不可得の獲得

 

 

日記の更新が止まってしまった。特に何かあったという訳でもないが帰宅後に書けるコンディションでもなかった模様。出自がしっかりしている会社の男性陣と仕事終わりに呑んできただけ。

 

一日分、空虚に吸い込まれた感じ。たぶん楽しかったのだろうけども。

 

お待たせしました。(?)

 

数年ぶりの呑みだが、人と飲むと破滅的にハイペースに飲むな。我ながら。たぶん他にすることがないからというだけであって、特に粗相はない、はず。基本飲み続けてニコニコしている。

 

1軒目の生ビールがキリン一番搾りでよっしゃという感じだったが、二軒目の対策ばっちりみたいなお店はアサヒで、しょんぼり。その後、飲み会がなければ家で飲むつもりだった日本酒を頼んだら熱燗が来た。上司は冷酒派でなかったらしい。熱燗はすいすい飲めるから駄目なのだよな。そこから解散後の帰り道に飛ぶ。意識の端で盛大に転んで溝に落ちている姿がある。実際ところどころ打ち身だし、顔にも擦り傷があり、バッグの中がどろどろだった。昨日買ったばかりの「日本の最終講義」という本も汚れている。まぁ、読めれば特に気にしないが。

 

呑むときに余力残しとかないと帰りが大変です、まる

帰った後に私信も送ってないのは、淋しくはないのだろうな。破滅的な飲み方も投げやりな訳でもない。

 

話題は当然仕事の話。上司は僕を抱き込みたいという節があるみたい。やらかしてその見解は無くっているかもしれないが(笑)。仕事の話題だけだとつまらないから、去年岡山の鬼ノ城にこっそり行ったこともぶっこんで置いた。職場の人間模様が少し更新される。同期がストレス過多なのではないかと心配していることも言っておいた。粗相があるとすれば、挨拶もせずさっさと帰路に着いたのではないかということだが、まぁなるようにしかならない。明日怒られが発生したらそれもてらいなく書き込む予定。

 

明日が来ないという可能性も当然ある。

それはそれで仕方がない。

 

昨日からの明日である今日の起き抜け。二日酔い感はない。日本酒の酔いは吐き気ではなく気怠さとして残る。ご飯も食べられるのだが、体を動かすのがとても億劫。横になっていれば大丈夫なのだが、縦になれない。断続的に寝ながら昨日の記憶を考える。歯磨きはしたらしい。しこたま飲んだ起き抜けはなんだかいかがわしい気分になる。人間的。

 

 

本日は弁当も作らなかった。

自分のペースだけだと全く問題ないのだが、人とペースを合わせて生活するのは難しい。

 

 

本の話。

 

お風呂読書も本調子にはならず、「日本の最終講義」の第一章と、「海辺のカフカ」の下巻だけを読んだ。第一章は「禅」の話で、立ち読みして即買いを決めたのがこの冒頭のフレーズ。

「心は不可得である」。酔っぱらいの話から一転して真面目な話なようだが、同じことかもしれない。

 

禅の話を真面目に読んだのは初めてかもしれない。ただ、概ね似たところがある。不可得であるというのは、要は物質としての物ではなく五感で感得できない「もの」であるということ。理性では入口までしかたどり着けない。理性はもちろん大事だが、思索された言葉では心そのものには届かない。感得された行動でも。

 

驢馬の話が出てくる。驢馬に乗っているのに驢馬を探している人。最終的には驢馬が自分であるとなるらしい。よく分からないが、なんとなく沁みる。

 

僕は言葉を大事にしているが、言葉の前にある「もの」を読む。人の心は言葉から逆算されるものではないし、非言語情報に溢れている。

 

そういえば、挨拶の話って書いたのだったか。挨拶が好きなのは、これが相手の存在を承認していることを示す(主に自分に対して)からなのだが、哲学少女が、時間の位相が異なる存在としての僕との時間が一体となる感じであると表して、たしかに調律性もあるよなって。ものとしての関わり。物体としての人であれば触れば存在を感得できる訳だが、どれだけ触れてもものとしての人には届かない。

 

人物像という虚像。これも一応現実の情報の集積で理性が感得している物っぽいが、どうあっても暫定というか、1つの可能的な存在でしかない。ただ、人の中での他人はこの虚像としてしか生きられない。誰かの中に在る自分は自分とぴったり一致することはないが、そういうもの。心の不可得性を持ってくると、自分像すらも虚像でしかないとなる。

 

虚像と虚像の交わりはともかく、哲学少女の中に形成されている僕の像は自在で心地良い。これはお互い様で、僕も哲学少女の像を特に決めておらず、存在として認識しているだけだから。

 

僕は二元論で世界を感得していないから、清濁とか背徳とか気にならない。

そんなことより貴方が気になるし、この意味で僕のことを気にしてくれる人が気になるところ。ちなみに哲学少女は彼氏持ちである。宵顔さんも同居人持ち。

 

なるほど、次の変更はこの辺りか。

虚ろなところには居たくないし、もっと動きようがある。という可能性を模索するところで退場が起こりそうなフラグはなくもない。

 

とりあえず、明日は顔に傷が付いた状態で出勤してみるという試行。

 

まだまだ人生劇場は場面展開する。

 

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。