字足らず

 

 

モニターから目線を上げると客室露天風呂の先に夜景。明滅のタイミングが微妙にズレていて、動いているような揺れているような。俳句番組を見ている。俳句を学問したことがある満月さんの解説があって楽しい。筆が進まないのはネックだが。

 

俳句の世界は奥深そう。言葉を省いて省いて、ある単語に余白を込めて、なおかつ音とか形でも表現する。もしかしたら発想に言葉を当てこむ表現物ということなのかもしれない。時空も切り取るのか。

 

僕はこういう思考(試行)錯誤はきっと苦手だが、分かり切った言葉をあえて書くのは省エネしたい質ではある。書かなくても説明されるという塩梅も判然としないものではある。結局は、自分が書きたいように書くしかないということになる。

 

さておき。

 

書き終わった時間が遅かったから隈が濃い目の朝。ただ、お酒は少なかったため元気。シャドーボクシングをしていたら(変人)、なかなか良いパンチを打っている、本当に運動神経悪いのかと言われる。運動神経って、ほんとに上の方に行けば体と意図の誤差をどれだけ一致させるかを突き詰めることになると想像するが、一般人レベルだと日常生活で疲れないとか思い通りで動けるかどうかという感じ。体がしんどいからという理由で外に出ないということは無くなった。いや、これだと精神と身体の一致か。

 

洗い物で何かが落ちて来そうになったときにだいたいキャッチできるとか、電車に乗っていてつりつり革を握らなくても揺れに対応できるとか。無軌道にずっと走るとかは過去の自分に負けそうだが、昔寄りは心身が一致しているから、より可動できるということはありそう。

 

中学の軟式野球の体験入部でキャッチボールをしていたらグローブが重くて追いつかなくて、鼻に直撃して痛い目みたときに、自身に運動神経がないというレッテルが貼られた。高校時代が運動領域では一番まともだった。成長期も終わって体の形が動かなくなったから、あとは世界と合わすだけ。感覚で動けばだいたい良い時期。硬式テニスで、ボレーの練習の時に的になっている端に積まれた4つのテニスボールにまぁまぁ良く当てた。

 

 

 

ともあれ。

 

朝ごはんはスルーして、昼ご飯はさわやかハンバーグ。店員さんも客層も洗練されていてびっくりする。トイレで待っていたら「お待たせしました」と言ってくれる人がいた。

 

ハンバーグも美味しかった。満月さんは追いハンバーグをするくらい。

お冷が置かれるのが遅くて店員さんは気にしていたが、2人ともどうでも良さげ。おそらく良く覚えているなというくらい。お客さんって結局どんな匿名的サービスより、貴方は固有の存在ですという記録されていることの方が残る。あれだけ回転率高いお店のお客さんを気にできるってそうとう仕事に神経使っている賞賛。

 

(個人的には生中のジョッキを淵に追いておいたら回収してくれて、そのタイミングで「おかわり」を言おうかと目論んで居たのだか、その発展はなかった。)

 

その後は鍾乳洞へ移動。

だいたい文字は覚えて居たのだが、名前の読み方がユニーク過ぎて、ナビに出てこないからグーグル先生に聞くしかない。

 

竜ヶ岩洞」。この字面で「りゅうがしどう」と読むとか無理ですわ。

 

 

鍾乳洞。めっちゃ楽しい。自然の作用だとしてもそれを一般人が観光できるようにしたのは人だし。オフシーズンでいちゃいちゃしながら通り抜けようとしたら、前のカップルさんが写真撮影しないで下さいという張り紙が貼られたまさにそこで写真を撮っていて滞る。

 

たしかに非現実感があるとても良いスポットであって、おそらくちゃんと自分の目に残してねというスポットに、客観的に残そうとする人は想定されてないし、その映えの解像度はその人が見た世界よりは絶対粗い。冒頭の夜景も画像として貼ってみようかと撮ってみようとしたが、僕の目よりも僕が所有しているデバイスの解像度が粗いから、無理だった。

 

まぁどれだけ解像度が高くなっても、世界は見る物であって参加するものではないという感じだったら何も変わらない。

 

 

参加はどうでも良いというか、参加しているから生の実感がある訳でもない。

 

どうでも良い話。

「相棒」の杉下さんがサイコパスだと言ったら、いや貴様もそうですよと言われた。

たしかに、僕はストレンジカメレオンではなくて、もっとサイコパスを突き詰めることが必要かもしれない。

 

サイコバスの定義には反社会性もあるが、僕は正社会性のサイコパス

人は殺せないが、人の従来の存在を殺すくらいの影響力はあるかもしらん。

 

明日も楽しいぜぃ。

 

頭はまともだが、文章脳が捗っていないのでここまで。

おやすみなさい。