ほどほどに

 

 

頭がキリキリするほどインプットしたため本日は映画タイムにしようと思い、「フォルトナの瞳」とやらを楽天で購入したのだが、ポケットWi-Fiが速度制限だったため、こんなことになった。三日の総計で3Gになると夜だけ三日制限になるといっても月初めにリセットされないとおかしくないか。

 

それほどがっかりしている訳でもなくある意味狙っていたのではないかという気もする。アウトプット足りてないし。

 

ちゃんと6時に起きているのだが、頭が常にナチュラルハイみたいになっている。試験日みたいなやつで、思考が目まぐるしい。検温すると36度4分だか3分だった。ここのところでは最低体温。ちゃんと調整したかいもありご飯は食べる。朝でもフライパンを使うことに違和感がない。中華だしとポッカレモンであっさりした焼きそばを作って食べた。

 

夢では中学校くらいで出し物をしていてタイミング合ってないと陰口を叩かれているやつだった。どれだけ集団嫌いなんだ自分。いや、たしかに嫌いなんだよな、空気読めないとか知ったことではないと無意識しながら合わせるのしんどい。

 

そういえば、この無駄に思考する頭で買い物に行くと色々浮かんでくる。

 

これは正直に言うとちょっと前からあったのだが、スーパーのレジに有能な人物が居るのは経済効率的に無駄だから、ほどほどに読めないし早くない人材を配置すべきなのだろうなというなんとも冷淡な思考。確かに遅い店員さんとかイライラしそうになるが、このイライラは全体で見れば大した損失ではないということ。個々の店員さんがどんな背景を持っていてとか想像しようと思えばいくらでもできるが、そんなことより自分の時間の方が大事なのが普通だし。経済的に有能な人はきっともっと上の方に居る。

 

もちろん経済的に有能な人に価値があるとは言っていない。経済的にという枕詞ありきの話。公園の喫煙スペースのスーツの人達はきっと経済的に有能な人も含まれているのだろうが、話しに夢中で入口塞ぐ人いっぱい居るし。

 

で、独り者からした私的な世界の観測。この宣言の時にスーパーに2人で行く意味について考える。不要ではないが不急ではあるということを前提に、なんで複数人で買い物に行くのだという話。

 

別に1人だったらどうでも良いことなのだが、それによって感染したらどうするんだろうって思う。いや、出かけるなという話ではなく、日用品の買い物なんてどちらかが1人でできることでリスクを高める意味の話。どっかに一緒に出掛けたいという目的があるならもっと有用なところに行きなさいと思ってしまう。

 

仮に僕に今パートナーが居るのだったら、買い物くらい儂がやってくるわ、必要なもの言ってくれってなる。まぁ話し合いながら決めたいというのは分かるが、ちゃんとお互いのこと分かっていたらここでの議論は要らんのでは。というか、相手のことを信頼していないのではまである。ことスーパーだと全然睦まじく見えないという不思議はご時勢への適応かもしれない。日常行為ではない散歩とかであれば睦ましいのだが、ついでっぽいのはいやだ。

 

 

そういえば、人肌への恋しさの話を何処かで読んだ。僕は1人で大丈夫になってしまったんだのだなという感じ。この恋しさは人間らしさだということになっていて、だとすれば僕は人間ではないんだろうか。ふふ。楽しくなってくる。

 

そもそも人肌の「人」の意味は「他人」であって、他人の枠には誰でも入ることができる訳で、この代替性がある欲求がほんとに人間らしさなのだろうか。この意味だったらおそらく体温があるAIで賄えると思うのよね。ある程度自分に対して受け答えできて、なおかつあったかくて柔らかかったらそれで良い。男だったら業者さんでも賄えるという産業もあるし(肉体的なのは行ったことないけど、受け答え的なのは行ったことある)。

 

膝枕の話が出てきたとき、色々思い出した。最初にある程度長く付き合った人はなかなか希少が激しく愛が足りてない人だったのだが、まぁこれはさておきというか、愛が足りてない人ばっかりと付き合ってきたのだな、はまぁ良いとして。

 

僕の側で寛いでいる姿が好ましかった。今の語彙で言えば嬉しかったか。院時代レポートとかなんとかでキリキリしていた中、部屋の中でごろごろしているのはまぁまぁの癒し。僕は自分がしんどいのに相手がしんどくないことなんてどうでも良かった。もっと自分であれば良かったなのだろうが、だったら、今好きな人と出会えてない。という意味では今が一番楽しい。もともとそういう傾向であったのは確かだが、近い=連動というのはよろしくない。

 

 

寛ぐと言えば、直近の元カノさんと付き合う前、職場の飲み会の後ホテルに連れ込んだのだが、何もせずに寝たのだった。そこまでそういうことを求めていないからてきとーにやらかめられないのも自信がなくなるらしいし、女心とは難しい。

 

1回だけ会ったSNSの人に会いに行って車で入れるラブホテルの中でぐったり寛いでいたのはとても良かった。抱きしめたかった理性をこらえて、その後で散歩した時にもカラオケの時も全く触れなくて、別れ際にキスだけするとかどんな物語だよ。

 

1人で大丈夫だというのはどういう観念か分からないところはあるが、他人も自分もある意味どうでも良いところにある。という文脈からだもともとどうでも良かったのかもしれない。とか言いながら、歴代の恋人さんと別れたときだいたい泣いていたりして。僕は他人として見てはいなかったというだけ。

 

一般的には人が周りに居た方が良いから、好きな人がちゃんとしているのは良い。

 

思考回路がまた1つ。人が周りに居た方が良いという観念も人工物で後付けなのではという仮説。確かに人は社会的動物だが、社会が具体的な他人である必要はない。だって、ある程度人に接すれば人の社会性くらい学習されるし、それでも接していたい人で振り分けるべきでは。関係は世界とは別に自分で選ぶべき。

 

 

小難しい話というか、学問を読んでいるとどれだけ自分が拙く世界を捉えているのだということが自覚できる。哲学は方程式に近いのだが、方程式の言葉で綴られるから、めちゃくちゃ分かりにくい。でも、普通の語用としては、言葉をデジタルとして捉えているんだよな。単語に依存して使う。僕はこの言葉の魔物性から、自分と言葉を一致させていない。

 

あくまで自分とは別のなにかを思考する為のもの。

 

もっと全人格的に情報を捉えねば。問題解いているとどんどん狭くなってしまう。この傾向はよろしくない。

 

明日もきっと6時に起きる。

 

では、おやすみなさい。

 

大丈夫でありますように。