さんみ

 

 

 

朝食は抜くかという店長会議に向かう満月さんを横目にスープパスタを作った。コンソメキューブって正直使いにくい。1個では薄くて2個では濃い分量で作って、個人的には朝にはちょうど良いくらいかなと思ったが、5口ほどお裾分けした満月さんは薄いと仰せ。塩コショウでなんとか塩味と辛味を追加した。

 

夜ご飯は特にリクエストがなかったため、そろそろ和食だろうなと煮物にした。大根、人参、鶏もも肉、厚揚げ。個人的に和食っぽい味付けは最も練度が高い。満月さんは人参の輪切りという形に嫌悪感があるらしいから、乱切りにした。ここに引っ越して来てからずっと砂糖がなくて、煮物には砂糖が要る。かといって1キロの上白糖なんて使い切らんし、スーパーで砂糖の棚を見るときびオリゴ糖というはちみつみたいな容器に入っていたのを見つけた。これだったら満月さんがコーヒーにガムシロップみたいにも入れられるから残して捨ててしまうことはなかろうなと。カロリー30%オフという帯の割には人工甘味料が使われていなくてなんじゃろうと想ったら同じ量の砂糖の甘さだと3割増しになるから使う量が減りますよという話。人工甘味料に陰謀は感じないが、甘味とは別の変な苦みがある感じ。

 

ともあれ、はちみつ以外に甘味がこの生活に追加された。満月さんもきっと使いこなすのだろうな。

 

昼ご飯は、鍋で炊く浸水時間が食事が遅くなると夜まで残るという意味で待てなくて、炊飯器で炊いたご飯でツナと玉ねぎの卵丼を作った。ズボラ飯で調べると全部レンジでするとか洗い物なしとかズボラにするために試行錯誤したレシピがいっぱいある。こういう試行はとても良き。その試行にはさぞかし時間がかかったことだろう。

 

 

さておき。

 

さらに遡って、本日の夢はいくつかあったのだのが、残っているのがやたらとグロい。足首の外側のやや上の一角に蓮コラのようなぶつぶつができて汁が出てくるわ何か生えてくるわとやたらと深刻。ただ、起き抜けは気持ち悪さより爽快感の方が強かった。何故だろうと分析すると、母親と父親が仲良く等しく僕のことを心配してこりゃあ病院に行って手術だなとなっていたところかと。これを僕が親からの愛に飢えた人格だと分析することも可能ではあるのだが、別にもうそういう傾向はない。昔は相手がどれだけ自分の為に自己とズレたことをするのかみたいな試し行為をしていた節はあるが、もはや試すべくは自分。自分が陽だまりで小躍りできる相手が良き。

 

この夢で爽快だったのは、両親が仲良かったところになる。子供の人格は選べないけれどパートナーは選べるのに、なんであぁなったのだろうなぁって。仲良かった時期もきっとあるのに。個人的には父親がアルコールで闇墜ちしたのではなく、母親が抱え込み過ぎてヒステリーになったことが全てだと思っている。なんであんなに家族間が離島になったのかって、母親が変に抱え込んだからだろうし。

 

父親とはもう会えないけど、自分の中にその性質が承継されていると思うと、まぁまぁ一緒かな。もちろんここは血統の話とはあんまり関係ない。環境としての長さの話。何も師事されいない分、この人の存在は何だったのだろうなというのが気になるし、気になるというのは影響されるということ。

 

 

昼間はなるべくごろごろしないようにと、ソウルシルバーしながらPCで実況動画、テレビでアニメ、机には刑法各論とルーズリーフをのっけてマルチタスクをしていた。岡田さん曰くマルチタスクは集中が分散するから良くないらしいが、特に集中して何かを目的にするというところは無いから頭が腐らない為は色々チャンネルを切り替えられる方が良いと思っているだけ。人の唐突な脈絡ない話に着いていけないのは、チャンネルが自分であることが固まっていることによるという説。

 

岡田さんのYouTubeもそろそろ卒業かなという感じ。たしかにそんじょそこらの啓発本とかより為にはなるのだが、為になり過ぎて聞いているだけで何かやっている気になる魔力がある。某メンタリストもきっとそうなのだろうけども、これって宗教と似た所がなくもなくないか。宗教がビジネスなのかというのは微妙な話だが。ビジネスにも流用できるのはたしか。宗教の定義って、超自然的な存在、信仰することで自然的因果が捻じ曲げることができるものを最上位に置いているという感じなのだが、聞いて実行すれば自分が捻じ曲がるという意味で言えば、啓発系チャンネルもそういう傾向はありそうな。

 

いや、この感じは別にどうでも良い。

たまたまショートで胸糞悪いのに当たってしまった。日本は女尊男卑ですみたいな記事に対する男性投稿者のコメントが男ってそんなに辛いのかで収められている感じ。個人的な見解を語り出すと文字が足りないのだが、こうやって単純に分けようとするから分断が起こる。単純に分けられないとなると、今まで試行して類型化した時短的判断が覆るから誰もそんなところに生きたくないのも分かる。だから無理矢理なにやら収めようとする。

 

まぁ、表現って枠だから言葉による既定はとても大事。

 

日中読み進めていた刑法各論。暴行概念がやたらとややこしい。ここに傷害概念もやってくるのだから、法律学って日常の通用語と乖離している。言葉には意味が別々にあるという人格であれば問題なさそうだが、僕は法学部の当時には意味が分からなかった。実務家で分かっている人ってそんなに居るのだろうかというのもやや疑問。

 

文学部の人が他人の心情を文学的に解釈することが長ける訳でもないように、法律学の人が法的公平のものさしを習得している訳でもない。

 

難しい話を難しいままでしか語れない人は、きっと知識に依存している。別にそれは研究者形質だから問題ないけれど、個人的には研究みたいな修行をする気もない。読んだりそれを覚えたりすることはお勉強の話だが、結局は他に還元できないと単なる趣味になる。あんまり趣味で寄り道する感じではないのだよな。

 

 

そうして、満月さんの段ボール書庫を発掘して次の小説を見つけた。よく出てくるSF古典小説で読んでなかったオーウェルの方の1984年。まだ冒頭辺りなのだが、法律が存在しないのに、日記を書いたことがバレたら終身刑みたいな世界観が面白い。要は、監視できるのが行動とかの物体的な人体だから、それ以外の監視対象外の行為をしたことが観測された時点で問答無用の犯罪者になる世界。

 

法律って、従わないといけないのではなくて、証拠があれば言い分を聞いてくれるという世界観だから、大岡越前みたいに奉行の気持ちで決まるわけではないという意味で公平。ただ、この公平が貫徹しているかというのもよく分からない。世の中が公平でないと想っている人はいっぱい居るだろうけど、世の中が公平でないから人に公平に接しないというのはまぁまぁおかしい。

 

スーパーとかでなおざりに接客されたら、ちゃんと公平にてきとーに返すから、全世界に一律に接するのは無理がある。

 

満月さんが覗いてきたのでここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。