装飾無し

 

 

 

21:43から。

 

 

目が回るような忙しさ。

ここを越えたら随分と経験値が付くだろうなと思いつつ、きちんと成果も上がっている。

 

自己分析すると、今回のお客さんは波長が合ったと思われる。

 

1人はオンラインだったのだが、画面越しに生活の臨場感が伝わるように努めた。

特に変なことを言ったつもりはないのだが、お客様が良く笑ってくれたのでたぶん変なことを言っていたのだと思う。お客様も何か変なことを言っていた気もする。

 

他人の車に乗ってうとうとしてくれるとか素晴らしい。車は今のところ持っていないけども、運転中に自分だけがしんどい思いをしているとかはない。カロリー消費は激しい気がするけども、気を遣われても嫌。寝たければ寝れば良いし、景色を楽しみたければそうしてくれれば。

 

このうとうとしてくれたお客様は、読書もしていて良いこっちゃと思っていた。

何を読んでいるか聞いたら、重松清さんの「青い鳥」とのこと。重松さんは「流星ワゴン」が好きだと言ったら、この作品が初めだとか。好きな作家を聞いたら、「なぎらゆう」さんらしい。ヒューマンドラマしか読まないって。

 

このジャンルって、どういう話だっけと「?」が浮かび、話を盛り上げるには至らなかった。

今ちらっと調べると一昔前に読み漁っていた気がする。たぶん、既読が結構重なる部分もありそう。読み過ぎてタイトルも作家さんも出てこないジレンマ。ジャンルとしても読んでいないから、ジャンルで問われても、この小説がこのジャンルになるという括りがない。

 

僕が好きな作家は村上春樹さんって言ったら、「ミステリー」ですか? と聞かれて、たしかにミステリーと言えばミステリーだしファンタジーでもあるともごもごした。たしかにヒューマンドラマは起こらない。

 

ちょっと脱線したから戻して。

 

スムーズな運転に神経使うって結構楽しいかも。

どうせ信号は続いているのだから、1つ頑張って越えたとしても一般道では次の信号があるわけで、急いでも到着時間は誤差にしかならない。

 

 

昨日書いたちょっとふざけた方が良いというのは、本日店長に「もうちょっと羞恥心を無くして相手に踏み込むようにした方が良い」というアドバイスに現実化された。

 

羞恥心かぁ。たしかにそういう風に観測されるのは分かる。「人見知り」と評されるのも同じ枠だと思う。ここも自己分析してみると、僕はそんなに恥ずかしがる質ではないのだが、なんとなく空気感に合わす節があるから、基本的には場を動かさないように振る舞う。これが恥ずかしがったり、人見知りだったりでもじもじしているという風に見受けられることになる。

 

結果的には同じだが、過程が違うと分析できれば、結果は如何様にも変えられそう。

空気は大事だが、1番大事なものでもないということ。何を最上に置くかというのは人それぞれだけども、結局は自分軸なのかなという感じ。

 

僕の自分軸で場を回したらめちゃくちゃちゃらんぽらんになるし、論理も社会も実感ではなく舞台設定に落ちる(ここの文章みたいに)。だから、羞恥心とは別に空気を読んで大人しくするという傾向が強いのだろうな。

 

いや、最終的には羞恥心と空気を読むことはほとんど同じなのか。

その空気感に合わないことを抑える感情に名前を付けたら羞恥になる。これは旧約聖書からの習わし。

 

 

個人的に、今の段階でこの仕事をしていることは必要なことであって、人生劇場の可動域が拡がるのだろうなと観測している。とても楽しい。芸人の様に笑いを取る振る舞いも身に着ける時。満月さんが推しである「かまいたち」さんの動画を垂れ流しているのだが、振る舞いに採り入れることも画策して良いのかもしれない。満月さんは勢いではなく知性が伴った笑いがお好みっぽい。

 

 

そういえば、昨日日記を書く前に、妹と通話をした。

兄の立場とかはどうでも良く、単に年賀状届いたことに今気づいたという感じのお話をしただけ。母親が親戚筋に僕の現状の情報を伝えていないのも面白かったけども、妹と通話が久々過ぎてこんなに落ち着いた声だったっけと混乱したのが面白かった。お互い特に地元言葉に戻る訳でもなく、妹の子供の声が背景に流れつつ、にこやかに話した。

 

ここで空気を読むなら、家督というか家長というかそういう家族観を前提としたお話になるはずだが、そんなことは全くなかった。そのうち愛知に来る予定があるから、その時にタイミングが合えば、で終わる。

 

特に恥ずかしさは無い。

これって別に勝手知ったる家族だからではないのだが、なんとなく共通項があるという意味は家族なのかもなと。

 

たぶん、妹は僕が一番ちゃらんぽらんだった何の知識も無い時代の僕を見ているし、取り繕う余地が無い。別に妹だから兄より下だみたいなマウントを取ったこともない。いや、1回だけあるか。ドラクエ5のセーブを本体につまづいて消した妹に随分怒ったような。

 

姉との交信が再開するかというと微妙なところ。

姉は僕に対して明確にお前は下だと僕に言い聞かせるようなマウントを取っていたし、それほど僕が好きではない気がする。と言いながら、自分の子供に僕の名の漢字を使う感じがツンデレなのかもしれない。

 

おそらく長女って昔ながらの家族観だと微妙だから、長男を落として自分の存在場所を確保したかったのだろうなぁと。

 

今自分の場所が確保できているのだとすれば、おそらく僕に対する敵対心はないはず。

 

知らんけど。

 

家族って、一番近い他人だという捉え方。

配偶者はもちろん別だが。唯一他人から身内になれるのがここ。

 

ここで法律談義をしたくなる。

民法における家族、子供の扱いってDNAの血族ではないというところが面白い。

 

そりゃあ鑑定ができない時代の家族の繋がりって、なんというかそれが家族だという時代。血だけで繋がる家族観だったら養子はないし。個人的には嫡出子と非嫡出子の相続割合が違ったのは、家督を相続して諸々家を保つという報酬という面があったのだろうなって。

 

これを専門的には「外観説」というらしい。

 

この家族観だと、DNA鑑定だけで親子関係を特定するとか、否定するとかができないのだが、これは不合理であり合理でもあって、良いことだと思う。

 

お母さんは自分が分娩するから子供との繋がりがあるのが普通だが、代理母はどう扱うのかとなると、もはや自然な家族ではない。でも民法はもともとそういう家族の繋がりに許容性があるという。

 

当たり前の世界観だと許容外になるけども、だから民法って改正しなくて済んだのだろうなという感じ。

 

ちなみに、妹に姉ちゃんとも通話したいと言っておいてとLINEで送ってみたから、縁があれば交信可能性があるのかもしれない。

 

無かったとしても、幸せであれば良い。

 

締めの言葉。

ちょっと羞恥心がある。

 

僕の言葉に足を止める人なんて居ないと思っているのに、すげぇ緻密に文章を書いている人が読んだ印を押してくれる世界って凄く面白い。単なるスケッチと、きちんと整えたクッキーの時間は随分と違うのに。

 

ちゃらんぽらんだから、きちんと伝達しようとする意図がない。

にもかかわらず読み続けてくれる人は、まぁまぁ変態(良い意味)。

 

物理的な物体としても良い男らしいが、この部分は満月さんの独占領域。

 

僕は面白い文章を書く人には直に逢って話してみたいと思っている。

でも、ここが現実化するってほとんど在り得ない。利益なき人に会う時間ってほとんどないと思う。

 

はい、ここまで。

ちゃらんぽらんばかり。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。