世界のはしっこ

 

 

待つと遅れる、惜しむと一目散に去る。流れるのを眺めると一定。

人生劇場のスピードは感覚次第。

 

 

仕事があまりにも暇で、希望があれば半休で良いとのこと。

即決で帰ることにする(周りには悩んでいる風を醸す)。あんまり暇だから、数学の問題で当時解けなかったのを再考。二次関数を直線が区切った領域の面積について。曲線部分も含めると公式があるらしい(ちょっと調べた)。微分はまだ分かってない。中学時代に曲線と直線のそれぞれの交点から原点0に直線を伸ばして作られた三角形の面積問題があった気がするのだが、あれってどうやって解くのだっけ。微分は使わなかったはず。それぞれの辺の長さまでは解けたのだが、三角関数に三辺が分かったら面積出せる公式があったような。というか、その知識無くても解法があったような。

 

高校数学の再読は、公式を覚え直すのではなく、公式が何故そう成り立っているのかという物語を見ている。まだまだ読み取れていないが。昔はもう少し直感が働いていたような気もしないでもない数学世界。大豆田とわこに倣うか。

 

面積を出すのを諦めて、Excelを眺める。1つのセルって四文字の漢字がちょうどはまるから、しりとりでもしてみるか。文章力を向上させるためにはしりとりが良いとの記事を読んだところからも持ってきた想起。4字熟語縛り。始まりは動画で見た、ニーチェが提唱した概念の「永劫回帰」。普通の人は同じところにずっと留まれないが、「超人」は反復していられるとか言っていた。なるほど、だいたいの哲学者、同じようなニュアンスかも。

 

永劫回帰、奇々怪々、慇懃無礼、印字有無(無理がある)、無味乾燥、有象無象、、、3つ「ん」で終わって考え直して、18までで帰宅になった。純粋な4字熟語ってあんまりなくて、2字の組み合わせが多いのだな。運行状況とか、永劫回帰も訳語だし。

 

まぁ、4字熟語を自分の文章に使うことはないし、単なる無駄体操。語彙が増えたら表現力が上がるともあんまり思っていない。でも、一見無駄なことができる寄り道はとても大事だと思う。仕事中に仕事以外の閑暇(「知性について」で仕入れた単語)があること。もちろん仕事自体をおろそかにするくらいのうわの空にはならない前提だが。

 

どうせ漢字でやっているのだから、漢字の尻を取った方が面白かったかも。永劫回帰、帰宅時間、間、、、詰み。笑

 

 

公園で弁当を食べて帰る。真夏の公園は穴場。灼熱でも出歩く物好きな子供と大人がまばらにぱらぱらしているだけ。一定の環境だと逆に不具合が起こるのは、人間の体のシステムのそもそもが、外界の変化に適応し続けるという変化ありきだからなのかな。ホメオスタシス機能は外界の変化ないと起こらなくて、適温に管理されたところでしか生きていないと精神は安寧かもしれないが、きっと体が狂う。

 

お刺身食べたい気分で、一駅電車に乗ってちょっと良いスーパーへ。ブロッコリーが広告の品で、舌を刺激してくる。これも買う。お刺身はお盆用にパーティーパッケージで、1人で食べられそうな量は1つしかなかった。そういえば、今お盆真っ盛りなのか。季節感を時節のイベント毎と連動していないから、あんまり意識していなかった。いや、今がお盆だという事実は知っている。ただ、その時間感に自分を特に合わせていないだけ。

 

もともとの先祖を想うというイベントとしてなら、昔やった儀式が今出てきているから大丈夫。お墓の下で焚火をして、風向きが家に寄ったタイミングでご先祖様方がやってきたわということで、鐘を鳴らしつつ提灯で誘導して、祭壇に収まってもらう。そうして親戚一同で宴会をするならわし。終わりは既に一同は自分達の場に帰っていて、家族だけで閑散としてご先祖様を墓におかえしする。

 

 

そういう感じで汗だくで帰宅。
エアコンのタイマーはフルタイムで仕事して帰ってきたら部屋を冷やしてくれているはずだが、その予定を忖度してくれる機能はない。冷やしつつコンビニへ避難。かくまってもらったお返しというか場代的に必要なものの外にone-pieceの最新刊も買う。何故か電子版がなかった。特に追っている訳でもないのだが、なんとなく。

 

「ばかげている能力」って、なんか面白い。この能力を漫画の中の権力側が危惧しているのだが、これってきっと現実世界でも同じこと。ばかげたもの(=無駄なもの)を見せたくないのは、それが教育上よろしくないのではなく、真面目さも舞台であるということがバレたくないのではという感じ。コントロールしたいから規制が起こる。我が家の神様的存在だった母親は漫画とかアニメとかテレビを規制するということは全く無かった。手放しと拘束の落差が酷い。

 

笑いが聖なるものだから、それを無くしたいという陰謀論めいた話もちょっと分かる。

新人さんはよく笑って話しているのだが、これって職場だからやっているのだろうなという動機がはっきり読めるから、何か違和感がある。

 

動機なく笑みがこぼれる事象を自分について観測したことはいつまであるのか。

コメディアンの機能はそういうことなのかとなると、大事な役だよなって。僕には特に必要とされないけれども。

 

 

半休で阪急のスーパーに寄って帰って、実況動画を観ながら本を読み進めた。YouTubeってニコ動よりリアルタイムで交信ができるのか、この疑似的な一体感で癒される人が居るからこういう空間が持続する。どちらが先か分からない。

 

やれやれ。

 

 

 

「知性について」が個人の中身を追求するミクロな世界だとすると、「学習する組織」は、企業体というマクロな集団を追求するもので、僕の読みではほとんど同じことを言っているように見える。ついでに「美学」も。

 

マネジメントの本質は個人を捨象して部署間を統合させることにあるというか、おそらくそういう視点を持てるようになるというところ。

 

生涯学習になる覚悟みたいな話があった。母親もそんなことを言っていたような。弁護士になったら一生勉強で、そんな気概は息子にないだろうみたいな。これってきっと学習が外の情報を受動的に習得する、いわばお腹いっぱいなのにもっと食べさせられることと定義しているから。

 

この感じって割と人の本質。僕も要らんもんを食べさせられるのは無理。だって素朴な学習は生きることそのもので可能の範囲が増えること。知識がいっぱいあるとかの頭でっかちな話ではない。そもそも最初の自分の世界は自分がそうやって学習したから生まれてきたものであって、知識の前というか後にある。

 

教育学の弊害でしかないと思うのだが、人は動機がないと情報を習得しないしそれをものにしないという都市伝説。今自分にあるもので、強制的に学習させられた事項ってほとんどないはず。義務教育から高校の18年であれだけ努力させられたのに、残ったものは幾ばくか。

 

今の教育はちょっと変わっているのかもしれない。サイコパスの人の動画で、10代の女の子が、運だけで成り立つ世界もおかしいし、努力だけも変みたいな質問をしていて、よく考えているなーって思った。

 

普通に考えるべきは、教育制度を考えている上層部は、詰め込みで吐き出せたエリート層であって、その成功体感の世界で生きているし、普通の親も教育学を習得した上親になっている訳でもない。そんなコストは国家に負わせるものでもないし、それでも別に絶えない。

 

個人的には愛情を物資に還元するのか、人格を許容するのかで随分違うような感じ。
僕の場合は放任だった。この放任に対してどう捉えるかはそれぞれ。

 

「学習する組織」で、システム思考という概念がある。

部署間の中で、その部署だけの世界で完結するのではなく、企業組織の全体まで思考を拡げるという学習性。

 

個人的にこの本で好きなのは、冒頭のそもそも人は学習する欲求があって当たり前のことというところ。学習は可動域の話であって、他人に知識を披露したり、自分の中で財産にすることでもない。

 

ビールゲーム(ビール!)というマネジメントの講習。小売業と卸業と工場の関わりで、一次的に、流行ったビールに対する振る舞いのロールプレイ。正解は発注が増えたから、欠品になったからといっても挙動をずらさないという感じなのだが、僕としては、いや、そもそもその顧客からの受注の変化を見た末端が情報取って根の方に情報を流すシステムがあったら良いのではという感じだから、役割分担から離れている。

 

役割に分化してきた人類のシステムは分かりみ。他の本も、人は出来事ベースで世界を捉えていて、そこに対する動機で説明が付くことで安心しているというニュアンス。

 

僕としては事後的に語られた動機にどれだけの意味があるのかという感じ。

いや、言い訳しつつそれをしたんだったらした事自体が正であって、その言語には何の意味もない。もちろんここに外在の状況は加えない。台風とか渋滞で遅れたことはその人の行動ではないから、その不可抗力に怒るのはおかしい。

 

なんか変だなとずっと思ってきたことの解明。

僕は普通に生きているが、意志がない人。目的的に世界をコントロールする気も無いのに、それで生きた方が世界に楽しく居られる。

 

ショーさんが、意志は現実的な物みたいなところに向いていると言っていた。なるほど、これが出来事ベースの世界か。

 

たしかに人って出来事で自分を語るが、本来は出来事からどんな抽象を抽出したのかという話なのでは。人とちゃんと見ていない人の方が、人を具体的に語る。だって、具体を人としているのだから。

 

人に忘れられたくないとか、誰かの場所にずっと居たいっていう観念って、おそらくは自分が通り過ぎた人のことは残らないからなんだよな。なんとも不公平だが、個人的な人生劇場において他人は登場人物でしかないから不公平で良い。それこそが主人公。

 

僕は結構勝手に色んな人がのこっているが、記憶力の話でもない。

 

おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。