当たり前なんてない

 

 

お風呂から出てフライパンを洗おうとすると、また水の出が悪い。ハンドルを開いてくれた業者さんが閉めたはずの扉が半開きになっている。明らかに人為的な因果がある模様。もはやサプライズではないから特に何も思わない。お風呂も出たところだし、明日業者さんに電話しておけば帰る頃には開いている。

 

とはいえ、動機というか、なんの為にしているのかが不明。イタズラしてもピンポント過ぎるし、それをすることの効果がきちんと把握されているのか。せめてバレないようにちゃんと扉くらい閉めようか。個人的には間違った認識の下(例えば水道代の節約とか)、でやっているのではないかという解釈。同じ階には時折(おそらく)1人で怒鳴っている人も居るし。

 

まぁ下の階の被害が出る前に事態が防げたことは良かった。

気付かず洗濯機回して居たらどうしようもない。

 

僕の解釈が因果的に正しいとしたら、こんなの僕が水を節制して防げる事態ではない。管理会社がダミーでも良いから監視カメラを付けるとか、なんなら警察案件。犯罪に当たる行為なのかというと、思い当たる類型はないけども。

 

 

ちょっとスピリチュアル系によって居たのでちょうど良い。

今日は法律談義を書くか。

 

というのも本日微睡んでいる時に、何か文章構成しているなと思ったら、法律の資格試験の論証パートを頭の中で打っていた。論証って法律学以外にも使うのかは知らない。一般的にはほとんど使われていないはず。法律学でいうところの論証って、定義は難しいのだが、条文の言葉のからその法の目的をしん酌して、事実にあてはめられるように意味を確定するという作業。オリジナルで作るなんてもってのほかで、だいたいは判例とか学説の中で有力なものをトレースするという感じ。暗記項目と言っても良い。

 

ただ、離れて見ると、社会知の結晶だから面白いかもしれない。強姦(今は強制性交等)とか窃盗とかの社会的な共通イメージを言語として起こすのってなかなかの苦肉の策である。例えば窃盗って、人の物を盗るというイメージだが、人の物とはなんぞやという財物を定義しないといけない。たぶん経済学でいう希少性と利用価値と交換価値を流用しながら、主観的に大事な物も保護しましょうとなっている。

 

もっとややこしいのが「人のを盗る」というところで、「人の」というのは所有権を前提にしながら、所有権って不動産だったらまだしも動産(財布とかスマホとか)はかなり微妙。手に持って居たら所有しているのかという概念では足りない(盗んできた物を持っていたら所有なのか)から、占有という事実上の支配の概念を追加せざるを得なくなる。

 

占有が事実上としているのは物理的な握持とするのは適切ではないから。だって、雨の中コンビニに行ったとき、傘置きに置いた手から離れた傘が自分の物ではなくなるはずがない。事実に解釈が含まれている。占有が認定されるかどうかは事実と意思が混在していて、占有があるかどうかは微妙な認定になる。自分の物という認識があるのかどうかは何処にあるか分からないけども自分の部屋にあるということが分かっているという事態と、酔っぱらってどこに置き忘れたか分からない傘では随分違う。

 

この占有があるかどうかは、外から見ればどうでも良いとなりそうだが、刑法学上は犯罪類型が分かれるからとても大事。満月さんからの質問で、高速道路の自動精算上で忘れられたおつりを取ったら何罪になるかと問われて、かなり微妙な話。

 

金銭は占有と所有が一致する(個性がないから)という哲学的問題は置いておいても、高速道路って忘れたことに気付いたとしても早々に引き返せないし、引き返したり照会したりする労力を鑑みて、まぁ良いかとなる場合もありそう。こうなってくると人の占有から離れた物を領得する類型の占有離脱物横領罪が成立する訳だが、これってほとんど立件されないような気もする。ゴミ捨て場に捨てられた家電をリサイクルして使うのと社会的な意味としてどう違うのだろう。

 

犯罪であることと、立件されないからやっても大丈夫というのは別次元。行為規範の本質はそれをしない方が社会的な利益を保護できるということであって、刑罰に処せられるからやらないという意味ではない。捕まるから止めるという価値観は刑法の勝利だが、人間的には敗北なような気もする。

 

 

という感じで、本日の我が家の水の出を悪くする行為をする人がほんとうに居たとしたらどうなるか。たぶん刑法が護ろうとしている社会的な利益をぎりぎりで守る網から抜ける。ただ、これは民法上の不法行為には入りそう。

 

法的に悪いとされている(法は善悪を判断していないのだが、刑罰とか損害賠償が悪としがち)ことをいっしょくたに非難できるとすることってなかなか怖い社会。量刑が慣例に依らざるを得ないのって、非難できるとなったらどこまでも残虐に人に石を投げることができるという人の性質を歯止めする智慧なのだろうな。不倫は犯罪ではないのに、なかなか石を投げることに熱量が高い人達。僕は恋人さんが居るという状況で浮気したことないからまっとう寄りではあるけど、他人の交際事情を熱々に眺めることが分からない。そういえば、僕が浮気気質の知人と交友していたから、僕も浮気するのではないかって思われたことがあったな。かつての恋人さん。

 

たしかに、交友関係と当人の価値観が一致するというのは統計的には多そう。

 

 

脱線した。

 

いや、民法上の不法行為論談義をこれから書くのは大変。

要は、僕の賃借人としての権利の中に、通常の用途で水道を使えることは当然含まれていて、この権利を第三者がハンドルを閉めることによって害しているのであれば、余計にネカフェとか銭湯にいった労力を金銭に換算して賠償請求して良いよなって。裁判にするのがめんどうだからしないし、憲法が保障してくれちている移動の自由があるから、こんな生活圏から離脱する方が早い。

 

憲法談義が一番好きかも。

スケールが大きいし哲学にも係って来る。

 

やれやれ。

 

本日はたまたま法律寄りの事象が起こったから書いてみたが、たぶん読んでいる人には通じない。無料法律相談みたいなこともやったことはあったな。お金は取らないし最終的にはその領域で生きている専門家に相談してしかるべき舞台へということに向ける。

 

僕のこの知識は専門家として使うことではなく、社会とはなんぞやという思索の用だったらしい。たぶん現実的に遣おうとすればもっと活用できそう。僕をほんとに怒らす案件があれば、徹底的にやるかもしれない。

 

自分の暗部はずっとこういう意味で若干恐ろしかったが、まぁぽえーぽえーとしているだけだから大丈夫。

 

何を言っているか分からないって昨日の通話で満月さんに言われたとき、そういえば、だから僕は自分の言葉で語ることを辞めたのだろうな。日本語として成り立って居ないのではなくて、脈絡として通じないということがままあって、相手の脈絡に合わせて話すという所作でホコリを被っていた。

 

言葉をどう扱うかって、世界とは無関係にしている人がマジョリティ。きっと言葉を綴る層でもあんまり変わらない。僕のいまの世界観だと、考え方(言語)が世界を既定しているのだなと思ってきている。雑草の美しさとか誰かに言ったところで誰にも通じない。少なくとも僕が生きてきた生活圏では。

 

 

満月さんが、「硯さんは淋しそうだったから、私は貴方を淋しくさせない」という言葉に救われた。歴代の恋人さんを大事にしているのにそれが伝わらなかった感じがあるって。たしかにそれはそう。これは僕が間違っていて、ほんとは相手の脈絡(世界観)の中で生きるべきではなかった。僕の脈絡は日記を読んでいる人なら分かるはずで滅裂なのだが、他者のことは一貫して尊重はしているはず。

 

尊重の定義って、相手の世界をそのものとして取り込まれることではないし、取り込むことでもない。同じことより違うことを許容できるかが問題な気がする。

 

 

僕は違うところはサプライズ的に楽しみにできる奴だが、同じところがないと安心できない人とは合わない気もする。満月さんは脈絡的にほとんど一致しているところはなさげ。いや、研究者傾向とか、社会の場において逆張りしたりブレたりする無意味に対する冷めた目は一致しているが、対象はずれている。

 

この人の良いところは、世界観を共有することを強いないところ。

ミスチルライブは楽しそう。

 

はいここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。