虚実の中身

 

 

昨日は楽しくなって飲み過ぎてしまったため、最後の1本と一緒にポカリ、二度寝前にカルピスを補給しリカバリーして事なきを得た。無茶苦茶早めに寝たし、リカバリーできるような酒量は本当の意味で飲み過ぎとは言わない。

 

夢では付喪神みたいな存在と戦うという、全く関係ない物語だった。概念の不思議という意味では、いや、無理やりすぎか。

 

さておき。

 

昨日は(特に私信の方で)でれでれしていたが、タイトル通り、あくまでこの好意は虚実の狭間にあるのだなと想う。現実的な宵顔さんも可愛いし欲している癖に、現実的な邂逅はどこかの場で雑談を数分するだけで十分で、それが半年後だろうが、1年後だろうが問題ない。私信が交信になるとか、現実的にプライベートで会うとか、そういうのもない。嬉しくはあるだろうが、それはそれで相手の時間を消費させている訳で、バランス悪い。

 

あと、宵顔さんにとって僕はあくまで外の他人の1人でしかない。イベント事でたまーに縁がある人。かといって親しい(他)人になりたいのかというとそんな感じもないかも。公私の生活圏という感じだが、日常的に接するとか刺激が強すぎる。(違

 

とてもこの時代に合った好意という感じだが、別にこの時代でなくても同じだろうな。宵顔さんの生活上の時間を僕に対して費やすべきではないと思っているし、それは僕が時間を消費したいより重い。

 

悲壮な感じに読めるかもしれないが、僕としてはこの関係という場が心地良い。参加・脱退が自由、開かれている。十分。

 

せめて現実的にもう少し可愛くなければと思ったが、これは客観情報というより主観(無意識)的な決め事みたいな感じがある。バランスが取れない(本とか劇より重いとか)、声とか顔が残っていないとか、明らかに世界の中で特別扱いしている。

 

あぁ、こういう感情を一般的には恋愛感情と呼ぶのだろうなと思うが、それなのに次逢えるのがいくら先でも良いというのは、不毛、なのか? 

 

いかがお過ごしですか? と聞かれたのも、私は何も返さないですが、こんな場にかまけていて良いんですかという意味合いだったのか? いずれにせよ、現象的に答えた「ぼちぼちです」がまぁまぁ正しい。もっと素直で適切な言葉をあてるのであれば、この「いま」がサイコーに楽しいですだったか。

 

まぁ、縁があれば何かあるだろうし、縁がなくても全然良いというスタンス。

虚実の間で居られるのはいつまでだろうな。

 

新たな虚実の場としての個人ページ。何で作ろうかとぱらぱら立ち読みしていた。次の京都が思いの外時間的に近かったため、準備早めにしなければ。

 

倣ってワードプレスも面白そうなのだが、ちくちくコードを紡ぐというのも捨てがたい。すげー時間かかりそうだが、1日30分でも3ヵ月あれば、45時間。あれ計算合っているのか。30(分)×90(日)=2700(分)÷60。6×4=24、40時間は2400分、27-24=3、300分=5時間、合っているか。45時間って時計時間で言えば2日経たないのに、何かだけを45時間やるってなかなか積み上げたなという感じがある不思議。

 

コメント欄はなくていい。連絡先、も要らないか。コンテンツとしては書評だけでも良いが、ここで書いている日記も移行しても良いかもな。鍵とか付けないから誰でも読めるという意味ではどこに置いても同じ。もちろん知りたい人は教える。

 

内輪向けではない、自分だけの言葉をインターネット世界に投じたいのか。

そもそも、「自分だけの言葉」というのが言葉の機能からすると矛盾なのだが、相手にどう捉えられるかを完全に開けばあるいはあり得ることなのかも。僕は相手の中の語彙を気にし過ぎている。

 

志向性としては進んでいる気はするが全然完成しないな。

 

暇な人は見守っていただければ幸い。

 

 

やれやれ。ご飯の話。

 

まず物理。本日はお腹具合が芳しくないため、メインは鶏ごぼうをイメージした豚・厚揚げごぼう。かなり冒険して濃い味で作ったはずだったのだが、相変わらずの薄味。副菜は里芋シリーズが終わったため、日常に戻りもやしナムル。コチュジャンとテンメンジャンをブレンドしてみた。お弁当レシピもコンテンツ化できるか? いや、ある程度作っている人向けにしか書けないか。ほぼ目分量だし。いやいや、これはこれで。

 

 

はい、精神。

カズオさんのクララとお日さま。AFの正式名称がやっとでてきた。「人工親友」。やはり、予測通り。むちゃくちゃ買いたくないおもちゃだと思うのだが、なんだか手塚治虫さんの「ロビタ」を思い出す。最新の物語と同じような構想を人工知能が全く発展していなかった時代に創ったのは凄い。

 

面白い描写。クララ(AF)が、外の世界の人間のやり取りを見ていて、ある一方にとって相手は敵か味方かという観察をするところ。凄く人間味があると思う。AIが恐ろしく感じる人って、人間が至上であるというバイアスがあって、自分のアルゴリズムが剥き出しにされるのが怖いのかもしれない。

 

敵を創るって、精神衛生上とても楽。合理的な振る舞いと言って良いと思う。自分の嫌な部分もすべて丸投げできる対象。哲学の祖のソクラテスさんも奴隷制の時代性まで疑えなかったし、自分より低いものが居るというのは凄く安定するのだろうな。

 

現在で言えば、年長者より年少者が未熟だという価値観とか、今後は打ってない人が敵になるのかもしれない。女性上司、若干そういう感じがする。なので、ちょっと離れ気味に接している。

 

 

僕としては、極限状態でない限り敵は自分の内にあるという感じだから、人は人だし人工知能人工知能でしかない。

 

あと、信じられるものか。

 

「むずしい天皇制」で、意味のない記号という概念があった。意味がないからこそ記号に依拠できるという習性に、共産主義とか天皇制が繋がっているではないかという下り。

 

たしかに人って中身が何か分からない記号としての言葉も好きよな。

流行り言葉とか、中身を吟味することなく使うだけで疎通できる。LINEのスタンプを彷彿とさせる。

 

僕が信じているのは自分の感じであって、言葉はその後に来るものでしかなかろうなという感じ。言葉はあくまで現象化としての1つでしかなく、そのものではない。

 

そろそろおしまい。

 

台風どうなったのだろう。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。