エネルギー効率

 

 

 

22:03から。

 

満月さんがお仕事なので僕が家事当番。

リクエストのソース焼きそばをこさえ、サラダはおつとめ品のロメインレタスをオリーブオイルとチューブニンニクで炒めてしんなりさせて、塩コショウと粉チーズで味付けした。ついでに副菜はこれもおつとめ品の小松菜で麺つゆ胡麻和え。

 

どれもうめぇ。本日の食材の原価、合計で500円くらいだと思う。

 

金欠生活もまた楽しい。

生活水準が向上しないのは、どんな状況も楽しんでしまうからだろうな。

 

まぁ、結構好転の兆しもある。

また本を買えるようになったら楽しみが増えるし、余裕があることを当たり前に楽しむこともできると思われる。

 

満月さんには若干苦しい思いをさせているのかもしれないが、お弁当スキルが向上しているというか、朝活の行動力がすこぶる向上していて素晴らしい。最近お腹が空くようになったのは、彼女の美味しいご飯を食べる機会が増えて胃が元気になっている説。仕事終わりにはエネルギーが枯渇している感じがある。お仕事でカロリー消費が増えている説もあるけれど。

 

お仕事。

 

成果が1つおじゃんになったのだが、あの感じでおじゃんになるのであればあまり関わらないで良い人だったのかもなと解釈する。ごりごりの営業マンだったら酸いも甘いも全部囲い込むくらいの感じにならなきゃだが、僕にはまだ早い。

 

これも1つの経験値。

ゲームではないのだから、経験でレベルアップなんてしないけれど、可動域というか予測範囲が拡がるよねというお話。

 

駄目かなぁと思っていたお客様がまたやってきてくれるという事象も起こる。ここはなんでかよく分からない。ちょっと悲観的に接し過ぎてしまったという後悔案件だったのだが。

まぁアポ無しで来てくれて1ヶ月ちょい越しの2回め来店でも名前が出てきたから、気にかけているという印象が伝播した可能性はある。

 

人間って全然よく分からんなぁ。

情報がどんどん更新される。

 

という世界観はやっぱり内側からの鏡。

 

21歳の頃、就職活動がしたくなくて大学院受験を選んだという主観からすると、今営業の仕事をしている意味が分からないが、情報が更新されてくると必然だったと思うことができる。社会から乖離したところで溜め込む期間が必要だったのだろうなと。なにせ、今から転職ってなったとしてもおそらく特に問題なくこなせそうな気がするし。

 

情報の更新と言えば、読書感想文で箸にも棒にも掛からぬ人材だった僕の文章が、ネット世界で変人(良い意味)の目に留まるようなところに至っているのも、当時の僕からはありえない。文章って何を書けば良いのだと思ってあとがきをコピペしまくっていた僕と、一筆書きで原稿用紙5枚分くらい書く僕は、個人的な感覚だとレベルアップした訳でもなく同一人格であって、単に情報が更新したという解釈。

 

(今、読書感想文を読み返したとしても同じ文体だと思うに違いない)

 

 

ただ、移動しているのは確か。

 

 

移動と言えば、読書は移動に最適のコンテンツ。

 

岡田斗司夫さんの言だと読書はトレーニングであって、ネットの情報収集は散歩みたいなものだとのことだが、散歩をしない人の見解だと思う。眺めるだけの情報は糖質過多のお菓子みたいなものだという話は分かりみだが、散歩は眺めながら自分の身体も動かしているからニュアンスが異なる。

 

 

ともあれ。

 

 

お風呂読書で読んでいる本の中の詩のジャンルで、宮沢賢治さんの「春と修羅」が引用されていた。最初に読んだのが6年前くらいで、さっぱり意味が分からなかったのだが、本日時点だと結構読めてしまう。解説の文章が上手いというのももちろんあるけれど、生でも十分。

 

心象スケッチとか四次元とか分かりみ。

見た景色を描写しているのではなく、景色は心象化されるものだし、時間とともに移り変わっていくものだし。

 

読み返し枠に宮沢賢治さん全集を加えよう。

こういう視界で読めば「銀河鉄道の夜」も印象が変わるかもしれない。

 

 

僕の文章も日記的日記を書いているようで心象スケッチだよな。

日記と心象スケッチの違いは、記録として共有して欲しくて書いているのか、単なる車窓からの景色であって特に共有を気にしていないのか。

 

凄いどうでも良い話だが、神秘系の本で、経験はたしかに大事だが、経験とは別に体験を捉えられるようにならないといけないというのは、割と分かる。経験は今の体感を解釈するものさしであって、経験の延長に体験がある訳でもない。

 

なんだか意味が分からないことになっておりますが、今日も僕は元気です。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。