暗がりのプラネタリウム

 

 

昨日は酔っぱらいを解禁したため、日記どころではなかった。運試しで勝ったあぶく銭で焼き肉屋さんに行き、日本酒をしこたま飲んだ。酔っぱらうと良く発話するらしく、何か味をしめたらしい。別に本音は本音だから解放したところで何もない。

 

本日はビールをチェイサーに日本酒を飲んでいる。

屑のような人生劇場の楽しさ。ただ、現実のストレスを回避するために飲んでいるのではない。そういう飲み方をすると荒れる。僕も昔はそういう風に飲んでいた。飲んでいる最中は楽しいが、起き抜けの空虚感が半端ない。

 

酔っぱらいを解禁した本日の朝はなにやら精神と肉体に一致感。きちんと動いているし、在るし、居る。自分で生きている。

 

恋人さんが仕事に行く朝のタイミングで、同情して出発。あぶく銭で高速代を提供。あぶく銭は世界に回す為にある。あれ、であれば、仕事で得た賃金も回す為にはあるのか。経済って循環しないと発展できないし。

 

前置き終わり。

 

日記的に日記2日分から。

 

昨日は、ご飯を食べに行くことになり、僕のリクエストでうどんになった。電車で2駅。讃岐うどんがめちゃくちゃ美味しい。山菜梅おろしぶっかけうどん(温)。隣の席に座っていた赤ちゃんに2人共ガン見される。可愛らしい男の子。そういえば、赤ん坊をちやほやすることはないのだがなんだかまぁまぁ懐かれるような気がする。なんだか異物への興味という感じがなくもないが。

 

色々ご馳走様でした。

 

店を出て、ケーキ屋さんが店頭販売をしているのに恋人さんが惹きつけられ、パイコロネを食べ歩きして運試し。負けて出て、たこ焼きを食べてからのもう1度。歩いていたら、ケーキ屋さんの前を通りがかり、「おかえりなさい」と言われる。面白い。からくりサーカスへの作品愛からか、かなりの爆発。そこからの焼肉、よっぱらい、日記書かないに至る。

 

日記も義務で書いている訳ではないし、書かなかったとて残っている(残ってなくても人生劇場として承認しているから問題ないが)。

 

睡眠時間もほどほどで、助手席で1時間ほど寝かしてもらったあとの本日の動き。

まずは職場の商業施設のうどん屋さんでうどん連ちゃん。あさりが入っている出汁を利かせたうどんとシラス丼のセットぷらす生中。うまかった。

 

そのあとはお散歩。行き帰りでおそらく10キロは歩いた。運試しは負けたのだが、作品愛が勝っているため、全然精神が凹まない。ポーズに倣っていたから、精神具合も定型文にしようとしていた。これは運試しとはあんまり関係なく、全人生について言えること。役柄で演っている訳ではないのだから、定型文の感情の因果に支配されなくて良い。

 

どうでも良いが、大事な話。サントリーの天然水を愛飲している。水にもきちんと味があるなんて誰も教えてくれないが、自分の舌に従うと、ミネラルウォーターにも相性がある。ビールだってそうなのだが、省略。他のミネラルウォーターってなにか舌ざわりが悪い。天然水が最うま。で、この天然水って場所によって産地が変わるという豆知識を得た。大阪は奥大山で、恋人さんの地元は南アルプスらしい。今泊っている界隈は北アルプス。日本津々浦々で何種類あるのか、気になる。

 

という視点を得ると、自販機の天然水のラベルの下には何も書かれていなくて、流用できるようになっているのだなと納得。ちなみに産地によって硬度が違うというこまやかさ。北アルプスが今まででは一番柔らかい。運試し中に1リットルは呑んだ。

 

本日の運試しは負けたのだが、全然良い。作品に課金しているという感じ。見える演出が明らかに増えている。

 

ほくほくして負けた後、1時間で5キロ弱歩いて合流地点まで行く。夜の砂浜と天然のプラネタリウムが素晴らしかった。海にも宙(そら)にも畏怖がある。この方向での怖さは美。

 

そうして職場に合流。恋人さんの後輩のしっかりした顔の人と挨拶。この人曰く、「前と良い意味で顔が違う」とのこと。貴方も良い顔してますよ、とは世間体的に言えない。恋人さんが嫉妬するとは思わないけでも。恋人さんも随分良い顔するようになった。

 

 

良い顔とは。良い顔の造形であるということではない。いや、僕は人生ガチャで偏差値60くらいの造形を得ている節はある。10人中6人がイケメンであると評する造形は、使い処がないから自慢にも自信にもならない。無加工で自分の顔を貼るなんてやべぇ奴だとモバゲー時代に知人に言われた気がする。

 

僕が言う良い顔は、表情とか顔付きの話。

我ながら良い顔をしている。やっと自分の顔になったという感じ。

 

昔の僕はもっと顎が尖がっていて、栄養失調みたいな顔だった。

今はちゃんと顔のフォルムがきちんとしている。

 

ちゃんと世界を食べているし、消化して昇華しているからこれになれた。

 

自分の状態を把握するのは、まず顔を読もう。

自分の機微に敏感な人はきちんとやっていると思うが、この先には、世界をそう読むという話になってくる。具体的なパートナーとか。

 

僕の存在で笑ってくれる人が居るというのは素晴らしい人生ガチャ。

酔っぱらっていても良いらしい。

 

この僕で居てもええのか。

 

やれやれ。

 

結局は、自分の人生の顔が、どこまで行くかという話。

本日日本酒一升瓶では足りなさそう。

 

顔的な存在観だと、文章はきっと別物。顔のアイコンを貼っている人も良い感じに自分のことを演出している。まぁどうせ実際に逢うことはないからなんとでもできるが、結局は読み合いは既に存在として邂逅している。

 

貴方の逃避のために僕の文章はない。

楽しい時というか、自分で居る時に読むもの。

 

僕は文章を人生の暇つぶしとしては読めなくて、ちゃんと読んでいる。

 

ちゃんと読むって、スキとぽちっとすることではなく、きちんと自分の存在に影響されるとうこと。僕を読んで影響された人は人生皆楽しめば良い。

 

楽しめるような文章が書けいるかはともかくだが、僕は、別に自分の人生を書くことで自分を慰撫させていることは皆無。加速ならありける。

 

だって、人生で何があっても楽しい。楽しくさせる成功は正味どうでも良いが、何かもっといいことは増えるだろうな。

 

皆楽しく生きていますように。

 

お休みなさい。

 

良い夢を。