そもそも

 

 

 

不燃ごみの日は分け方が細かい。缶、瓶、白パック、ペットボトル。個人的にはリサイクルを促進するより販売元で容器の材質を統一するとかした方が良いような気がしている。規格が決まっているだろうから、コストはそんなに変わらないのではとの想像。

 

健康診断の満月さんを送り出し、洗い物をして、某漫画アプリで好きな漫画が全巻無料公開していたため読み進める。この漫画色んな媒体で何回読んだことか。最強の弟子ケンイチというのだが、終わり方がもったいない。終盤面白く展開しそうだったのにスパッと最終回になってしまった。その他の作品もそんな感じだが、どれも展開が面白い。

 

満月さんが帰ってきてしばらくごろごろ。漫画アプリがエラーになって読めなくなったため、日本文化の本を部屋の中を歩きながら読む。面白い。

 

その後は遊びにいって勝ってローストビーフを買って帰る。お風呂読書はできなかったけども、そういうものか。

 

 

さておき。

 

本を読むのはとても良い。日本文化論序説の林和利先生は相性が合っているのか文章がするする入って来る。これは他の著作もそのうち読むことになる出逢い。文化人類学の畑なのかと思ったら文学だった。文学のフィールドって果てしなく広い。僕も文学部に入った方がストレートにいまに至って居た気がする。まぁ、老婆心で文学部は潰しが利かないって止めてくれた国語の先生には特に恨みはない。単に国語のお勉強ができたから文学部も選択肢としてあるというくらいの覚悟なき高校生にはやめとけよというのも分かるし。

 

たしかに、文学の源流が文化にあるというのは分かる。言葉というよりは表現全体という感じで。舞踊の起源は神楽という宗教めいたものであり、物語の起源は神話であり。

 

読書が個人的に誰かと共有できないというのを書いたような気がする。読書体験が個人的なものなのはある意味演劇とか音楽ライブとかの自分が生活から離れているという体感に近そうだとなふと思う今日この頃。

 

生活と非生活の区分けの中で生を感じる為に芸術が生まれて、そこに価値を見出す眼を持つことにより、人間がより人間的になったみたいことを考えている。シェイクスピアとか「ゴトーを待ちながら」とかに惹かれるのは、自分が生活上の存在から離れた単なる眼になれるとことにあったのでは。現代日本で言うと、匿名的SNSとかきっとそう。単なる語る眼の世界。

 

普遍的な美とか完全で健全な人間とかってこの文脈だときっと神様の眼が存在するという世界観だよな。ある意味信仰ちっく。誰にとっても正しいことがあるとかもそう。別に信じることは自由だが、それが誰にでも通じるべきというのは違うような。カントさんは美の趣味は普遍的であると他者にも主張できるものだとしているみたい。美を信仰対象にしていた節なのかな。

 

僕だと、紫陽花が美なことを誰かに共有できるとは想わないし共有したいとも想わない。読んだ本がどれだけ面白くても他の誰かに通じて欲しいということもない。だってそもそも同じ時間と空間で人が同じ物を観ることはできないのが物理法則でないか。映画館で隣でも、見え方の角度が微妙に違う。

 

ここで、価値観としての同類みたいなこと。筆頭としてフェミニズムって女性を類として捉えないと起こらない主義なはずだが、何故個別に違うものをまとめて捉えるのかというと、視線の省エネではないかという説が起こってくる。男性はまるっと男性を捉えない傾向はありそうだが、男性差別が存在すると言う価値観は割と近いのか。

 

いや、男女の区分けって社会的に明確だし、ここに従わないと犯罪になるから必要だが、なんというか、素朴な視界として、レッテル的な区分けがどれだけ省エネになるのだろうと言う話。これはアンダーグラウンドとかの某真理教の信者が当たり強いみたいなところからの発想。

 

満月さんのお母様は某学会の人の知人が多いみたいだが、勧誘とか投票とか誘われた一切応えないらしいし、満月さんも小学生時に同級生の発達障害? の人を単なる個性だとして仲良くしていたらしい。これに対して僕は偉いとも想わない。相性良かったのだという感じ。

 

要は、区分けをすることの合理性ってどれだけあるのだろうという話。個人的に不倫をすることはないが、知人が不倫をしたからといって責める正義は持っていない。こんなの個人間の問題であって知ったことではない。

 

同じ文学畑であるとか、同じ創作畑であるとか共通項だけで繋がる仲って場が亡くなったら無くなる。職場が筆頭。前の職場のバーベキューはどうやら無くなったらしく、次に誘われるのはなさそう。個人的には無関係だけどももう一回誘われたら行くのだが、記憶ではない意味で人が居残っている場ってあんまり無い。

 

 

これって悲観ではなく、だからこそ人と関係する醍醐味があるのではとなっている。

居場所として人を求めるのではなく、ちゃんと存在として関係する物理的な時空ではない場。例えば昨夜さんにヘイトられてみたいとか。笑

 

満月さんからも振幅が激しくてジェットコースターかよという感じ。

ただ、行為的には愛をまき散らしているから好きなのだろうなと解釈するしかない。

 

この道筋は言語化できる感情ってあんまりあてにならないよなという単なる自己学習であって、冷静に自分として生きているとも違うし、恋愛感情はバグであるみたいな達観でもない。自分の中で感情だけあって動かないというのはバグっぽいが、動かないのが現実的には良いことであるということもあるし、外界を基準とすると存在がブレてしまう。

 

 

本日はここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。