確率変更

 

朝ごはんは早朝に焼きそば。朝から豚肉と玉ねぎを炒めてごちソースと中華だしで味付けする。飲料が足りないが、コンビニには行きたくなかったから、ポカリと炭酸水を買ってカルピスソーダにした。もちろん同時には摂取していない。

 

髪を切りに昼間外に出る。おや、暑くない、むしろやや肌寒いまである。夏がハッスルし過ぎて夏バテしたのだろうか。昨日の帰り道にドンドン鳴っていた淀川の花火の音は夏の終わりの合図だったのかもしれない。今季一回も見ていなかったらどこかから見えるのではと花火探しに遊ぶところだったが、(どこかのマンションから「ここからの方が良く見える」って言うのが聞こえてきた)、もう間近で見たから探さなくても良かった。

 

涼しい外気の何が良いかって、移動速度を上げられること。帰り道なら容赦は要らないが往路はそうはいかない。道中に行列。蕎麦屋さんと認識していたが、理容院の人に聞くと高級親子丼屋さんらしい。どんなに高級でも僕は丼もの中で親子丼の地位が割と低いから、たぶん行かないと思う。僕の中で、親子丼って丼ものというより雑炊ものとの境界にある。がつがついきたいときに汁気が多いのはなんとも。理容師さんもそのちょっと離れたところにある海鮮料理のランチがご飯おかわり自由だからそちらに行くと言っていた。

 

まぁ、個人的には外食は誰かと食べるものという括りがあるから、昼ご飯はすでにツナマヨ目玉焼き丼というジャンクなのを食べていた。美味しい料理屋さんは誰かと行く場所であって、美味しい場を共有するもの。

 

冷え冷えシャンプーがちょっと痛いくらいの散髪。本日の雑談もゲームの話だったのだったのだが、なんとなく人間性みがあった。理容師さん、ウェイ系の顔なのに趣味が陰キャ風という意外性をお客さんに話して反応を楽しんでいるのだとか、おや、どこかの誰かさんのようだ。僕も真面目とか品行方正みたいなイメージに捉えられがちだが、中身は遊び人だし。煙草を吸うようにも見られない。何故か歯が黄色くならない。

 

僕も意外性に対する反応を楽しんでいる節がある、のか?

 

もうそろそろ理容師さんの弟さんにも雑談を振るかという目論見。

ただ、いつまでここに切りに行けるかは分からない。あと何回なのだろうな。

 

秋仕様で長めにして前髪も上げて貰う。

気分が上がったでもないが、昨日動かなかった分、本日は動いて遊ぶことを予言していた。帰り道でも親子丼屋さんで並んでいる。並んでいる人を見かけるといつも、誰かが並んでいるからならんでいるのか、ほんとにそれを求めているのかが分からない。消費物だったら代替品があるのが普通だし。

 

滞っている人を横目に過ぎて、電車で一駅。運試ししてからのヒトカラの予定だった。カラオケもストレス発散とかではなく、可動的にもう少しうまく声を動かせるようになったのではないかという試行(遊び)。

 

この前恋人さんが打っていて全然当たらなかった1円のエヴァンゲリオンの台の厄払いというかリベンジというか、イケそうな感じがしたため少し回してみる。400円でカヲル君が出てきて、ちょっとだけ当たった。残酷な天使のテーゼ魂のルフランを聞ける。物語としてのエヴァンゲリオンってなんだったのだろうな。人類補完計画ゼノギアスと似ている感じがあるのだが、あんまり分かっていない。

 

冷えた席を温めたから、今度は面白そうな台。ベルセルク無双というのが空いていたから、ちょっとやってみる。なんか漫画からするとリアル感が凄い。保留のベヘリットが気持ち悪い。笑

 

しばらく眺める為に回していると、いつの間にか結構当たっていた。コルカスの顔からにじみ出る性格の悪さが凄い。狂戦士になっても不死のゾットには勝てない気がするが、勝ったらしい。グリフィスが捧げて蝕モードになって、まさかここで絵の先生の推しの「man with the mission」が出てくるとは。この感じでアニメになっていたのだっけ。キャスカかわえぇ。

 

もう当たりそうにないから止めた。

 

ここで充分とんとんになっていたからカラオケに行く感じではあったのだが、ちょっとまだ早いなと地獄少女に行ったら、何故か爆発してしまった。結局散髪代よりも返ってきたから、消費としての遊びにならなかった。演出とかで音楽で目と耳の保養になっただけ。

 

だいたい皆柄は良いのだが、ベルセルクやっているときに押しボタンをボンボン叩いている人が居て、それで運がやってきたら世話ないよなと思う。勝者からの見下しではない。だってここで勝とうが負けようが僕の動きは変わらない。

 

ここが運試し場であるというのは確か。だいたい外れないと経営が成り立たないし、どこかのタイミングでたまたまそこの席に座った人が当たるが、そうそう爆発はない。

 

僕は面白そうという直感だけで遊びに行っているから、負けて帰るのもありとしている。ほんと今日は負けて時間だけ使うというほんらいの遊びをして帰りそうだった。

 

釘の具合でどこに当てるとヘソに届くのかって試行するのも面白い。

 

(遊び方が違う)

まぁこの話はどうでも良いというか、割と人生劇場でも本質を突いているから、なかなか面白い。機会とそこに居られるかどうかと。パチンコでたまたま当たるより、人生の収入源は仕事にあって、労働環境が合っているかどうかはまぁまぁの運否天賦の世界である。

 

運は消費するものだという世界観があるのが普通かもしれないが、僕としては運って回すものなのではという感じ。僕の人生劇場において職場運は昇格しまくりで今の職場は溜めるのに良い場所だし、運試しで当たるということも、ここから不運があるという解釈はなく、恣意的でなければ選んだ道が正解で良さそうだなというおみくじ感。

 

遊びが娯楽という意味での消費ではないという世界観にも調律されてきているし。

 

人が消費していると認識できるのは時間と貨幣。

これはそもそも遊ばなくても使われているのに、何かなるべく有意に使わねばという固定観念がある。この流れ自体には意味はなく、意味に囚われている人は意味を問い直した方が良いような。

 

運と言えば、安部公房さんの「笑う月」に挟まれていた新潮文庫の今月の新刊のしおりのレア性。柳田邦男が新刊だし、皆顔写真を載せている。交換価値はないが、僕はこれを眺められる僕の場所取りは素晴らしいと思う次第。選ぼうとしても選べない事象の方が面白くないか。

 

今日の爆発より希少。

 

読んだら運が良くなる日記ですわ。

(てきとー)

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。