らしき

 

 

物事はしかるべき配置へ。

 

 

思索が言葉でないところまで落ちている(昇っている)し、体も動くから調子は良いのだが、何かざわざわする。何を感覚しているのだろう。ざわざわって中立的な感じだから何とも言えない。

 

 

形而上のことばかり浮かんでいるようで、形而下のことにも沈んでいる。最終的には人間(の可能な世界)として集約されて、全てに貴賤も上下もないのではというところに至る。

 

誰かに物体として触れたいと思うのはその人の可能性に触れたいと希求すること。

 

 

「現実感」そのものを問うているのは、離人症の気質があるのかもしれない。たしかに20代の頃はそんな感じだったが、これは規定された客観的な世界観への疑念であって、自分が現実に疎隔されているという感じではなかった。膜みたいなものはあったかもしれない。でも、この膜はどうあっても人は同一の世界軸に存在できないという当たり前の話だと思われる。人と人とは同じ時間に同じ位置に居ることはできない。だから、現実的にも精神的にも空間と時間という拡がりを持った場所概念を作ったのかも。

 

精神世界において時間は移ろいではなく距離になる。ならない?

 

 

現実について、ふと出てきた言葉。

人の現実を変更するのは情報そのものではなく、それがどう解釈されるか。そうして解釈は思考ではなく感覚に近い。情報をどう捉えてきたか(捉えるべきか)の経験の集積。共通感覚と繋がって来るのか。

 

美学の本で「存在は思考するもので、実在は感覚するもの」というフレーズがあった。禅の話にあった、本質は理性では届かないというのとも繋がっている。こうなってくるとやはり、現実とは客観ではなく恣意になる。もちろん、社会生活上のモラルやルールはそこに生きるに際する弁えとしては大事だが、現実感は言語化されるようなものではなく感覚的な器官でしか捉えられない。本来孤立だが、共通感覚(普遍的無意識にも近そう)によって、なんとなく仲間感を得られる。

 

だとすると、思索はなんなのだろうなというと、具体的な方向を持った思考ではない、単に自分のナカを流れゆく徒然を眺めること。論理ではなく感覚に依っている。

 

 

という、感じでしか生きてなかったなという感じ。

 

「共通感覚論」で、生きているだけで何かを表現せざるを得ないというフレーズがあって、表現物としての自分に諦めがつく。まぁ生きるということは表(現実とされる時空)に自己を現し続けるのだから、誰かの入り口の石になるのもどうしようもない。ただ、僕は自分の変更を時間の移ろいと連動はさせていない。時間の感覚も客観的なものではなく、相対的で主観的なものだから。

 

人を舞台装置の一部にする解釈は、いかんせんしっくりくる。物事は時間によって距離が離れていくだけで、忘れるような実在ではない。気持ちも保存されるもの。あくまでこの生きやすさは僕の人生劇場の話だから、誰かが同じように解釈しても上手くはいかないと思われる。参考にはできるかもしれない。

 

忘れられない人が残っている精神が好ましいのは、僕もそういうものだからなのか。

動くも留まるも意志である限りそんなに変わらないのかもしれない。

 

 

なんだか書いていているうちにざわざわが収まってきた。

 

コンピュータ界隈も少し進む。また1つ写経。

ここも面白い世界。完全に文字列で形成されている。

 

法律学も自分なりで解きほぐせるようになってきてほっこり。

文字を情報として記憶するようにするのではなく、自分のナカその概念を形成するように感じで読み取る。共通感覚の権化が法律だからそういうので良い。細かい知識は省略。

 

「性愛と資本主義」では、「ニューロマンサー」と「ブレードランナーアンドロイドは電気羊の夢を見るか)」が出てきた。人格の同一性とはなんぞやという話。歴史とかキャラクターみたいな情報が自己を形成しているとする常識的な世界観を動揺させるような本達。ブレードランナーは原作しか読んでないが、現代のAIへの不安感にも通じているのかも。

 

なんだか、攻殻機動隊(アニメ)のテーマにも繋がっている感じがある。情報は電脳で共有できるが、そうなると当人の同一性は何をもって証明するのか。ゴーストがささやく。自我の同一性といえば、アニメ繋がりで「サイコパス」もちょっとそんな感じがある。犯罪係数で人格が判断される社会において、自分がどういう人物なのかをどう保つのか。

 

個人的には、自我という定義なぞ特に必要が無いという世界観だったりする。

生きているだけで当人であって、特に証拠は要らないような。規定する必要がない。

 

海辺のカフカ」の記号性とか虚ろな感じはともかく、なんか登場人物と作者以外にも書いている人が居る感じがあって気になる。「星野さん」と書いているのは誰なのだ。この小説、「時間」もテーマになっていそう。失われた時間を求める。

 

時間は失われる。

ほんまか?

 

失われるのは時間ではないような。

 

 

いやはや、楽しんでおる。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。