消化不良

 

 

 

満月さんがラーメン好きなのか、この生活でラーメン率が増えた。あっさり系のラーメン美味しいのだが、かなりお腹に溜まる。小麦粉の消化があんまりできない臓腑なのかもしれない。パンより米派なのは米の方がお腹に残らないからなのか。

 

ラーメンで思い出すのは大阪の大学時代。学食で大阪出身の人達はこぞってとんこつラーメン大盛ばかり食べていた。僕はかけうどんとかかつ丼とか。大阪の人ってラーメン好きなのだなぁと想っていた。個人的には外食ラーメンはほんと時々で良い。ラーメン食べたくなったらカップラーメンとか袋麺とか、なんなら本日コンビニで見つけた春雨スープのキムチラーメン味で良き。

 

なんの話だっけ。

 

本日は満月さんが食品衛生の講習の会場に着いて行って散歩する予定だったが、トイレに行ったスーパーのゲーセンに探し求めていたピンボールゲーム(村上さん風表現)があったため遊んでしまった。実際は違ったのだが面白かった。メダルが余計に返って来たからアヒルのレースゲームをやっていたのだが、20回くらいしたところ、ほぼ全てが単勝も連複も倍率2ばかりだったから、増やそうとしたらいくらも増やせそうだった。金魚すくいゲームは面白かった。

 

太鼓の達人は盛況だったが、僕は頭と身体を一致させるゲームは割と苦手。大昔ダンレボを従弟から借りてやってみていたが、なかなか。自分の体だけを遣う硬式テニスはチームプレイというか注目される軟式野球より随分と楽だった。

 

自分の体の動きと頭のズレがある人にとって文章は独壇場だからそこで生きている人も居るのかもな。文章だと調べながら書いた知識でも自分のものとして表現できるし。僕は文章だけのところで生きているような人ではないのだが、気持ちは分かる。嘘を付いている訳でもない、誰にも語れない澱みたいなところ。ここを芸術に昇華できるのは一握り。

 

なんだか方向が暗がりになってきたな。

 

 

やれやれ。

 

 

個人的な読書録。

 

吉井由吉さんの本は読み終わってしまった。妻隠ツマガリ)も面白かった。結局どうだったかは何も明らかにされないのだが、妻の貞操を他人に奪われたかもしれないという印象が拭えない後味の悪さが良い。フロイトさんが読んだら性的抑圧がとか言い出しそう。

 

日本文化の話は箸と湯呑みの不思議を筆者が解釈しているところまでは来た。たしかに文化って非合理的であっても一定の一貫した思想があるから、筆者の解釈も分からなくはない。簡素という思想。個人的には日本の文化が簡素であるとは思えない。華美でもないけど、簡素というよりは不自由の枠みたいな感じ。短歌とか俳句とかだって、どれだけ簡素にできるかみたいな思想ではなく、音律でルールをあえて不自由にしてみてどうかみたいな思想なような。簡素にしたかったらルールはなるべく少なくして、どれだけ文字数が少なくできるかということになりそう。いや、これが最低限の簡素であるという発明が起こったという説は当然ある。

 

この文脈で日本の法律学の本を読んでいると、基本的に国家的に相対的。日本の法律がもともと洗練されていなかったから、ドイツとかフランスからまるっと輸入してきたというのは界隈には有名だが、たしかに、訴訟法関係は洗練されていて、登記法関係は緩い気がしないでもない。土地所有って法律というより感覚的な問題だから、きちんとしようって上から決められてもどうしようもない。マスクを付けましょうみたいな簡単に動させるところでもない。

 

刑法がやたらと面白くなってくる。いや、空間ベクトルの数式的解釈もやっとこさ面白い。刑法の醍醐味は、法律が罰の軽重をどうやって区分しているかという理由。悪さが一色ではないし、ちゃんと犯罪を区分できないと国家は個人を罰せないとしているのが面白い。命が一番重いのに自己退場は犯罪ではないのにそれに関与すると犯罪になるってなかなか婉曲的なような。退場を促進するような教唆とか幇助はともかくとして、嘱託とか承諾とかまぁまぁとばっちりなような。そういうことが起こるのはかなり近い関係でやむを得ないみたいな事情がありそうなのに、国家として罰するとか。

 

ここまでにしとこう。

次のお風呂読書の最期を満月さんの段ボールから発掘せねば。

 

はい、おやすみなさい。

 

 

良い夢を。