独我

 

 

 

本日のディナーのリクエストは趣向が一風変わっていた。インスタグラムの途中経過のスクショ。参鶏湯と漢字は送られてきた。材料と分量は載っているが、何をどうするかはない。過程は画像から推測するしかない。明らかに器が炊飯器だから炊飯器で炊くだけなのだろうなというのは分かる。材料の切り方も見れば分かる。生姜はみじん切りで、にんにくは薄切り。手羽元は煮込むときだいたいフォークで穴をあけて味が浸透しやすくするものだから、今回もやった。

 

生米を何故入れるのかと思っていたが、濃い過ぎる味になっていないか味見したところ、とろみを付けるためだったのかと分かる。でんぷんが良い感じ。料理は科学だし論理だから案外理系に合いそう。器用さとレシピの再現でなんとでもなる領域だけども、深淵に入りこんでいけば奥が深すぎる。

 

まずはレシピ通りに作って学習していって味の感じから再現できるようになるというのは、音感とも微妙に近そう。音感はやっていないからなにも分からないのだが。

 

料理にしろ、音楽にしろ、文学にしろ、記述ができることだから再現可能=AIによって学習できるみたいな話になる。ただ、人に響くのは記述できない秘伝みたいなところにあるからこういう意味で機械は人間に届かないのだろうなというのが現状の解釈。ここでいう秘伝は無意識とかタイミングとかそういうところ。

 

気持ちによって料理の味が変わるのかというと確証はないが、意志の現実化というのは常に何か目標を意識することによって行動が変わって来るということらしいからありうる話。

 

 

さておき。

 

初代ポケモンマスターにはなれなかったから、もう1つ発掘された3DSソウルシルバーで初代しかまともにやったことがないのにチャレンジしてみている。初代では特にきにならなかったが、デバフとか状態異常を駆使するのが大事かもしれない。御三家はなんとなくまた炎タイプにした。一番可愛かったから。現実の可愛いランキングは満月さんの実家のパグ氏のおかげで更新している。昔飼っていた雑種の犬臭さと同じ香りで懐かしい。あんまり事情は知らないが躾が小さい頃にできていなかったにも関わらず、お散歩では結構従順。一生懸命歩いてお花を摘む。

 

進化したポケモンは朝と夜の概念があるらしく、先程ゴースをゲット。そろそろ釣りをして水タイプもゲットしたいところ。まだ序盤だからだろうけど、育てても強くなりそうな猛者があんまり居ない。ホーホーはなんとなく好きな感じだから育て屋さんに預けてみている。フォルム大事。

 

 

やれやれ。

 

という感じで現実世界。ここの区分がそれほど大事とは想わないのはやばい。現実っておそらく実体と関係しているというだけで、世界はいつでもその外に在るし。どうでも良さが本質。本日はネギの花ってぼんぼりみたいな球体で不可思議だなというシーン。

 

コンビニの店長さんとも少しお話をした。大雨で帰れなくなった人達の車が駐車場でごった返していた割に売り上げは全くなかったとか。マジで失礼な人ばっかりだな。労う人が居ないからでもなく、お疲れ様でしたと言っておいた。

 

もちろん実体と関係あるシーンもある。満月さんがお弁当を作るためにやたらと活動的だった。朝起きてからお米を炊いて、卵料理もしいたけとニラを加えて健康的で素晴らしい。お弁当を作ることはできるのだが、自発的に動ける方が遥かに尊いことだから、ごろごろしていた。生活において一方的だとバランスが崩れる。別に生活の何処かを補填して欲しいから一緒に過ごすことを決めた訳でもない。

 

一昔前だと毎日味噌汁を作ってくれみたいなプロポーズフレーズがあったが、いまや自分で味噌汁を作れるようになるほうが低コストだと思う。社会生活で生き延びているくらいの能力がある人がこの作業ができない訳が無い。あえてしないという選択はもちろんアリだが、温もりを外に求めるのはどうも。

 

 

なんだっけ。

 

共時性は無意識の領域であって、ここが凄い。

 

日本文化論の話は別枠で面白い。箸と湯呑みは文化の進化として逆行しているという説。たしかに、食べものを掬うのはスプーンで良いはず。個人的にはあんまり一回で口に入れずに味わう為にあえて不自由にしたのでは訝っている。インドの手掴みより上品な指の延長。湯呑みは掴めるようになったら飲める適温という待ちの概念。答えは無いのだが、日本文化って基本的に非合理なのだよな、きっと。

 

 

そうして、フロイトさん祭り。社会学の本で読んでいる「資本主義のパラドックス」という本にもフロイトさんの精神分析が出てきている。

 

どう繋がってくるのかまだ不明なのだが、面白いのが、精神分析という道具概念は、その当時の集大成だという解釈。たしかに人が個人なればなるほどなんだか闇があるし、闇を見ようとすればなんらかの道具が必要になる。ラカンさん曰く無意識は言語構造だという解釈みたいだが、言語構造になるほど言語で自身を掘り下げられる人はほとんど居なさそう。

 

そんなことしだしたら、アイデンティティが自壊する。

 

ほどほどに楽しんで生き抜けるためには、あんまり自分に辿り着かなくて外界によって自分が存在しているという認識が正しいに違いない。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。