メタ的な場所

 

 

余分がほとんどない怒涛の1日。

 

 

どうでも良いメタから。

 

ここ何日かの日記、読みにくいのかなとふと思った。早口過ぎる?

まぁ、読まれることに対する感謝は標ではなく跡が付くこと(ぜんぜん観測してない)だから、読めるものになっていればそれで良い。いつもどうもです。何かの考えのとっかかりになっていれば尚良き。

 

さて、戻して。

 

朝の夢。何故か算数の計算問題が出てくる。直径と対角線が等しい円と正方形の面積はどちらが大きいのか。これって正方形のマンホールがないという知識から円の方が大きいのだろうなと想像できる。正方形のマンホールの蓋は角度によって落っこちてしまう。

 

これを微睡みの中で概算しようとしていた。今のところは脳内黒板もないし、何故か分かっている線の長さを7に設定したから計算がややこしい。三角関数にもう少し詳しければ対角線が7の正方形の面積なんてすぐ出るだろうし、円の面積も(3+0.5)の二乗×πですぐ出る。過程は省略して、もっとも分かりやすいのは、対角線と直径をルート2に設定することよな。正方形の面積は1で良いし、円の面積も2分の1(2分のルート2の二乗)×π(3.14)として、少なくとも2分の3以上になるから、円の面積の方が大きい。

 

二度寝の中で何をやっているのだ。

個人的には微積分の概念とか正規分布の意味くらいは分かるようにしておきたいところ。計算できるかより、考え方というか空間的な認知。

 

そうして、朝の身支度をして出勤。

観測対象の田んぼは植わっている稲のズレが気になっていた。課外授業で有象無象(言い方悪い)の子供が植えたのだから仕方がない。今朝、田んぼの持ち主も気になっていたらしく、調整のために長靴を履いて歩いていた。子供に自然を体感させるために所有している土地を提供できる良いオーナー。

 

 

仕事はまぁまぁお祭り騒ぎになっていて、こういう時に人の本質が出てくるよなという感じ。ストレス耐性がどれくらいあるか。僕も自分が動けばそれで良いのだったら勝手にやるが、個人で判断がつかないことが多すぎてなかなか大変だなぁと思いつつ、先輩と雑談していた。皆しんどいわなぁって。

 

「香君」との繋がりだが、人って、特にきちんとした理由付けを求めている訳ではなく、自分が納得できる理由があればそれで救われるし、正しさの後押しがあれば尚良い。それで間違ったとしても、後押しした人に責任を押し付けることができる。信仰ちっく。

 

でも、物語(神話)の効用はこういうところにあるのかも。

自分の位置が確保できる物語を皆求めている。

 

 

そうして、帰宅。

土日も仕事で切れ間がないみたい。明日は昨日までより一気に2時間早い出勤になるため、帰ってから一服する暇もない。それでも一連の流れは止めたくないから、帰ってから30分後のお風呂に入るまでに、夜ご飯と弁当兼用の副菜(春菊の胡麻和え)とメイン(鯖缶、ズッキーニ、新玉ねぎ、にんじんのオリーブオイルマヨネーズ生姜白出汁仕立て)を作り、シャツにアイロンを当てた。

 

(どうやって収めたのだろう?)

 

お風呂読書とこの硯に任せる時間とのちの通話時間を確保してなお7時間は寝られる予定。

 

しかし、これって、読書と書くことの時間をないものにすれば、かなりだらだらできるのはたしか。どんなマゾなのだと問われたら、これが楽しくいきることですわって答えたいところ。自分を使わない方が疲れてしまう。

 

 

ともあれ。

 

演劇成分の補給。ここ何日か書棚からアピールしてくるものだから、小説の読み返し枠の1冊と交代。モリエールの「人間ぎらい」。誰かれ構わず尊敬するのは誰にも尊敬を払っていないという言葉に鉛筆で線が引いてある。50円で買ったらしい。

 

シェイクスピアさんよりは読みやすそう。でもこれって、翻訳者の手腕なのかもという説。だから、台詞のフレーズを暗記する意味はない。原文ではないのだから、感じで捉えるしかなかろう。記録媒体としての脳は不正確過ぎる。

 

「天才脳」ががっつり記憶力のことを書いていて、「共通感覚論」にも記憶術が出てきて、対比が面白い。記憶術の方は頭の中に場所を作って、その場所にしかるべく保管することだとか。僕はこういうのは駄目だった。なにせ、頭の中に場がない。脳科学から見た記憶力は、こういったフォルダとしての記録ではなく、もっと全般的な脳の動的活動によるものとしている。何か新しいことを覚えるためには今までの情報との連動があるし、記憶は孤立した物ではない。

 

こういう意味での記憶力なら活性化したい。いや、しているのか。

語彙のピークは70歳という話もあってまだまだ先がある。

 

概念は運用ありきだから、定義として言葉で持っているだけでは使えない。

いや、それを持っていることで何か救われるのであればそれも良き。

 

 

刑法談義。

は、省略しよう。

 

 

現代詩。詩の先生曰く、1人の好きな詩に逢えばそこから読めるようになるとのこと。

たしかに、詩に一般的な意味を付けずに読むという所作ができてきた。これを嗅覚と呼ぶのは、結構正しそう。説明できない感じの世界の中で書かれている詩は美しいし、だから響く。

 

今日読んだ人の詩のフレーズ、全くコピペできないのだが、それがほんとの詩の読み方なのかもしれない。記憶情報としては抜けているのだが、たしかに存在している感じ。

 

記憶力の定義って「符号化」、「保持」、「想起」らしい。

一般論としてはとても分かりみなのだが、個人的にはこの枠では生きていないような感じがする。まずもって符号化を辞めたし。

 

覚えていないという感じで生きていた方がより思い出せるという感じ?

 

なにやら、非言語領域になってきている。

「最終講義」で、建築学者が、空間の観念のことを書いている。どこが外でどこが内かは国によって違うとか。ホテルは靴を脱がないが、旅館は靴を脱いで入るとか。

 

場の観念も素朴では逆に分からなくなってきている。

 

また明日。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。