あられもない

 

 

 

朝起きると喉の奥が痛い。右側の方で唾をのみ込むと激痛が走る。龍角散のど飴を右寄りで舐めてみたが、全然収まらない。満月さんがこの前風邪を引いた時に買ってきていた喉スプレーを使ってみたが、あんまり効果がない。別に喉が枯れるような症状もなく、調べてみるとどうやら口内炎が喉の痛みの症状と近いところにできている模様。口内炎であれば放っておけば治るから何もしなくて良い。

 

口内炎の痛さって、まさに喉元過ぎれば忘れる。

ピークの痛さは日常に気を取られるくらいだが、いつの間にか痛くなくなってもともとあったことさえ特に覚えていない。

 

 

さておき。

 

本日も無職を満喫していたから特に日常として語ることはない。

いや、なくもないか。毎日面白がっている。

 

朝やたらと眠いのは、何かのストレスの可能性があるとか解釈しつつ、おそらく日中疲れるようなことをしていないから夜あまり眠れていないのではとか。散歩が足りていない。散歩するなら紫陽花公園が良い。

 

 

考え事とか文章脳が優位になっている感じ。

寝る前とか遊びながら青空文庫を読む荒行などをしている。

 

ヘンゼルとグレーテルの原作を読むと母親のやばさは割と合理的。今後の食料の総量を加味して家族4人で過ごせないから口減らしをするしかないという判断は当時だときっと普通だったような。最終的に母親は排除されて優しい父親が残ったみたいなことになっているが、強い立場に流される父親が残るというのは個人的にまぁまぁ後味が悪い。お菓子の家というファンタジーから流される父親が居る現実に戻ったところで、幸せとはほど遠いような。生き延びたということが幸福そのものかもしれないが。

 

あと、まだ途中なのだが、美学入門でやんわり美学のことを書いていた中井正一さんの近代美の研究という文章がキレキレで難し面白し。近代的な哲学観の遷移から書いて居るからやたらと難解。僕も天動説から地動説への移動は科学観を越えた個人的な価値観への影響があっただろうし、なんならこれが個人主義への萌芽だったかもしれないとか。地球というか人々が生きている舞台が動かしようもないものだとされていたら、そりゃあ来世に期待するしかなく、現世でせっせと働けば来世に良い想いができるという話になる。

 

ここが揺らいでしまうと、別の神話が必要になってきて、これが社会契約論という解釈。

 

美が原版とか実演しかなかった頃、芸術は一握りの上層が嗜むものだったが、活版印刷が開発されることによって複製して共有するものになった。実演系も録画とか写真で実際その場に居なくても共有できるようになっている。こうなってくると、独占できる芸術はあんまり意味を持たないのかもしれない。個人的にはライブの一体感はあんまりトリップできないけども、演劇の生の観客も一緒に舞台を創造する一体感は結構好き。皆息を飲むとか、ふわっと全体で笑うとか。なるほど、漫才劇場もそんな感じなのかも。行ったことないけど。

 

表現が地動説になっているのは良いことなのかどうかは知らないが、表現で散歩できるようになるのは余白の賜物だし、それが人間の醍醐味だと思われる。

 

 

やれやれ。

 

AIが人間を越えるかというテーマで岡田さんが話していたのを観た。

学習するような機構は作れるけど、ほんとに人間的にはできないという解釈らしい。たしかに、チェスでプロのチャンピオンに勝てるのは論理の筋を追えてパターン認識が得意なだけで、曖昧さをてきとーに処理することはできない。

 

ただ、なにかテーマを呈示したら、ネットから検索してウィキペディアから賛成意見と反対意見を呈示する検索エンジンの発展は、人間が何か対話したり議論したり風になっている感じより遥かに建設的だった。

 

こういうアルゴリズムとか検索能力ではsiriとかには人間は勝てない。

岡田さん偏屈だから、美味しいご飯屋さんを聞くのと不味いご飯屋さんを聞くのが一致していたという検証していた。その4日後には背後の人間が調整して結果が変わっていたとか。

 

人間の定義が地動説。

これで言うと、検索する端末がない試験会場でどれだけ成果を出せるかというのはものさしになるかもしれないが、調べれば分かることを覚えているかどうかなんて人を測る指標にはならないような。むしろ調べる労力をかけるのかどうかをものさしにした方が良いくらい。

 

 

そうして、いま白雪姫殺人事件の映画を鑑賞している。

 

記憶は過去の1つの解釈であるとアンダーグラウンドのあとがきにあったのが繋がる。

記憶は1つの物語であるというのは、個人的な時系列でもよく分かる。ある時期までは悪者になっていた人が、倫理観は別にして勝手に幸せになって居ればいいなぁとなる。

 

これは殺人事件の話で、刑法上の殺人罪のこと。

特にニュースでは出てこないのだが、犯罪が成立する条件に、他人の意思が介在していないというものがある。介在していると共犯になったり、意思と結果が因果関係として一致しなかったりする。Sさんを利用した真犯人は、Sさんを犯行計画に利用していて、Sさんの意志は犯行とは無関係であって何も刑法上問題になる行為はしていない。

 

関わっているだけで罪なるという感覚は分からなくもない。

僕もたまたま浮気性の知人が居ただけで浮気するのではと疑われたことがある。類は友を呼ぶではなく、たまたま大学で知り合っただけだったのだが。

 

個人的にはこの人の根っこのねじれが好きだっただが、高圧的な言い分が面倒で一旦辞めてしまった。この人とはもう1度繋がる可能性があるのだが、もしかしたら退場しつつあるのかもしれない。

 

そろそろおいとま。

 

明日はワークに行ってきます。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。