心頭滅却

 

 

身体はほぼ元通りなのだが、外気への反応である発汗までのラグがかなり短くなった。ただ、これが病み明けの影響なのか単に暑いだけなのかの判断がつかない。

 

全国暑いらしい。皆さんバテていないでしょうか。僕は元気です。

 

なんとなく対策として本日の副菜は涼し気なものにする。ムチンもといオクラとワカメのゴマポン酢和え。粘度と夏バテ対策は連動している気がする。ちなみに本日のおかずの副菜は、きゅうりとズッキーニのゆかり浅漬けで、これも夏っぽい。なんにせよ、オクラも好きだ。新鮮なのは生で食べたい。

 

さて、何日かぶりの出勤の道のり。田んぼはひび割れていて成長も芳しくない。と思ったがもしかしたらもともとがそういう品種なのかもしれない。そういう品種があるのかも知らないし、排気ガスの影響なのかもしれない。よく見ると葉の端が枯れているように見える稲もあるし。

 

昼休みに寝ているホームレス女性を見かけたとき、原始仏教の「眠れない人の1日は長い。疲れている人には1里は長い。真理を知らない愚か者にとって人生は長い」というフレーズを思い出した。悟りの境地だ。凄い(し若干眩しい)。

 

久々の仕事は、声を出すのがなかなか大変だった。発話用の言葉は頭にあるから問題ないのだが、誰とも会話しないほぼ1週間によって喉がさび付いている。特に発熱にも触れられなかったが、それは、全体的に2回目の反作用で発熱があった人に紛れていたためらしい。

 

まぁでも僕の言葉に信用が置かれているのは、なんとなく「お」だった。僕は道理がインストールされていないから、自分の言葉の価値というのも良く分かっていない。まぁ理屈で考えれば、2年間無遅刻無欠勤だし、ほぼ大人しく働いている人物がそれを言ったのであれば、まぁそうだろうとなったのだろうという解釈が1つ。もう1つとして、自己申告はとりあえず疑えないもんなという解釈。こちらだと、誰が言おうが同じことになる。どちらかというとこちらの方が大人の対応なのかもしれない。そういえば、有給のことは何も言われなかったな。

 

ちらっと、「男の人は偉そうだ」という命題を見かけた。別に遡上に上げることに他意はないのだが、ふと、今の僕の生活圏で偉そうな男の人って居ないなと思った。上司も言葉遣い丁寧だし、静かな人ばかり。ちなみに父親も偉そうな人ではなかった。お祖父ちゃんは、やはり2世代前だから、お祖母ちゃんのこと「おい」とか呼んでいたが、お祖父ちゃんが亡くなったあとのお祖母ちゃんはちょっと元気がなくなっていた。まぁ僕は孫で家督を継ぐ立場だったので偉そうの被害はなかった。

 

お父さんがもう少し偉そうにしていたらちょっとは変わったのかなぁと想わなくもない。この世代の家族の型としてという話。親族で言ったら、最上級に偉そうだったのは父親の妹の社長である叔父さんだった。まさに社長という感じ。これは役割分担の話。偉そうなのは偉ぶるだけの実績があるみたいな。僕はこういうのはちゃんちゃらおかしいと思っているが、この型というのが上手く家族を回す1つの模範ではあったのだとは思う。

 

偉そうである人っておそらく何か怖いんだろうなという気もする。よく喋る人と同じような意味で。偉そうにしてないと権威を保てないみたいな。あと、当然ながら偉そうな女の人もいっぱい居る訳で、偉そうという属性は今も昔も性別には依存していないと思っている。権威、というか尊敬はそんなものでは得られないのが現代という気もする。

 

ちなみに僕は、無礼で失礼な自覚はあるが、偉そうになれる気はしない。

そういうものだとしてやってみようとしたこともあったがうまくいったためしがない。

 

粗っぽい職場だとそういう人は結構いる。

でも、別に偉ぶらなくても尊重は保てるよな、たぶん。

有能さ、もしくは、全部見られている感。

 

あと、これは見た気がするというレベルなのだが、「死んだ人には思い出しか残らない」みたいなやつ。これのどこが悪いのかという感じ。確かに生きている人には更新可能性はあるが、これがニュースみたいな情報の更新だとしたらどういった意味があるのか。

 

僕にとって父親の価値は僕だけのもので非売品でありもう一生消えない。

具体から絶対になるのが思い出の価値では。まぁ、好きな人について、いつ過ぎ去ってくれるのかな、わくわくという価値観は基本的に誰にも分からないはず。

 

要は接することができる存在であることが重いのではなく、存在自体が重いのであれば接することがなくなっても価値が変わらないということ。もう誰か分からないが、19、20歳の頃に接していた、モバゲーの何人かはずっと残っている。ハンネ付きで。

 

 

ところで、ふと、これだけのほほんと生きていられているのは、きちんと生きてないからではないかという想念が起こった。他の人がどうかは知ったことではないが、僕にとってのきちんとは、承継、もしくは生産。子を成すのが典型だが、次世代に承継していく仕事か、価値を生産して世の中を豊かにする仕事。僕はどちらもしてへんなぁ(えせ関西弁)と。まぁこの価値の生産は誰かにとってでも良いが、僕の日記がそれを担っているとも思えず。

 

のほほん野郎ですわ。

ただ、だからと言ってそれをしようがしまいが、ないようなもので在ることは変動しない。

この価値は別に対価とは関係ないから、そう考えると、まだまだ迷子道はいっぱいある気もする。

 

芸術とは、普遍性が表現されているもの、か。

 

 

ともあれ。

 

そうそう、やっと「アズカバンの囚人」終わった。僕は今回スネイプ先生を主人公にして読んでいるから、守護霊がハリーのお父さんが動物になった姿だったっていうのが感動的ファンタジーみたいには読めない。

 

スネイプ氏はハリーだけにではなく偏見まみれで根暗な感じに語られているが、ハリーのお父さんにいじめられていたことがこの当たり前に寄与しているとしたら、とても悪役にはできない人物よな。ハリーの父親からの承継でハリーの物語が光だとすれば、完全に闇だが、私情満載の割に、締めるところはきちんとしている。たしか「謎のプリンス」だし。

 

まぁほんとうにいじめだったのかはぼんやりしているが、この辺りが現実世界と符号あるよなぁよくできるなぁって思う。劣等感の塊だけど有能ではあるし。

 

物語の再読の醍醐味の1つ。再解釈できるし、誰を主人公にするかも物語の設定に囚われない。まぁそういう物語はなかなかないのも確かだが。

 

あと、「モモ」の凄さは、僕だけの効用かもしれないが、物語を追いながらそれとは別に自分にとって過ぎ去ったものが鮮明に再生されるところ。いやほんと凄い。

 

今日思い出したのは、かつての派遣時代、10年くらい前かな、ある工場に行っていた時のこと。高級お菓子を冷蔵庫みたいな気温の中詰める作業をする。その統括していた(偉そうな)女性に好かれたというか、ちょこちょこ話をしていたのだが、唐突に自己開示をされた。息子さんを亡くしていて、当時の僕がその息子さんの年齢と同じくらいだったとか。僕も自分がおべんきょしていることを話している。なんだかそこで正社員にならないかみたいな話もあったようななかったようなはともかく、「もう来シーズンは来るなよ」って言われたこと。もちろん名前も思い出している。

 

心が熱を持つ。また会いたいが、実際に会う可能性とも関係ない。

なんで思い出(とされるもの)に重きがおけないかというと、それよりもいま(厳密には「いまみたいなもの」)の方が大事としないと自分が保持できないと思い込んでいるから。

 

人の存在って固形物ではなく揺れ動く天秤みたいなもの。

厳密には天秤よりもっと流動的なものだが、適当な比喩を当てられる物質がない。

 

思考実験。仮に、自分がいま大事だと思っている人と関係が断たれたとして10年後に自分を覚えてくれている人って居ると思うかどうか。これは逆でも然り。関係が断ったあと、10年後でも覚えているという自信がある人は居るかどうか。

 

僕は当然皆さんのことが残っているに違いない。

これは重さ云々より無意識から掘り返す術を持っているからみたいなものだが。

 

逆だと、ほとんど人はきっと忘れてくれていると思う。

それでというかそれが良いんです。一般的にはそういうものだし。

 

この思考実験で考えたとき、もしかしたら好きな人は残してくれているかもしれないとふと想えた。置き土産の量がここの日記どころではないところと、忘れっぽいと自負している癖にものさしがやや違うところ。

 

まぁ僕のは異常だと思う。

これは、内側の人(現実性)だけを大事に置くという道理を知らないからだろう。大学時代の最初のバイトの焼き肉屋とかも思い出すのはまぁ良いとして、ついでに当時の一回しか行ってない美容院の人とかスーパーの可愛らしい店員さんとかも出てくる。

 

うへー。

でも、記憶は記憶であり、どれだけ再現されても今とはあんまり関係ない。

 

これは、僕の道理なのかもな。

外付けだと、過去の記憶には輝きがあるとか、辛さとセットであるとかの価値観があるが、別にいま辛い訳でもないし。

 

不穏というか、僕の道理に近いと思った原始仏教のフレーズで、清らかになった人は家に固執しない、飛び立つ鳥のようにその人の行く先は分からないみたいなのがあった。

 

僕が書いているのは依存ではないから、容易く飛び立てる。という自分を知ったのは直近のSNSであるGREE。接していた人は忘れないが、別にその人に読んでもらわなくても良い。

 

エックハルトさんも、意識的に生きている人は次に何するか予測できないと言っていたし、今後どうなるのだろうな。

 

ここまで。

 

夏バテしていませんように。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。