満ち欠け

 

 

お母様から心臓外科手術の前に急速に減量する時の野菜スープのレシピを伝授されたので早速作った。満月さんを心配しているから作ってやってくれとのこと。

 

ほとんど野菜とホールトマト缶の味で、申し訳程度にコンソメ味。あまりに薄くてコンソメキューブをもう1個追加した。食べる野菜スープ。実際だと炭酸ジュースを飲まないとか、バナナとこのスープだけの日があるとか精進的な制約もあるのだが、そこまではしない。

 

昨日焼き鳥パーティーをしていて残っていたハツを茹でてきゅうりと和えたのと、だし巻き卵でタンパク質も補給していただく。

 

 

炭酸ジュースと言えば、今朝コンビニに行って無糖で果汁のみが入っている三ツ矢サイダーがあってレジに持っていたら、店長さんにそれあんまり美味しくないですよと言われた。無糖だから通常の三ツ矢サイダーをイメージしていたら味が甘味の落差が凄いのだろうと解釈しつつ、買うのをやめはしなかった。甘味がなければカルピスの原液加えればよかろうし。実際に飲んでみたところ、普通に美味しかった。そのまま飲んでも甘味はあるし、寧ろスッキリした味を求めていたから問題ない。店長さんは親切で言ってくれたのだろう。有難い。ただ、味覚というのはかなり個人的な領域であって、自分の美味しい不味いが他人と一致するとは限らない。

 

満月さんがこの前作った豚肉の野菜炒めをあまり食べなかったのは国産の豚肉でないと臭みがあるからあまり食べられないとのこと。腐った豚肉の臭みは分かるけども国産と国産以外の匂いはあまり分からない。ここで思ったのは、せっかく作ったのにということではなく、次からは気を付けよう。匂いの感覚だって個別的。レンチンご飯のプラスチック臭が鼻に付く人も居た。僕にはそこまでの嗅覚は無さげ。意識していけば分けていけるのかもしれないけれど、ここを分けられるようになったところであまり試行にはならなそう。

 

 

さておき。

 

本日は凄く眠かった。ここまでお昼寝をしたのは久々。昨日の日記にエネルギーを使ったとも解釈できるし、エネルギー消費の筋肉痛みたいなことかもしれない。

 

家制度の話って、別に何が正しいとかではなく、肌感なのだろうな。肌感というのは考えるまでもなく、そういうものだとできるということ。僕の肌感としては、先祖代々のお墓を実生活の中で大事にしないといけないというのは、何か変だなという感じ。宗教における信仰は内心ではなく行動に係るから、何かを想っているということが外(現実)に出てくるようにしないと想いではないというのも分かりみ。ただ、それを守ることってほんとうに大事なのだろうかって。家系は最小単位の社会なのか。お母様に硯家はどれくらい続いているのだと言われて、たぶん結構永いのだが、その永さは僕個人とどれくらい関連しているのかが分からず答えに窮する。

 

たしかに人って個人では生まれてこれらないし、人格だって何某かと繋がっているものだけれど、その情報と実際のその人のいまってその繋がりをどうしてきたかの結果だから実際はそんなに繋がっていない気もしていて。それ通りにすることと反面教師にすることの他にどっちでもないということを獲得していることもありうる訳で。こうなっている人に社会的経験則を当てはめるのは失礼に当たりそうな。

 

もう1つ答えに窮したこと。アジサイが好きだと言うことに対してお母様からなんで好きなのと聞かれたとき。何かを好きなことに他人に合理的説明(言語化)をすることを求めていないから、好きなことに理由が要るのか? となる。何かを好きだということには理由があるというのは、なんとなく心理学寄りの考え方な気がする。

 

山育ちだから紫陽花という物体自体はずっと見えていて、それが好きな物として認識された時点というは確かにある。直近の元恋人さんと万博記念公園の紫陽花祭りに行って、硯さんってガクアジサイぽいなと言われたこと。ただ、これで好きになったのかというとかなり微妙なエピソード。これを言っても良かったはずだが、そうすると心が残っているのかと解釈されそうだし。ずっと目に留まっていたが意識されない存在が認識されたエピソードというだけ。

 

相手がどう解釈するかなんて意識していたら、人には何も語れないよなぁと若干諦めたことによって、まだ言葉って拡がっていくよなという遊びの部分。誰のことも気にしていない自分の言葉がほんとに在りうるのかというのはかなり深刻な命題だけれども、そういう言葉を見つけていく時期なのかもしれない。

 

 

という感じで言えば、好きであることを共通項として説明する言葉も準備はしとくべきだろうなと思う。実際にどうかは不可知だが、なんでそれをやっているのですかと聞かれた時に、一般心理学として納得できそうなストーリーを創作しておくという感じ。辻褄が合えば相手は納得してくれる。

 

 

相手が生活外で何かをしていることの理由が気になるのって、おそらく当人のことを把握したいという動機からであって、宙ぶらりんな事象より、理由付けとのセットの方が相手のことが残り易いということなのかなという仮説が浮かんで来た。個人的にはそういうところはあんまりない。説明されたら事象より動機の方を重視するけれど、実際に見ていると動機はそんなに稼働していないことの方が多いような。動機はあくまで言葉だし。

 

 

満月さんに現を抜かしてしたから昨日より文字数が少ない。

満月さんが半月さんになったらもっと少なくなる可能性もある。三ケ月さんになったらどうなることやら。

 

アイス食べて寝ましょうかな。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。