポリシーというか意識の話で、自分の外側に意識が通っているかどうかなのかなという感じ。同期は細いしスタイルも良いのだが、なんとなく魅力的に見えない。まぁ僕から魅力的に見られようが見られまいが余計なお世話だと思うが。別にヒールが付いた靴を履くことは強制されていないが、1番近い先輩は何故か履いていてポリシーを感じる。どちらともあまり話したことないから中身は知らない。

 

どういう無意識アンテナなんだろうな。ふと目に入るネイルとかどきっとする。自己満足と外への意識の境界線はどこにあるのか。内向的も外向的もあまり変わらないというし、同じものを別の方向から見ているだけかもしれないな。

 

人のポリシーを理解できるようにはなっておきたい。

 

さておき。

 

新しい領域の本がそろそろ欲しいところ。読む人としては次の語学に手を出したいところ。傾向として並行して読んだ方が良さげだし。数学とか法学って積んだら次が分かるみたいなところはあるが、芸術学ってどうなんだろうな。センスが必要だとしたら僕には難しい。というか、体系的な専門書ってあるのか。と色々調べものが増える。最近の情報は全く知らないが、使いようがないものばかり溜め込んでいるように見える。個人的には自分の風通しを良くするものなのだが。

 

あぁそうかこれか。何か出てきた。

 

ふと、自分は誰かにとっての1番ついでくらいに想われるくらいがちょうど良いんだろうなと経験則を想う。原因は諸々あるだろうが、他人の中のそこに自分が居るのは場違いだという観念はきっとある。ただ、これだと寂しすぎる。その場所が寂しいのではなく、考え方としての寂しさ。これは意識的に改めていかないといけないなと思った次第。片手間の関係は無い方が良い。

 

あと、何かあったかな。

平易な思考が見あたらなくなってきた。断片的。

 

無理してひねり出すものでもなし、ここまでで良いか。

 

ではでは。

 

おやすみなさい。

 

良く寝られますように。