この先

 

 

語用に御用だ!(すみません)

 

こんばんは。

パートナーさんから語用が整理されていないと言われたのだが、だとすれば読みにくくて仕方なかろうなと思った。とはいえ、語用も気分に任せている節があるので、統一化させるつもりがないという。人をどこに置くか(下)はいつになることやらだが、これに暫定的に集約されそう。

 

はい、文章体に戻ります。

 

良く寝た。だいたい5時間で目が覚めるのだが、その後の意識が朦朧としているのが寝不足時。通常時は浅い二度寝で夢を愉しむ。ナチュラメタバース

 

出勤の道中。曇り空が綺麗。こういうときにいい天気だって言うと変な顔をされるのだが、パートナーさんには若干通じてきた。雨が降ったっていい天気だって感じるし、枯れつつある白い彼岸花もおかし。特に理由がある訳ではない。あえてこじつければ、移ろい自体が楽しいということになる。ただ、劣化しない概念も好きだし、なんなのだろうな。

 

もう10年以上いる街なのに変化が捉えれてそれが退屈にならないのだから、どこに拠点を移しても変わらず毎日はしゃげるのだろうし、何処に居たってそういう意味で変わらない。変わるのに。

 

仕事でも新陳代謝。さらに新人さんが入って来た。あと、どうでも良いが、なんとなく雑談の輪が拡がっている感じがなくもない。眠気覚ましには良いのかも。案件は知識では追いつかず、推論でもギリギリの届くか届かないかを攻めざるを得ないのがいくつかって、頭が沸騰した。先生に余裕があれば一言聞けば良いのだが、先生というリソースも有限であって、本日は余裕がなさそうだったから仕方ない。

 

システムの動きからすれば自然とそうなるはずだが、他の理由が優先されて自然の動きが変わっている可能性があるのがデジタル。いやこんなのアナログも同じで、法律学の裁判がAIで判断できるようになるためには例外事情が多すぎるみたいなのを何処かで読んだような。集約された裁判所が書いた判決文を読んで分かるのはどういう理由でどんな結果になったのかということだが、理由の行間には事情もあって、事情には言葉には出てきていないものもある。

 

どちらも対して変わらないという心象。一元的に把握できるものなぞないという一元的世界観。

 

お弁当タイムに読む漫画が無くて少し困る。別に更新を追って居ないからちゃんと買って読んだ方が色々省エネになる。ジャイアントキリングもだいたい読んだ。なんか読み返したい漫画あったかなと思うと、あんまり無かった。書いていて思い出したのが、さーたんという某漫画アプリのやつ。世界観が面白かった。完結したのだろうか。そのアプリ、別の漫画で一瞬炎上したのといつの間にか1話ごとになっていたので離れてしまった。

 

Webにも次の波が来るらしいから、コンテンツ界隈も何か変わるのかもしれない。

文章しか流さないのは、第一世代らしいが、僕は古典的な手法が好きなのでこれで良い。いや、これがコンテンツとしての読み物になっているとも思わないけども。消費されるように創れるのはいまのところ料理だけ。

 

明日深夜にやってくるパートナーさんが、美味しいご飯をご所望である。ミニトマリネはおいておくとして、塩辛目のきゅうりの浅漬けもさっき作った。メインはどうしたものか。唐揚げは食べてもらったし、お腹空かせてやってくるのだからボリューミーな方が良い。といういうのを帰宅してから30分くらいでやる。ハンバーグにするか、酢鶏とか。いっそ焼きそばとか。

 

こういうのが愛の行為なのかと問われると微妙なところ。

僕の行動規範として、○○だから▽△をするみたいな原理はないから、動機を感情として言語化するようなことが苦手。行動は理由なくされるものであって、エネルギー源があるとしても、言葉で特に特定できるようなものではない。あくまで自他への説明概念として動機やら意志があるのではという感じ。

 

意志とか動機自体を否定している訳ではなくて、言葉(意識)では表現できないところにあるブラックボックスみたいなエネルギーなのではないかという説。

 

好きという言葉の語用が整理されていないのではないかというパートナーさんの解釈は本質を突いている。好きな人に好きだと言われつつ矛盾した行動を現象されたから、言葉だけでは片落ちみたいな存在の捉え方がありそう。

 

基本的に素直だったが、今はそんなに人のことを素直には捉えていない。

逆に表現者の文章だけを読んでその人柄まで馳せるのは良い。自分とは無関係だが、表現物を建設した人はどんな人なのだろうって。こんなの普通の読解ではない、ただの味わいとか感じのやつ。でも、僕の経験則の判断ではない読み方だから、間違って居ても良いし、ズレているとしていたら情報量が足りないか当人が嘘を書いているか。

 

やれやれ。

 

人という存在が難し過ぎる。

いや、難しいのは全然問題ない。これを分かるようになって良かった。自分の解読も進むし、そもそも他人は解読できるような存在でもないし。

 

物体的な自分とは別にメタバースの世界で何者にでもなれるようになった世界におけるアイデンティティってどうなるのだろうな。集合体に安らうのか、それでも自分で居られるのか。こういう世界だと、自分と相手の間の障りがなくなりそう。

 

間の境界が排された人は、人間と言えるのか。

 

ここまで。

 

文字数少ない。1分100文字くらいを目安にしたいところ。

 

はい、おやすみなさい。

 

良い夢を。