オアシス

 

 

 

切なさは調味料でいえば山葵に似ている。つんと痛く、涙腺を刺激する。

 

 

宵顔さんの日記をこの調味料を伴わず読めるようになったときに読み続けることができるのか。顔が好きだから眺めるだろう。考察とか情緒パートとか。ただ、生活の描写パートはどうなるのだろうな。

 

とか考えながら二度寝したからか夢に出てきた。といってもロマンスとかなんとかではなく、何か催し物で、むしろパートナーさんらしき人との会話というか、この人から何か教えられている場面(あまり良い気持ちではなかった)。具体的なやり取りの記憶がほとんどないから出たとしてもこんなもんだな。

 

時系列的にどんな順番だったかは定かではないが(夢にそもそも時系列があるのか?)、実家の辺りでかなり規模が多い催し物が行われていた。外国の人もいっぱい居る、何かのイベントで、主催者は我が家っぽい。で、一瞬地震が起こり、主催者の家族の特権で全部の区画を回るのだが、外国の方々がまとまってご飯を食べている食堂みたいなところに行って、そこをまとめている人に話を聞いて、全然人員が回ってないんだと訴えられる。たしかにキャベツの切れ端みたいなのが床に散らかっていた。

 

食堂のイメージは、ハリーポッター千と千尋の神隠しがごっちゃになっている感じ。

 

その後(?)は、ダンスがあって、練習をしているのだが、僕は腕を上げるところでうまく上がらないし、体が思うように動かず、落第のようになって責められる。そうして逃げることにする。中学の同級生達が逃げるなって言いながら追いかけてくるのだが、森とか川とかを猛然と走ったり飛んだりして通り抜ける(全然体動くじゃん)。

 

最終的に多勢に無勢でつかまりそうになるのだが、また走り出す。「そうそう、折れるな」って追っ手側から見ている女の子が言った辺りで目が覚めた。

 

(母親と通話中)

やっと終わった。何かが冷えた。

 

流れでは夢の解釈に入るつもりだった。古文時代では夢に誰かが出てきたらその人が、自分に会いたいと解釈するとか。ロマンチックだし普遍的心理からすればありうる繋がりだが、僕はそういう風には解釈していないって。整理すべき対象になったから出てきている。

 

はぁ。

 

いや、思いの外ダメージ。切なさはわさび味で美味しいのだが、これは食べ物ではないものを無理やり口に詰め込まれた感。別の意味で泣けてくる。

 

直の子供に対して、「子育ての失敗」って普通の神経では出てこない言葉。やれやれ。凄い人に育てられたものだ。一応妹とか姉とかに向いているみたいだが、僕も子供だし、僕が成功だと言われてもいないし(言われても信用できない)。ここでの失敗って、何をもって言っているかというと、自分にリターン(感謝)がないとかそういうレベル。子供をなんだと思っているのか。対等の立場の他人がこんなこと話していたら、神経を疑って離れる。

 

要は、僕の人格は失敗作と認定されているということ。

無意識がメタ的に制限しており、無意識に親が居るという話を読んだのだが、僕に制限かけた人はまさにこの人なのだろうな。

 

ここから先は愚痴ではない。

まさに最初の僕の人格の話。

 

言わなくても通じると思っていたとか言っていたが、ちゃんと思惑通りに子は育ったと思うわ。子ならこう在れ、の鏡としての親ならこう在るべきみたいに。

 

あぁ、やっぱり愛されてはなかったのだなと思う。

いや、そういう話なのかな。愛の定義を子供が独立するまで世話をするというのはとても真っ当に見える。僕は愛を保護も含むが、中核は観測とか気にかけにあると思っているから、なんかズレている。

 

それより気になるのが、この人の中の僕も含めた子供達って自分にとってでしかない。発話でも、子供を気にかけていたという話ではなく、自分が親としてどうだったかの話しかない。まぁ、まともな会話をしたことないし。

 

1つ後悔があるんだって話し出したのだが、僕と同じく父親が亡くなったことに対してだった。ただ、父親がどうのというより、母親はその時自分にお金はないんだって言っとくべきだったとか。これって確かに子育ての失敗だろうが、少しでも自分に対して気にかけてくれたというログがあったら、鏡として母親の経済事情を気にかける子供が居たはずと考えると、単に自業自得でしかない。

 

だって、普段は金銭事情も含めて権威をまき散らしていて、父親が農家であることに対して、あんたは稼いでこない(自分は公務員として稼いでいる)って罵倒しまくっていた訳だし。

 

それを言い聞かされて育った子供からしたら、だったら、お金はあるのでしょうってなるわ。

僕が自分の自由な思考を閉じてきたところもこの辺りにありそう。帰省した時の景色は広いが、家ではほんと何も考えられない。

 

うー。痛くはないが、なにやら悲しい。

 

この人にとって失敗作であることは認めよう。冗談のトーンではなく、本気のトーンだったし。この人には何も返せないわ。余分に稼いでお金で良いなら。耳を揃えて与えたと思い込んでいるものを返して縁を切りたい。

 

血が繋がっているのに、何も繋がっている気がしなくて血の気が失せる。

 

他人と18年過ごしてきたのかという実感。

親子でなかったら全く縁がない人種である。

 

でも、僕の中にはこの人格が最初にあるのだよな。

人格というか環境というか。

ずっと寂しかったから、寂しさに馴れたという節もありそう。

 

姉が「あんたを産んで失敗だった」って言われたというのに疑義があったが、今夜直に言われたから、信じても良いかもしれない。あくまで自分の人生の中の子供であって、子供の人生とか人格はどうでも良いだろうな。母親に歴代の恋人さん一回も紹介しなくて良かった。この人が完全に気に入る人はこの世に存在しない。

 

悲しい心持ちはともかく、僕は僕で在れることを赦しているから、最初の人格には負けないし、自分にとっての効用で人を見ていない。反面教師にし過ぎてバランスが取れてない感はあるが、愛情を傾けたのが失敗だとするよりは良い。

 

勝手に好きなのも、勝手に労いの言葉を吐くのも、返ってくることとセットではない。

 

僕はもともと当たり前を疑っていた訳でなく、出生の事情で疑わざるを得なくなったというだけっぽいな。

 

やっとしがらみから解放されつつある。

 

というところから見ても、宵顔さんのことを好きになった理由がちょっと分かる。

けど、別に今生で何かあるとも思ってない。

 

失敗作(笑)でも、気になってくれるし、対価を求めないところ。

ここにどれだけ救われたかなんてたぶん通じない。

 

僕はもうまともな社会性(家族)の系列で生きることは諦めたから、ここも含めて1人になれるようにしないといけない。もうちょっと資金が要るな。

 

暗い感じの日記になったが、こんな奴ですわ。

 

では。

 

おやすみなさい。

 

良い肯定感を。