なんも知らん

 

 

 

美味しいご飯でお腹いっぱい。明日のお弁当がそういう専門のなんとかグラマーくらいの彩になっている。ささみの大葉包みフライ、茄子の煮浸しもろ味噌和え、残っていたマリネ。

 

今朝、10分程の時間で、自分用の味噌汁、目玉焼き、納豆、食べるラー油(きくらげ)でご飯を食べる姿を見て、生活と料理が馴染んでいるなぁという感じ。僕は朝ごはんを食べない派なのだが、あんまり気にならない。手際が良いなぁというだけ。見倣おう(影響されよう)。

 

本日の晩御飯にはタコと茗荷ときゅうりの和え物もあったし、高菜と鶏そぼろの混ぜご飯(混ぜたのは僕)もあった。これと同じクオリティを外食で食べるとすれば数千円規模なのでは。まさに個人が作りましたという角がないのも凄い。まぁ、角のなさでは負けてないとは思うが。

 

惚気はとりあえず収めて。

 

さておき。

 

本日はなかなかの暑さ。そろそろ日の下では出歩けない。でもオフィスが冷えるからお弁当は光合成しながら食べたいところ。どれくらい気温が上がれば公園から人が居なくなるのかは気になる。白い鳩ぽっぽの走り方が独特の前傾姿勢で見ながら笑い合った。急いでいる風だが、普通の鳩の姿勢で持続的に走る普通のポッポーに持久力で負けている。

 

仕事では、オープニングの発話をしたら、「○○さんの声だと分かりました、今日は良い日だな」と言われる。僕もこの人は適度に距離感を保ってくれるし、変に指名しようとしないから良き。たまたま当たって良かったなという感じ。あと、もう1人はたまたま苗字が同じ人で、年齢と既婚かどうかを聞かれる。これは下心ではなくて、同(氏)族感から来ている。職場的に答えて良いのかなぁと思いつつ、気ままな独身ですわと返してしまう。制限かかっているお喋りはあまり面白くない。まぁそれが仕事だ。

 

どうでも良いが、僕がふわふわふらふらしているように見えるからか、僕の動向を見守る層みたいに分類される人が時系列で所々現れる。別に大丈夫ですがと思いつつ、変な感じはなくもない。なんで僕の動向がそんなに気になる? 興味関心とは別次元のような。

 

帰り道は7時過ぎていても明るい。夢で見かけた紫の彼岸花風の花をまた見つける。

 

 

やれやれと、思索パート。

 

「人生を変えた三冊の本」というのは何かテーマだったのだろうか、僕が見た記事は教科書だった。たしかに、それによって指針として方向づけられたという意味では変えたとも解釈できるが、個人的には本が人生を変えることはないと解釈している。

 

まぁどう捉えるかという話で結果としてはあまり変わらないのだが、そもそも本って教科書も含めてそれを読もうとする何かが自分にないと読まない。ちなみに僕は教科書は、全滅だった。国語の教科書に載っている小説の抜粋から原著を辿ることはあっても、教科書の平易性がなんとも駄目。だから今自分セレクトで再勉強しているところ。

 

倫理ではなく政治経済選択だったから、倫理の教科書に何が書かれているのかは知る由もないのだが、下敷きの哲学者は誰なのだろう。日本って西洋かぶれだから、カントさんは載ってそう。政治よりの思想だとモンテスキューとかルソーとかロックで、儒教よりだと孔子とか?

 

ともあれ。

 

僕は読書家と自称している人より貪って読んでいると思うが、本が人生を変えるではなく、人生が変わったから出逢う本が変わるという解釈。世界線の選択に本は使わない。人が遣えないように。

 

こういうのは、捉え方だが、捉え方が個人の世界の全てのような気もする。

人生を変えるような本があると捉えることは、主体としての自己が受動態になっている。こういうのは、人生の主導権が自己の外に置かれることになって、なんだか他責になってしまう。

 

自分が動いたからその本と出逢えたという方が人生劇場においてドラマチックではないかというロマンチシズムでもあり、あくまで主導権は自分にあるという自責で生きる方が楽しい。

 

たとえば、僕は法律学の資格試験をずっと勉強していて受からなかくてご破算になったのだが、ここは人生劇場では全然無駄でない。人の自明的なルールがそうでもないと知る為にはこれくらいの時間が必要だった。ほんとうに何かしたいのであれば、きっと習得より試行に向くのに、この枠では生きれらないということにやっと気付くという。

 

最近、仕事で自発的に弄っているExcel関数が面白い。統計とか集計とか僕の素朴ではないのだが、EXACT関数とか。統計学もなかなか。世界が悲観的であると決めるにはまだ早いよなって。経済学の統計化はどうなっているじゃろう。

 

ところで、「香君」の次の枠は、「砂の女」になった。100分名著がなかなか面白いというか、なかなかぴったりな本を提供してくれていて。ミーハーっちゃミーハー。聞いところによれば資本主義のことも書かれているようだし。

 

それとは別に、引き込まれる。昆虫とか砂が腐るとか、現実感から微妙にずれていくのは、神話の定義にも当てはまる。最低限の直感に反する。

 

資本主義の概念は未だによく分からない。

 

ふと想っているのが、この概念の流入は個人観を強固にしたけど、英知の継承とか共有を阻害しているのではという感。

 

文字数少ないがここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。