歩み

 

 

22:38から。

 

 

楽しんだ一日。

 

文章脳に切り替わらなくて文字数が心配。

方向性が定まらないし。

 

日記的日記は省く。

 

この年末年始で、おそらく5,6年振りに知り合いに会う。

どんな話ができるだろうという期待と、どこまで話せるのだろうという可能性と。

 

対話で世界が決まるという本の話を書いたと思うが、僕は結構この世界を地で生きている。相手によって話すことが変わる。本日母親と少しだけ通話したのだが、別に本心では感じていない、「仕事がしんどい」なんてフレーズを出していた。いや、本心でないことなんて発話できないから要素ではあるのだが、面白いことを話すよりも暗い部分を話した方が伝わるのだろうなという無意識の判断によるものだと思われる。

 

世界は辛いものだという世界観の人に、毎日ちゃらんぽらんした気分で生きているなんていっても通じない。ちゃらんぽらんだとしてもそれなりに考えてはいるのだが、考えている層が現実とはちょっとずれているから、あまり対話ができないだろうなとしている模様。

 

この友人はどうだろう。

 

全開で楽しんでいる様で行って良いのか、老化の入り口に入っている悲壮感で行けば良いのか。個人的には老化は気にしなくて良いと思っている。老化を気にするより、自分の身体の調子を気にしたら良い。例えば、体がアルコール無理ですって申請してきたら、精神が求めていても辞めると思われる。昔と酒量変わらないけれど、むしろ昔の方が無理して飲んでいたような気がする。

 

精神が楽しめないような飲み方はしない方が良い。

ストレス解消の為に飲むなんて、結構最低の飲み方だと思う。いやこの飲み方を否定する訳ではないけれど、そんな飲み方をすれば無理がいずれ出るだろうなと思うだけ。楽しく飲める範囲であれば一般的な既定量以上呑んでも大丈夫って現代医学に対する真っ向な反抗だけど、一応まだ定期健診で変な数値が出ていないから気にしない。

 

老化は気もしていないけれど、あえて老化を促進させるつもりもない。

某メンタリストさんの動画だと、化学的に、満腹まで食べることとか、砂糖が多い食べ物とかが老化を促進させるらしい。たしかに、僕が1人生活しているとき、どちらもしなかった。アンチエイジングとしては食物繊維をいっぱい食べることらしい。たしかにここも毎日草食べていたし、なんとなく適っていたらしい。単に体と対話しながら生きているだけだが、精神が身体と調和していない人って結構多いような。

 

 

 

やれやれ。

 

ちょっと今日たまたま見つけた記事への思索を書いておきたい。

 

本日満月さんとまったりかまいたちのリレー料理の番組を見つつ、宅建業法の条文を素読しながらnoteを見ていたら出て来た記事。

 

自己紹介だと、民法と犬を愛する人

 

そんで、取得時効の話が書かれていた。

 

取得時効の話を1から書くと面倒だからざっくり書くと、他人の所有物を自己の物だと占有する期間が10年だか20年だかすると、自己の所有物になるよという制度。

 

この時点で変な感じがするのだが、物って人間が存在しないとあるがままで機能は要らないのだが、人間世界になると使ってなんぼになるから、使わないのであれば所有者が移転した方が良いという世界観があるのだと思われる。占有ってそういう制度。

 

んで、善意無過失だと10年で移転できる。とかあるのだが、ともかく。

 

また別途、占有期間において前者の期間を承継できるという制度があって、承継することも選択できるのだが、前者を引き継ぐことを選択した場合、前者が最初に占有した時の状況を引き継ぐから、前者が悪意有過失だったら、当人が善意無過失だったとしてもトータルで20年の経過が要ることになる。

 

この辺が歪な感じがするのは、もともと民法が自然界から離れた概念の世界だからということだと思っているのだが、ここを自然と捉えられる人も居るかもしれない。

 

その記事に出て来ていた質問は、前者が悪意有過失で5年占有した後に、当人が善意無過失で5年経過した際に取得時効ができない意味が分かりませんで、書いている人は条文に沿って、こういうルールだから時効によって取得できませんと答えていた。

 

法律相談としては問いに答えているとも思えるけども、これだとそのルールがある意味に応えていないと想ってしまう。

 

僕もよく分かっていないのだが、どういう状況で占有を取得したかという外形によって価値が変わるということなのだろうなと思索はできる。要は、実際の所有者というか社会的な視点において、占有が取得される経緯に落ち度がないかによって取得時効の期間が変わるという制度にしている以上、次の占有者の態様は1からにするか、引き継ぐとしたら前占有者の状況とセットよねって。

 

個人的には民法の物権と家族法の分野は意味分からんと想っているのだが、便宜的にそうすることによって、人間世界が円滑になるという意味で存在しているのだろうなという感じ。

 

この話、たぶん僕の文章を読んでいるだろう層(満月さんも含め)に一切通じないに違いない。法律畑の人はきっと僕の文章なぞ読まない。読む価値ないだろうし。

 

 

ただ、僕は別に自分の問いに答えてくれるとか、自分にとって心地良い答えが返ってくるなんてことは求めておらず、世界がより楽しくなれば面白いというくらいでしかない。

 

世界観なんて一生決まらなくても良いような感じ。

 

こんなの一生不安だが、不安は絶望ではないし、物理的に退場するまでには至らない。

 

突発的に退場させられるかどうかまではカバーできないけども、隕石が落ちて来て昇天するようなことが無い限り、まだまだ更新していくしかない。

 

生きることがしんどいという感覚は素には全然無い。しんどいポーズをしていかないといけないというか、コントロールできない領域が増えるお仕事世界はしんどいのはたしか。でも、仕事でも更新しているから、ただ時間が搾取されているという感覚はない。

 

本日の日記は満月さんに面白くなかったと言われそう。

これもあんまり知ったことではない。仲良いから問題ないし。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。