くっつきどき

 

 

本日の日記は掲載するか迷っている。

なにせ、自己卑下みたいなところに陥りそうだから。僕が僕で在ることを覚悟した途端、ちゃらんぽらんはともかく、ぽんこつ性が露呈してきた。やはりこの概念のままで他人と生きてはいけないのか?

 

満月さんと齟齬が生じている。にも関わらず共同生活できる感じは変わって居ない。

あんまり発話で説明できる気はしないし、これから書くことも別に個人宛でもないという人格がまさにぽんこつである。傷付いているのかもしれないが、僕は満月さんの人を手当てすべき守るべき弱い対象として捉えていない。

 

マルチタスクばかりしているような生活だが、電話は片手塞がれるし、何かをしながらできない。片手間に話せる事務的な通話だったら移動中にできるし、なんならそこで済ませてしまいたい。そこで済ませるような話しかできないし。発話量が多いのは仕事中だが、それはそうしないと仕事にならないからであって、重きがあるということでもない。そもそも重みとは。

 

昨日日記を書き終えて、洗い物を片付けようというタイミングで友人と会食し終わった満月さんから電話があって、流れが断ち切れた。歯磨きだけしてお布団に入る。仮にこれが共同生活していて帰って来ただけだったら、洗い物しながらお帰りになるから問題ないが、片手で洗い物をすると肩が凝る。

 

今朝にも通話していて、あれ、洗い物残っているわ、電話がかかってきたからだという発言すると、棘があると言われる。たしかにタスクが残っているという意味で自分への棘だったかもしれない。いや、残っているのは単なる事実であって、当人の素朴時間において気にするほどでもない。僕の素朴は通話もLINEもとんと低血圧。ここの文章は、誰とも双方向通行しなくて良いという前提があるから書けているだけで、読まれることで関係するみたいな話になれば、当然読者の好みが出てきて影響される訳で。

 

GREE時代とかそうだったか。読んでいる人の地雷を勝手に先読みして書かないようにしてしまう。今は知ったこっちゃない。ある意味人と対等になれたとも言える。

 

 

概念の違い。満月さんにとっての通話とかLINEの交信は現実的関わりと等しい重さなのかもしれない。僕は誰とでもヒトシクできるようなことはあんまり本質的なところとはしておらず、存在の交感はもっと非言語領域だとしているのだが、非言語だから言語化できない部分。

 

 

そうこうして、現実活動。

休日の運試し。自分にちゃんと現実的な場所を取って良いのだよと言い聞かせる。貨幣は道具でしかなく、かといって使い勝手良い道具だし、いっぱいあっても問題ない。ありすぎると巻き散らかしたくなりそうだが。

 

しながら、深層学習についての入門書を読んだ。

関数を階層化するって数学的に意味が分からないけど、これでも人間の精神に至っていないのが人間の凄み。人間の情報処理はコンピュータのコピペ寄り遥かに高度。

 

 

人間の話。

 

満月さんに、僕は満月さんが居なくても良いと言われたのだが、何を今さらという感。

人間は1人で楽しめることを前提として余剰で他人と関係すべきということは書いていたような。いやストレートには書いてないか。

 

満月さんとの生活はスリリングで楽しそう。

 

契約はそもそも他人とするもの。

 

文字数少ないがここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い世界線でありますように。