断続的に眠りつつ、アクションゲームのアプリをしていた。

アクションほんとへたくそ。不器用なのか、ゲームをきちんとしようとしないのか定かではない。

 

基本的にきちんとしていない。

 

外からは結構きちんとしているように見えるよう。部屋が綺麗そうとか(皆無)。文章も雑になってきていると思うが、文体はより素朴になっている感じだからこれで良い。

 

無知の塔に、置いていった狩りの収穫ブツを追加した。「文学理論」。理論に思索の意味が当てられていて、なるほどと想う。たしかに理論は思索の集積というか体系化。ここからすると、僕の思索もなかなかきちんとはしていない。

 

まぁでも、きっと、個人個人、それぞれが自分としての理論を所持している。

体系化のメリットは、既知と未知を分けることができて、未知に対して既知を使えること。

 

僕の学問の最初は法律学なのだが、この学問、結構体系化がしっかりしている。

法の存在形式(法源と呼ばれる)から抽象的な趣旨目的があり、そこから枝葉末節の細々したルールに至る。

 

おそらく数学をモデルとした教育法なのではという感じ。具体的なルールから抽象的な目的というか原理に遡っていくやつ。たしかに、現在どういった運用がなされているかについては暗記というか知識が必要になるが、知識そのものをどれだけ増やしても学にはならないという。

 

法的三段論法に馴染めない落伍者(おちごしゃと読んでいた誤読者)。

 

数学をモデルとしても社会において自明な規則がある訳ではないから、定義付けが曖昧になってしまう。まぁ曖昧さこそ人間の存在だし、ここであくせくすることに疑問はない。現代日本の自明な定義は、個人の尊重であって、個人とは固有の人格で在る存在と定義されているはずだが、そもそも人格も曖昧であるという難しさ。

 

 

この感覚で他の社会科学を読もうとすると全然読めない。それぞれ理論はあるのだろうが、流用した科学の出自が微妙に違うのだろうな。経済学は数学と物理学のブレンドで、心理学は臨床試験という意味で医学っぽい。どちらも現象から理論を構築するものであって、理論から現象を考察していく学ではない。帰納法で良いのだっけ。

 

傾向で捉えるしかないのが人間の全体性だし、面白くはあるのだが、心理学はとんと食指が向かなくなった。人の中身を類型にはめるのはそもそも無理なのではないかって。もちろん、この社会と相性がいいかどうかくらいではざっくり分けられるはずで、類型を増やす学問なのかもしれない。

 

自分の社会に馴染まない傾向に名前が付くことで安心する人は居るのも分かる。

アイデンティティは生きている社会との癒着があるもので、自分について何も思索しなくても自分で居られる層が通常の人という統計がありそう。

 

 

社会科学はともかくとして。

 

(投票用紙が届いたのだが、「大切な一票です。棄権せずに投票しましょう。」と書かれている。これって誰にとっての「大切」なのだろう。憲法学で、投票権は人権であるという説と公務であるという説があることが思い出される。選ぶためには情報が要る)

 

 

人文学はほんとに学問として成り立っているのかと危うい感があるのだが、学問の源流である哲学由来だから自由度が高い。変な話、特に理論がないように見受けられる。より思索を練り込んだ人の思想が理論になっている感じ。だからきちんと人のテクストを読み込んでいる。科学になると、偉人の理論から抽出した意味が問題になる。

 

テクストはテキストではない。僕にとっては当たり前なのだが、テクストの語源はテクスチャーである感触。個人的に「感じ」としている、言葉の意味ではないもの。

 

日本語だと情緒とか端緒とかになりそう。

でも、日本人、そもそもここで楽しむ文化がある。俳句とか短歌とか。

 

自分が読みたいように読んでも良いし、もっと別の軸で読んでも良い。

テキストの解釈は文字から離れられないが、テクストだとそうはならない。

 

やれやれ。

安部公房さんの「砂の女」、めちゃくちゃ面白い。

言葉をいちいちかみ砕かなくても、情景が浮かぶ。砂にコーティングされた女の裸体とか。

 

読んで居るうちに、この「砂」って何かのメタファーなのではというテクストの解釈が浮かぶ。きっと資本主義における「貨幣」なのだろうなって。生きる上で必ず付着するもの。

 

もちろん、こんなの異端で良いし、正解なんて知ったことではない。

安部公房さんの小説ってたしか国語の教科書には載って居なかった気がする。おそらく文学者の権威が一意に解釈できないから外したという説。

 

かといって、国語の教科書に載っていた小説が一意的に解釈できるものというかと、んなことは絶対ない。一意的なのはその時代の中だけで共感的に読まれるのだが、時代を越える小説は何か普遍的なところを書いている。

 

文字数少ないが、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。