みちたりない

 

 

遅番の一週間の終わり。遅番の方が長く感じるのはおそらく午前中の方が早く流れるから。忙しさよりも午前中の半分以上は寝ているという活動時間の比率が強い気がする。

 

長いとはいえ、放っておけば終わる。

 

今日は先生とペアで、最後の方で少しだけ雑談ができた。当人はぼやきと認識している模様。人に尋ねる時に無駄情報要らないよねという合理性に共鳴。クッション言葉とか、私何も知らないとか、初歩的なことで申し訳ないとか、すぐさま本題に入って欲しいよねって。知らないことが恥であるみたいな予防線を張るのは無駄情報だから要らないという話。もちろん、それを言ってしまう人情も分からなくはないという理解もありつつ。

 

僕も人の非ってあんまり気にしない。うっかりミスとかすぐ済む案件でも、特に相手にこんなことも気付かないのかとか、こんなことも知らないのは恥じるべきとはならない。解決になって良かったねというだけ。歴史上恥ずかしい奴認定みたいなことをされがちだったから、学習して自分が優位に立ったら恥を押し付けるようになっても不自然ではなかったが、人の非で笑うような人格ではなかったらしい。

 

ヒューマンエラーがない人物って、もはや神様みたいなものでないかということを便座に座りながら思いつく。

 

ただ、問題というか非とは別に、認識を改められない人については勝手に当人の人生劇場上大丈夫か、敵がいっぱいできないかって心配になる。お洒落な先輩が先生と言い合いをしているシーン。先生にそんなことを言わせる(もちろん罵倒ではなく、単なる指摘みたいな言葉)のってなかなか。案件自体は割と良くある問題で、記憶が落ちたとしても経験則で補充できそうなことだったのだが、なんでそうなったのだろう。僕が受けたら即答だし、お洒落な先輩の知識量でも当然引っかかるところはなさげなのだが。なんか余裕が無くなってそうで気になる。

 

同期もこの意味でちょっと気になる。同期はもっと人に聞くべきタイプなような。

 

職場をメタ的に考察すると、席の配置に上層部の配慮が見える。きちんと自分で整理できる人は上司から離されるし、聞かないと不安な人は上層部も心配だから近くなるという推論。たぶんそれほど間違っていない。今度飲み会があったらこそっと年下上司に聞いてみる価値はある。新人なのに話されている人が1人居て、勝手に有能だと思っている。ここで言う有能さは切り分けのうまさで、僕の新人時代のぽんこつ具合では絶対至れない。いや、僕の新人時代にも上層部は可能性を感じていてくれたみたいだが、何をもってかは不明。あんまりフィードバックがないから読めない。指摘されないということは問題ないということで良いのかも分からないところ。

 

僕の世界の景色が変わったからなのかこの職場限定なのかは知らないが、人が地をよく出している。相対的に類型として人を括れば省かれる世界だから、絶対的な視点を獲得しとも言えるかもしれない。

 

自分に何が見えるのかってそもそも絶対的なのか。

お手洗いのぶいーんって乾かす下受けのトレイがハマっていないのが見えたこと。何故それが見えたのか分からない。今まで気にしたことは皆無なのに、あれ、なんかいつもと違うという違和。見えたとこでなんの意味もないが、こういう細々とした違和に気付かなくなると時間がワープするのかもしれない。

 

神経質とは違う。念のため。神経質は、世界の調和の破壊を気にするから、違和に対してストレスだから見えるということ。そんな奴はこんな倉庫みたいなところで生活できない。

 

 

満月さんが眠気眼で待っているだが。

さておき。

 

人が思考より知識を求めることを考える。というか、知ったことで考えた風になれる思想。

人が考えたことを知ったことで自分も考えたことにしてしまうのは、省エネ思想なのだろうな。先生に聞いて聞いたことを吐き出したら自分も巨人に乗った気になるから、自分で考えるといういとまなく聞く。

 

こういうのって社会の遺伝みたいなもので、考えることなんて誰も求めていないし認めない。考えるの本質は破壊なり運動だから苦しい。知っていることの外に出ること。なるほど行動経済学が言うところの思考コストはそういう意味か。外から来た、知っていることって自分が責任を持たなくても良いが、自分の責任となると戸惑う。

 

考えることより知ることの方が楽だから、人は基本的に知ったことベースでしか話さないのか。この意味では、自分のことも知識として把握されていると予想。知っている自分とこれからの自分が乖離したとしたら、平気でとかげの尻尾切りが起こりそう。

 

 

 

ところで、たまたま流れてきた、20代で年収一千万の女性の記事。素晴らしいことなのだろうけど、正味、なんか大丈夫だろうかと勝手に思ってしまった。

 

充実して行動しているキラキラしている自分をベースにしているから、外から評価されなくなった時に一気に反動が来そう。行動できるうちは良い。ただ、自分を認めるという人間性を行動ベースに置くと、思った通りに動かない自分が置き去りにされる。

 

全然楽しそうな人生劇場に見えないのは、僕がずれているからで良き。

一瞬見ただけの人に移入するのも良くない。僕は運動ベースだから行動ベースとは微妙に違う。

 

正解がなくてもがいて考えている人が好き。

そういう人の文章は美味しい。

 

満月さんへののろけはないが、そろそろおしまい。

 

おやすみなさい。