酔っぱらいになれない

 

 

過去の記録を精査する夢から始まる1日。個人的な概念として時間を分ける言葉は扱っていないのだがそれで書くと伝わらなさがヤバイため便宜的に。

 

年譜ではなくてシーン別。最初のシーンは3歳か4歳の時に腕の骨を折ったときに行った接骨院への道すがらと思われる。その後点々とシーンが続く。従弟のうちでファミコンをしたとか、そこでいただいたウインナーのケッチャプ炒めが我が家の和食と趣が違って美味しかったとか、小学校2年くらい頃に駐車場で友達と好きな人について語ったときの地面に敷き詰められた石の手触りとか。

 

記録としてではなく、そこでいま過ごしているというような感じ。だから、過ぎ去って居ない。だって、どの時点であっても自分であることに変わりがない。

 

書き出すと無限に掘り返される。小学校の運動会で夢を表現するというのがあって、パイロットにしたのだった。手を拡げてぶいーんって走り回る。友達から借りた漫画本(わたるがぴゅん)を野ざらしに忘れて雨でふやふやになって、なんとかセロテープで修復したのだが、突っぱねられた。当人絶対覚えていないだろうな。

 

ちょっと下世話なシーンとしては、高校3年生の時の彼女さんと空き教室で過ごしていて、物理的に触れていないのに近いだけで反応してしまう。物理的な境界を越えられたら世界線がズレていたのかも。大学1年時だったか、夏休みの帰省時に深夜の道の駅で密会したシーンもある。このときも確かちょっと頭に触れたくらい。接吻でもしておけば変わったのかもしれないが、割とどちらもよろしくないので越えなくて良かった。

 

よろしくないというのは、前者の人には告白されたのだが、後々再会して聞いたところ、単に恋してみようかという時に同じクラスでちょっとみてくれが良いというだけの選択。謙遜は無駄情報。そういう人も確かに居たというだけ。フラれたときのことも残っている。ガラケーメールでやり取りしていて、体調悪いからって途切れた数時間後に、分かれましょうってメールが届く。お互い受験勉強に集中しましょうとのこと。

 

しかし、今想うと、陽キャグループに入って居なかったのにそれなりに青春はしている模様。この人は陽キャ寄り。たしかダンス部とかだったし。

 

後者は、風の噂で大学2年時くらいの頃に高1の時の同じクラスだった人をキープしながら次の人と付き合っていて結婚したみたいな話を聞いたから。その世界線に入らなくて良かったとしみじみ。

 

 

この過去の話、終わらないからここら辺で切る。

 

夢から起きて、しばしごろごろ。

Dアニメストアを眺めていたらエウレカセブン ハイエボリューションがあって途中まで見た。どういう世界線のだろう。エウレカからくりサーカスで言うところのしろがねみたいな呼称になっているし、短髪美少女だったエウレカが美女になっていた。アネモネも情緒不安定ではなくなっているし。いや、傾向はあるか。

 

そもそもエウレカセブンって最後どうなったのだっけ。

 

 

そうして、運試しにでかける。

秋冬の中間のアウターは無くても、真冬のアウターはあるからこれくらい寒くなった方が好都合。いい天気。太陽さんさん。

 

道中で想っていたのは、ワンピース声真似関連の動画を見ていて、下ネタにはオープンなのに、ネタバレについては神経質だなとーというところから、そんなに結末を知ることで作品に対する熱意が落ちるか? という思索。

 

個人的には、結末がどうあれというか先に教えられたとしても道中が面白ければそこまでの過程を読む為に読むし、結末が先読みされたかどうかによって作品の価値は変わらない。逆から言えば、結末がどれほど上手くオチていても道中が面白くなければあんまり気にならないとも言えるが。

 

この結末厨って、人の結末がありきたりな1通りしかないから、道中で面白い結末を収集することによって退屈を紛らわしているのではないかと穿った。他人の条件情報を気にするのはその時点では結末だからだし、過去情報の結末がどうあれこのあとどうなるかは分からない。

 

満月さんは出逢った頃より未知になっているし、この先人格がどうなるかも未定っぽい。

あんまり統合に重きを置く必要もないとは思っているが、パートナーでもそこまでは関与できない。

 

 

やれやれ。

 

運試し場の結論で言えば、だいぶ負けた。勝ち負けが付くところでは勝てないという世界観が正しく現実化されている。このままでは軽くなり過ぎるからあんまりしない方が良い。隣の人が、このリーチ薄いから資金追加するかと迷っていて、当たってしまってなんかほっこりする。思わず笑みこぼれる。

 

エウレカはちょっと勝った。先を観たかったから。

そのタイミングで満月さんから「わても遊びたい」というメッセージが来て確変がすぐ終わった。別に因果的連関ではないのだが、僕が遊ぶより満月さんに遊んでもらった方が良いのではという世界観になったのは確か。

 

すげー負けたのだが、運試し場の効用も発見した。

なにせ、kindle読書が捗る。スマホというデバイスを見るのは外の人もやっているが、活字を読んでいる人はなかなかいなかろう。文庫本を片手で読むのは難しいが、スマホで読んでいても誰にもバレない。

 

という感じで「刑法の社会学」と五次元の本と、「すべてがFになる」の30%くらいを読んだ。こっちにかまけているから当たらなかった説もある。1パチでやるべき所作。

 

「刑法の社会学」も面白かった。

 

僕はそれほど社会の価値観を正とはしていないのだが、ルールを読むのは面白い。価値観の変遷と国際的で見たときの乖離が酷い。日本はもともと堕胎に寛容で、これが悪いことだとしたのは最近だとか、外国には同性愛が犯罪認定される国があるとか。社会的な禁忌を安易に犯罪とするのもなかなかやばいと想う。共通項としてのやばさは、単に毛嫌いしているからという理由でしかなく、その前後の事情を一切加味しないということ。堕胎が悪いことだと言えるのは勝手だが、その命の責任を負うという人は居ない。雰囲気的に人の命の価値が至上だと思っている世界観なだけで、それほど自然には生きていない。

 

別に誤解されても良いから書くが、人口の生産みたいなルール付けは国家の蓄えによりけりだから、個人の世界観にするものではない。某国であった一人っ子政策ってその他はどの段階であったとしても排除されているだろうし。

 

婚姻制度もここにベースがある。

遣い方次第だが。人って他人の退場を悼めなくて、単に自分の世界線から退場したことを悲しんでいるのだと想う。

 

 

やれやれ2回目。

 

5次元の本が思いの外楽しい。

僕はあえてこういう世界で生きていないつもりだが、共通項がある。時間性が旧来の価値観と変わってきたというのも然り。これって高次なのかはともかくとしても、満月さんも同じ時間軸に居そう。

 

良いことばかりが起こるというとは違うということも正直に語っている。

波が激しくなるから調和が最上とか。統合ではない。

 

僕がまともではないから、まとも定義もあやふやだが、すんげぇまともだなと想うのが、世界は集合的当たり前の意識で決まるというところ。哲学者がやりたかっただろう概念。

 

世界が美しく見えるという画像比較もあったのだが、僕の目が見ている世界の方が美しくて、何がハイヤーだと思ったのは秘密。

 

妄想はしているが瞑想はしていないし、全体的な世界線のズレについては分からない。

ハイヤーセルフが在るとすれば、なかなかドМな世界線の方が楽しそう。アセッションが何かは知らないけども、未來は悲観より楽観で眺めるべき。悲観的な操作って、何か寄る辺がないといけないということ。

 

僕が負けまくっているのは、別にその世界線でも生きられるよねというハイヤーセルフのメッセージだとすると、退場一直線なのだが、罪悪感の世界からは離れた。

 

ちなみに、僕の文章が課金になっても読みたい人って居るのだろうか。

全然無関係な人にとってどれだけ交換価値があるのかはちょっと気になる。

 

絶対他のコンテンツの方が楽しいだろうに、コアなファンが居るとすれば手を上げてくれれば飲みに行きますかってなるのだが、まだまだ世界性が自在になっていないらしい。

 

はい、おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を