専用

 

何度寝かしつつ、スキを付けつつ夢をみる。夢は外の物音から他人(男)が部屋に侵入(ベランダの柵って蹴破れるよね)してきてさらに布団に侵入される。気が付いたら原っぱで何故か子供達がわらわらしている。集合しなくて良いから解散しなさいと言ったとたんに何かの音楽が流れだし、もじゃもじゃつの体操を踊り出す。僕は踊らずに何処かに歩いて行くのだけど、小さめの風景写真のパネル一枚一枚に花を一輪ずつ供えている人が居た。

 

なんだか良いなと思ったら、あれみたいだ。〇月の部屋の供養、埋葬、追悼、奉納、なんだっけ。供養で合っているのか。まだどこかではやっているのだろうか。見た当時は何がなにやらだったけど、過去といういつかを成仏させていくという考え方もとても素敵。僕は全部生かしていきたい質だから方向性は違うけど、方向性が違うから許容できないとはならない。

 

さておき。

 

からくりサーカスの次は呪いのアニメを見ている。原作とアニメの1話1話の区切りが同じでテンポが良い。内容ではなく名前の話なのだけど、僕はずっとこれを「じゅつかいせんせん」という音で把握していた。雑談で話すときと違っていたら困るなと思い確認すると、やはり違った。むかしの忍者漫画の目を「しゃがりん」だと把握していたことも思うと、名前を軽視してしまう観はとてもある。仕事では逆に人の名前はとても大事だから勝手に把握しているけど。これでいうと、名前を知っているかどうかって眼差されの領域よな。知識的な固有名詞を間違えたらマウントを取る人とか。

 

いや、眼差しの領域でも大事な名前もある。同じ音だけどあだ名とか。酔っぱらいの思い付きだったけど、これは僕だけの呼び名なので大事にしよう。(逆からするとネーミングのタネだったのかも

 

そういえば、眼差しの概念ってどの学問が発端なのだろう。好きな人とか演劇界隈の人が使うということは、芸術学なのだろうか。ルネサンスの美術の写実主義とか? 客観的にどう見えるか=眼差されるかという概念だと僕のとはちょっと違うのだけど。これだと自分の表現は絶対的であって、相対的な視点という意味合いになる。自分の意図と人の視点がどれだけ近くて遠いのかという指標。演出家の人が考えているのはこの辺りにありそうだと当たりを付けてみて。でも、こういう人が表現者たりうるのだろうなという感じもする。表現=自己存在という矜持。

 

僕がいう眼差しとしての存在はもっと現象的というか、脳科学的というか、素朴なもの。眼差しって、語義では眼が差す方向、何に目を向けるかということだと思う。で、何に目が向かうかというのは、客観的な世界によると思われているのだけど、この、「何に焦点があたるか」ということ自体が、当人が生きてきた結果だということ。その視界は全然客観ではない訳。

 

こういう個別的な意味で眼差しと使っている。でもマイノリティを掬うならちょっと違うのかな。分からん、主催者の方はあまり観ていないため。

 

そういえば、昨日の日記にも目を顰めた。書くって言葉が爆散した中で、全部書くことなんてできないから、どれが中心かを探して削る決断みたいなところがある。書きすぎて余計に分かりにくかった。でも、別に何を書きたいかという目的みたいなものはない。これこれについて書くという限定はあるけど、最終的にどういう結論になるかみたいな方向性はないからだいたいまかせている。

 

僕は表現者にはなれないだろうなと思ったのが今日のはじめ。自分と文字化された結果に自分との繋がりをそんなに感じられない。たぶんめちゃくちゃまずかったですって言われてもなにくそ、僕の表現は面白く眼差さされるに違いないとかはなく、それは時間を無駄にさせてごめんなさいなとなる。まぁ読んだのは貴方の意思でしょうとは内心思っているだろうけど。

 

でも、書きたいことがないのに言葉を削るって何も書かなきゃ良いじゃんって自分でも思う訳で、綺麗な文章を書いてみたい欲求みたいなものはあるのだろう。いつか貴方は方程式みたいな文章を書くと思うみたいなことを言われた記録(夢かもしれない)。

 

たしかに、僕は言葉に対して正直であるようには試んでいるけど、真面目に書いているときは正直であるより、肝心でありたい感じではある。ストックした語彙の中で何が適切かの取捨選択。無駄な指示語とか接続詞遣いたくないし。翻ってみると、表現者にはなれないけど表現者はこういうことをやっているのではという印象はなくもない。自分が書いている文章の単語の全部にちゃんと意図があるみたいな。表層まで上ってきてはいないとしても聞かれたらちゃんと答えられるくらいには。

 

結局えいやーだとも思うが。結論ありきでこういう風に情報を持って行こうとするのはとても楽。僕には苦だけど。

 

好きな人の変人具合を語りたい。

けど、独り占めしたいところでもあるな。

 

好きな人は対僕の言葉を見せてはくれなくなったけど、これが逆に良かったりする。

2人占めで良いか。

 

 

こんな感じで、もっと広い世界から眼差されるような領域で書いて見たら楽しいというかより自分が見つかるかもしれんなと思っている次第。当たり前はないから、公募用にもう1個書いても良いし、もっと創作に寄ってみてもいいな。

 

では、おやすみなさい。

 

おしまい。