感覚的技術

 

 

起きたらなんとなく元気だったため朝活。満月さんが隣に居なくてお弁当の準備しているのかと思っていたらしばらくして帰ってきて二度寝をし出した。キッチンに行くと未活動。洗い物をしたい衝動に駆られる。優先順位としてまずは米を洗って浸水だから、出発時間までに1時間半以上あることを確認して浸水。

 

ついでに1回逃した可燃ごみを出す日。シンクの三角コーナーの生ごみやら冷蔵庫に入っているもう食べられそうにない物やらトイレの小さなゴミ箱の中身やらを回収して徒歩1分くらいのネギの花が咲いている畑の側に置きに行く。ここの自治体の指定のゴミ袋が少し小さくて逆に資源を消費しているのではと思いながら、あんまり大きいと道路を塞ぐ可能性があるからという合理的解釈。あと、すぐいっぱいになるからこまめに回収に出すように仕向けるという心理的効果も狙っているのかもしれない。

 

 

そんなこんな満月さんを送り出し、ポケモンしたりSPECのドラマを甲、乙、丙、丁(ここまでしか公開されていなかった)見たりしていた。ソウルシルバーは赤いギャラドスの池。捕まえるのか倒すのかを相談するためここで止めている。レポートを書いて、検証として逃げてみても赤いうろこは手に入ったから攻略上は問題ないかもしれない。

 

SPEC。このドラマ大好物。ケイゾクは見たことがないのだが同じ世界線という噂は聞いた。何が良いって、ミステリーの醍醐味をぶっ壊すところ。ミステリーファンにとって何故その犯罪が起こって、どう解決されたのか大事だと想像する。納得できる論理があるかどうか。例えば1話だと、凶器をどう片づけたのかという捻りを超人的な身体能力で会場の天井にぶっ差したというミラクルにする。人間には余白があってスペックが宿り得るというテーマだし、序盤から時間を止める能力者が出てくるから世界観としては一貫しているのだが、ミステリーとしては見られないような。

 

僕はミステリーの完結した世界観はあまり読めなくなっている。森博嗣さんのすべてがFになるのシリーズも謎ではなくそれぞれの人物が面白いから読んでいたし、謎が解決される快楽みたいな欲求はない。脳噛ネウロでもあるまいし。

 

この時代の戸田恵梨香さん好きなのだが、改めて見てみると瀬文さんの演技の方が好きかもしれない。バランスが取れたドラマ。

 

 

昼休憩の満月さんからご飯炊くの上手いと褒められる。嬉しいことだ。

10回も試行していないが、鍋で炊くご飯のコツは勇気な気がする。炊飯器で浸水せずに炊くことに馴れていると水が少なすぎるが大丈夫かとなるのだが、きちんと浸水したお米には炊くための水をあまり必要としない模様。これでいけるとそのままやっていると冬に痛い目を見そうな気がしないでもない。

 

誰かに教授できるような論理ではなく感覚でしかないから、定量化できない。これは何事にも通じていると思っていて、普通に教えていて相手に通じないというのは、感覚を定量化していないからだと思われる。定量化できるところとできないところがあって、できるところは社会化できるところ。内心はどうあれこの場ではこう振る舞うとか、ここで大事なのはこういうところみたいな。この大事さは社会的合理とか効率である訳で、個人的な合理ではないからここに個人の眼を持って来て、理不尽だとか不合理だとか宣うのは違うような。

 

 

そういえば、僕は本を読む人だが、読書会という場が分からない。自分の好きな本をそれぞれ紹介する。結構。ただ、個人的には書ってもっと個別的な領域だから、自分にとって面白い本が、他人にとっても面白いというプレゼンは絶対できない。いや、面白い本を共有したい場という文脈であれば理解はできる。ただ、本(文・言葉)が響いたことより、響いたことによってその人がどうなったかの方が気になるから、読書を誰かと共有することはない。満月さんも自分が読んで来た本を僕が読んだところで、どう読んだかだけが問題であって、自分が好きな本を僕も好きになれば良いという共有感が一切ない。

 

それを読んだことによって自分がどうなったかというのは読書録では語られないし、文学的にはアウトかもしれない。だから本が娯楽の領域になっているということなような。

 

これって影響の程度問題でしかないという説が起こっている。親とか環境とかと関係した人と読んだ本と何が現実を変えたのかって。

 

 

最後に書くにはかなり微妙だが、文学理論の本でフェミニズム論を読んでいると、表情がしかめっ面になってくる。フランスだったかだが、日本には通じないだろうなと。言葉は男性用にできているから女性は違う言葉を遣わないといけないみたいな。日本には古来からますらおぶりとたおやめぶりがあるが、もともとそんなに分断はされていないような。でなければ男もすなる日記というものをという書物が残っている訳が無い。

 

ここのところなんだかディストピア的な雰囲気を醸したみたいで、社会は陰謀論みたいな人からスキをされた。僕は別に今の社会が転覆すれば良いみたいな思想は無いから、お友達にはなれない。

 

あと、詩系列の人にも読まれているみたいだが、僕は詩の良し悪しも構造もあんまり分かっていない。好きな詩人は左川ちかさんだが、現代の詩作で活動している人の中でこの人を知っている人はほとんど居ないような。青空文庫に出てきてびっくりした。

 

日常はまとめられないから、いちいちまとめる気がないのがこの文。

こんな滅裂でよく読まれているものだ。

 

社会的には動いていないけども、個別的には動いている。

 

 

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。