なんだかかんだか

 

 

仕事が終わって三時間弱で勝手知ったる別の街。コンビニの店員さんがなんとなく若いのは、普通は平日の中だからだろうか。ちょっと恥ずかしい物を買った。1日の祝日で旅するのはなかなか居なさそう、でもないか。新幹線いっぱいだったし。

 

そういえば今朝ふと思った、ほぼ人生劇場で最上位に当たるかもしれない安心感。未来の想定をするときに自分が阻害することがないなというところ。例えば気分が乗らないでも良いし、忘れ物とか、寝坊とか。小さなこととは言え、計画とは別に段取りできないのは地味にストレスフル。昔はたしかにそういうところがあった。ストレスというより、自分がきちんと動くのかという心配というか不安というか。最近そういうのが全くないことに気付き、だから気楽なのかと想う。

 

 

仕事が恙ないのも似たようなもので、失敗ありきで捉えた方が案外上手く動く。他の人は知らないけど、がんじがらめに心配で固めるとギクシャクしてしまう。INFPぽいのかどうかも知らない。この性質でふと気になったのが、論理より感情を重く捉えるという話。

 

外に向ける説明とか、言語において論理も大事。先生が本日データの集計を取る案件のスペシャリストと評してくれたが、パズル的な感じで条件を絞っていくのが楽しいだけ。出てきたデータを分析するのもちょっと楽しい。それによって何かの傾向を捉える統計学的な楽しさはまだよく分かっていないが。

 

論理って要は広く説明できるというか、同じ界隈の人にとって繋がりが把握されやすいツールくらいな意味合いと読んでいるし書いている。別に全然万能でもない。

 

そうして感情だが、僕は別に感情という概念を重くは見ていない。感情って中における論理みたいなもので、当人の中では説明付けられるし繋がっているのだから、自分論理と言い換えてもあまり変わらないような。こういう繋がりがはっきりしたものより単なる「感じ」の方が重い。感情は因果が社会的に条件付けられてインストールされたパブロフの犬的なものが多いという感じ。だって、怒らないと(喧嘩しないと)人と理解し合えないって絶対真理でもないし。

 

要は、論理より感情を重んじるという言い回しって、対比構造で感情の方が人情ちっくみたいに見えるけれど、外向きなのか内向きなのかに置いて同列の価値観だと想うという話。

 

感情論よりもうちょっと穿った言説が好き。思考でも届かないような感じの部分。そこまで至って独自の色が付くのではなかろうか。なんというか夜見る夢の領域みたいな場所。

 

デジタルとかアナログとか、理系文系の分類もそんな感じなのではないかと発想したが、あんまり分からない。僕は理系でも文系でもないような気もする。休憩の公園で色付いた歯が舞い散るなかにカラフルな服を着た子供達が遊んでいて映えるなぁと感動するのは何系の感覚だろうとか。

 

人が書く言葉を美味しいと感じるのも、きっと文系でもない。文系ならおそらくもっと文意とか、名言性を捉えるはず。仕事場の同僚の文体もだいたい全員利き文体できる。新人のさらに新人さんについての雑談。シンプル過ぎて読み返した時に何が主訴で何を回答しか分からないみたいな苦言。上層部がそれほど記録を読み返しているか定かではないけども。

 

これって、僕の新人時代もそうとう言われていたのだろうなという、昨日は我が身問題。基本的な電話応対スキルがなく飛び込んだから、最初はガチガチで酷いものだった。この人うちの職場でやっていけるのかって絶対心配されていたに違いない。仕事におけるマイペースがなんぞやというところも分からず、ほんとポンコツだったと思うのだが、よく長い目で見てくれたものだ。

 

今はなんとなく感じが掴めてきたところ。まぁ発展という意味ではなく立ち回りだが。

 

まぁ立ち回りも大事。

敏感過ぎる人とかINFPの人が生きづらいのは、人生劇場の立ち回りがいまいち掴めていないからだと思った。もちろん僕はどちらの性質もある模様。

 

自分以外に色んなものが見えすぎて、他の基準も自分の基準に含もうとしてしまうからいちいち疲れる。きっと外としてではなく内として感じがち。

 

でも結局のところ、自分でコントールできない領域については外としてしまうしかない。それが薄情だという人が居れば、その人は断捨離すれば良いくらいの立場が楽。母親がまさに外(下)に毒をもたらす人なのだが、全然気にしなくても良いなって。価値観が違う。僕なりに尊重はしているのだが、僕の尊重は相手にとり尊重にはなりえないのも分かる。

 

何かが返ってくると思いながら人と関係することほどつまらないことはない。

 

立ち回りと言えば、今の仕事から持ち帰った電話スキルで、事務的な電話が苦にならなくなった。本日ホテルへ確認事項とかお願いがあって通話したのだが、フロントの女性より話せた感じ。できるとしたいは別物で、できることを誇るような精神性もないが、できるなという見直し。僕の事を口下手と評した風評は誰だろう。自分の言葉遣いこそが正しいマン達だろうか。

 

言葉をひけらかしたり、人の誤用とか誤字を指摘したりしたことで自分を表現していると想える人は好きくない。

 

 

やれやれ。

 

明日はデート。ブックカフェと紅葉を眺める予定。楽しんできます。

 

そういえば、もう1つ。

行動経済学が言うところは素朴に引き直しても良いが、時間の概念。今の効用の方が未来の効用より価値があるって、なんとなく分からなくもないのだが、そもそも時間の観念が甘くないかって。

 

この辺り分析していくと投資の概念もよく分からなくなってくるし、未來を蔑ろにした刹那で生きることも微妙だし、結局は当人の時間の捉え方でしかないのか。

 

僕は別に効率人間でも合理人間でもないが、人生劇場の醍醐味は別の劇場から持ち帰るものがあるかどうかで生きようかなという感じ。楽しいってそういうことだし。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

また明日逢えたら良いですな。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。