寝たり歩いたり。昨日の雨は紫陽花の花の栄養になった模様。元気に開いている。日本の古文の笑いの表現は開くということで、花のように笑うとかなんとか。ベルグソンさん流の嘲笑も開くことだが、日本の表現の方が好き。個人的にはいつも閉じながら笑っている人より、通常形態では不愛想な人が時々開いて笑う姿態のほうがお好み。
笑いとか感動というのは、やるせなさにある。岡田さんがロードラマとハイドラマを語っていて、前者は24時間テレビとか世界の中心で愛を叫ぶとか君の名はみたいなことで、後者はETとかターミネーターとからしい。感情を誘導していくか、鑑賞者の気持ちの動きがどうなるかを投げっぱなしにできるのか。予測と外して何かを波打たせる作品は凄い。
さておき。
アニメが捗っているのはとくに怠けている訳でもない。いや、社会的には怠けているのだが、社会的なところで生きていないからこそ、頭が働くというか。いやいや、仕事している時分でもだいたい余計なことばかり読んで考えていたから、通常営業ではある。
満月さんイチオシのスケットダンス。シュールな笑いみたいな感じで好きなのだろうな。あんまり読んだことはないが、主人公の出自があまりに悲惨すぎて共感されないようにあえて描いているのかもしれない。喜劇と悲劇の落差が凄い。バランスが絶妙なのだろうな。
あと、虚構推理が個人的にスキ。おそらくラノベ由来の怪奇SF。ヒロインのフォルムが良きというのは怒られそうだが、そうでもなく、物語の構造というか、合理的虚構が面白い。事実とは矛盾がない説明があれば依頼者は納得するというやつ。僕も前職でよくやっていた。正しさを追求すれば無駄に時間がかかるから、正しいかどうかはともかくとして相手の不安を解消する合理的説明で答えを回避する。真実なんて知る由もないし、説明が付けば問題ない人は多い。真実が不安を解消できるかどうかなんて分からないし、だいたいは辻褄が合っていれば安心する人が多い。
別にカウンセラーでもないけども、クレームで他責にする人はそういうのが多い。納得できれば虚構でも問題ない。
そもそも虚構と現実の違いってなんだろうという話。
合理的な説明って考えれば考えるほど否定に寄る。岡田さんが言っていたのだが、人はネガティブが通常で、ポジティブな奴は酔っぱらっているからだという話。たしかに。真面目に合理を考えればネガティブばかりになる。
このネガティブの合理って無駄だな想うのだが、現実を考えようとするとそうなる。まぁ脳(無意識)としては、そういうネガティブ要素を意識することで生存率を上げようとしているような。物理的な生存率というより、アイデンティティてきな存在律のよう気がしないでもない。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。