時空

 

 

 

 

21:45から。

 

本日はお風呂読書なし。お風呂時間の枠で面白いことがあったので問題ない。

 

 

まずはお仕事。

 

せっかく作っていただいたおにぎりとコンソメスープを食べるタイミングが無くて、18時くらいにやっとかきこんだ。

 

店舗全体が忙しい中、久々の1成果。

店舗でもやったことがある人が居なさそうなフローになるから、なかなか不安だが、過ぎ去る不安はなんてことない。僕のはなかなか残像が残るのだが、それでも結局残像でしかない。

 

自分が入ったおかげとしておこう、何故か成長率がエリアで1位になっているらしい。

満月さんが別事を話したとき、硯が福の神みたいになっているのではないかと言っていたから、そういうことにしておく。

 

特に何か形があることをしている訳ではないので、何の自信にもならない。

ただ、そういうものなのか、だったらこのままで良いなとなるだけ。

 

先輩女子の調子が良くて野心が出てきているもの、今まで眠っていたのが開花されてきたのかもしれない。僕はちっとも羨ましさは感じないのだが、あれくらい仕事できるようになったら面白いだろうなぁとは思う。

 

ばたばたしている中、お母様から連絡が入っていた。

満月さんのコートができあがったから持って行くとのことで、どれくらいで家に帰るのかと。

 

本人居ないけどなぁとか、満月さんには遠くて行けないと言っていたような気がして、どういう心の風向きだろうと思いつつ、20時半くらいには着くと思いますと帰す。

 

仕事の帰り際に、満月さんのご両親が来ているのですぐ帰りますと言うと、店長が「そろそろかー(意味深)」みたいなことを言っていた。なんのプレッシャーも感じない。

 

責任はたしかに付与されるけども、それがメインで一緒になるって詰まらない。

一緒に居て楽しいから社会的に一緒になるために関係に名前が付くようにするというのがメインであって、ついでの残りに責任が付いてくるくらいだという認識。

 

責任がないと深く関係できないと考えている人が居るとすれば、それは嘘だとしたい。

責任があれば関係が続くという継続に対する保証はある程度あるけれど、それが深いとか近いとかの内容までは担保できない。

 

てな感じで、急いで自転車を漕いでジョリーパスタに合流。

満月さんと良く行くお店に、満月さん以外の満月さん一家がと居るという不思議な光景。

 

何のプレッシャーもない。「彼女の家族と彼女抜きでご飯を食べるシーン」って端から見るとなかなか大変な局面だと思われるが、良い彼氏を演じるつもりもないし、僕のキャラはバレているからそのままで良い。適度にビールで弄られつつ、お父様と少し仕事の話をして、お母様と米騒動(我が母親もお母様もお米をここに送りたがり)の調整をしつつ、弟勇者氏とお母様の衝突をお父様と生暖かい微笑で眺めつつ。

 

コートとお米とカートンと満月さんの夜ご飯用のお持ち帰りをいただいて、玄関先でバイバイしてさよならをした。お母様が「またおいで」と言ってくれたからまた遊びに行こう。

 

お持ち帰りのラインナップは弟勇者氏と選んだのだが、もし満月さんがこれじゃないって言ってきたら、勇者が選んだって言えば良いよって気遣ってくれた。まぁ大丈夫なメニューしかないのがジョリーパスタだし、満月さんは別にこれじゃないとか言わない人という認識なのだが、なんか優しい人だなとは思った。

 

この家族って端の僕から見ると、まぁまぁかみ合っていない気がする。頻繁にぴりぴりした感じが起こるし。ただ、我が家族だって別に噛み合ってないとは思う。無理に噛み合わせて装っていたことによって結局離散的になってしまったし。

 

ということは、このご家族、家族全体で個々の噛み合わせの悪さが許容されていて、それによって離散的にならないようになっているということなのかもしれない。各々気に入らない部分はあるとしても、全体として家族。

 

ある意味理想的な繋がりなのかもしれない。

これを例えばお母様に言ったら、何か悪い部分が羅列されそうだが、でもなんだかんだ繋がっているということは、結果的にそういうことですよねとなる。

 

別に、この家族が羨ましいのかというと、全然そんなことはない。

もうやや足を踏み入れているということとは別に、我が家族がそうならなくても仕方ない。楔になれたのはきっと僕だけで、拙さなのかどうでも良かったのかともかく、あんまり気にならない。

 

案外3年後とかには我が家族も集合できているかもしれない。

僕次第で。

 

個人的には、また姉と妹と3人で飲めたら楽しいだろうなと思っている。お互いこれまでどうしていて、これからどうなっていくかみたいことを家族とはどうあるべきから外でのほほんと話す感じ。

 

そろそろ最後か。

 

呟きの範疇と本人は言っていたが、満月さんが独りでメールに下書きした詩を読ませてもらった。そうやって言葉が漏れだすということは何かつっかえが取れたということで良いこと。

 

しかし、ぶっちゃけ僕は詩の読み味が未だに分からないから、美味しいかどうかすら判別できるところまで至っていない。

 

本日のお客様がエンジニアで、一意にならないことが気になると仰っていて、こちらの方がちょっと分かる。法律学も言葉の定義を解釈でなるべく一意にしていくものだし、拡がりがあると人の行動を指示できない(刑法)し、どういう契約になっているのかが把握できない(民法)。

 

社会的な語用において色んな解釈が取れる言葉を扱うと、曖昧になって芯が読めなくなる。

 

 

ただ、言葉の可能性として絞るより拡げる方が機能として適っている。

拡げたところで限界がある訳で、限界に挑戦するのが詩人なのかという想像。

 

下手したら自分の世界の叙述にしかならないような世界に誰かが入って来られるような詩的世界を構築するってなかなか職人芸というか、ある意味学問の一種なのかもしれない。

 

まぁ、数字とか記号ならともかく、言葉を扱う以上、一意な解釈なんて絶対無いとも言える訳で、当たり前も無い。

 

言葉が一意になるのは、言葉以外の諸々の背景込みの時だけ。

 

なんやよく分からない締めだがここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。