コレステロール

 

 

早めに起きて準備しつつと思ったが、思いの外準備をすることがなかった。コンセントとガスの元栓を指さし確認してあとは持っていく本選び。「悲劇の解読」と「数字でわかる会社法」。もっと身支度ってあくせくするようなものだった気がする。全然気にならない。

 

そういえば、去年の今日は日記が抜けている。職場の飲み会帰りに溝に落ちた日とのこと。体感的には随分と寒かったような。今年は暖かい。

 

 

お仕事。

 

現在の状況があんまり把握できていない上司から前日に前残業を言い渡される。僕はこの人を有能だと思っているし、使える駒は使えるうちになるたけ使うというある意味サイコパス的な仕事の仕方も嫌いではない。残業分の給料は出るし、対価がある分には使われても問題ない。

 

割と怖い現象を見かける。先生は定時で帰りたがっていてこれは当たり前の事だが、それを自分の仕事を聞くために引き止めた1人の新人さんが、先生は全然帰れないって他人事のように言ったのを聞いたこと。こういうのはほんと怖い。人格が乖離しているのではなく、何かの死角があるような感じだが、むしろこちらの方が一般的だとは思う。

 

同じく使えるものは使うという感覚だが、対価を払うのか相手の善意に甘えているのかで全然違う。対価なき対等の関係は仕事外であって、仕事でするものではない。まぁ仕事の種類にもよるだろうけど。こういう相手を心配しているのが口だけの人を見ると、結構気持ちが悪くなる。いや、もう耐性付いたから大丈夫。太宰さんほど暗い症状にはならない。

 

まぁ仕事という限定された空間で手出しできるのは口だけという不自由さもあるけれど、口を出したことによって手を出したことにはならないよなぁって。僕はあまり口を出さないが、読書の賜物なのか、自分の仕事だけして完結するような場は無いと思っているから、自分を良い評価にする為に言葉は使わない。謙遜も特にしないが、自己評価がポンコツ寄りだから普通に話すと謙遜と捉われる。

 

自分の文章が上手いとも思わないし。

歩くことと同じくらいの自分の運動の範疇だから、自己啓発的に毎日日記を書かなければという義務でもない。今日毎日日記を書かなければ退場するみたいな感覚のお一人様を見かけてこういう謳歌している人は好きだなぁと想うけど、義務的に書いている人は大丈夫かと想う。正味そういう文章はストレスかかっていてそんなに美味しくない。まぁ僕にとって美味しくない文章の方が一般的には人に読まれるのだろうから、好きに描いて読まれれば良かろう。形だけ意味だけが整っている文体はただのカタログな気もするが、その階層で生きたい人がいっぱい居るという事だろうし、それはそれで良いこと。

 

ともあれ、お仕事で言えば僕はもっと余力で遊べる職業を選んだ方が楽しそう。

自分がしたいことみたいな限定はとくになさげ。できることの方向で。でもWebライターは無理だ。不自由に文章を書くことには向いていない。

 

そういえば、健康診断の結果が返って来た。未開封のままでこちらに持って来て満月さんと2人で開封して読んだ。平均値的な数値って見ても分からないが、なんとなく自分が基準値以内に収まっていたら安心はできそう。

 

自己申告の生活習慣での飲酒喫煙は控えめに嘘を付いたのだが、それでも悪影響だったら身体に出るはずだが、結果はオールA逃しの1つB。世の中に蔓延っている健康的生活が嘘だろうという証拠がこの身体なのだが、一応ほとんど毎日自炊して間食が贅沢だという感覚もないから、アルコール以外では精進している。アルコールは肝機能を低下させるというのが一般論だが、肝機能は基準値以内のA。

 

面白いのが、去年より明らかに基準値的に良好になっている部門が多い。コレステロール値が減っている。これって特に何かをした訳でもなく、単にストレスフリーになったからだろうなって。ストレスが全くない人は無敵の人っぽくてだいたいやばいが、ストレスから自分の体を守るために色々溜め込む傾向になるのかもしれない。

 

唯一Bだったのが血液の赤いやつで基準から1少なくてBになったらしい。

ひじきと牛肉を定期的に摂取しよう。

 

 

やれやれ。

 

なんというか、自分の肉体に不安が起こるのであれば、定期健診の前に後ろめたさがある訳で、その後ろめたさを数値が正常であるということで安心にするというのは本末転倒な気がする。数値の前に不具合は体感として観測できるような。今までの自分の体と違うって。

 

 

不安の概念。

 

割とごりごり啓発的な人の読書論が流れてきて、僕の読み方とは違うなと思った。

雑食で読んでいるとのことだが、おそらく自分を向上するという情報摂取の為がほとんどで、自分を更新させる好奇心ではない。

 

将来の不安を減らす為にお金を増やす技術の本を読んでいるという話もあった。

この感覚は常識的なことを認めつつ、この軸で不安がある人は一生不安と共生するのだろうなと思う。

 

不安が外から解消されるものだとする立ち位置だと外が安定しないと内側に安心が起こらないという人生劇場。外界は流動するものだから、これだと外によって自分の存在の立ち位置がいちいち変わることになる。

 

これを気にしないながら外の人とバランス取れるくらいになるのが安心なのだろうな。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。