不文律

 

ビニール傘の裏から眺める、広がっていく結晶は、

着くころには、みぞれに変わっている。

 

先生は少し積もるとワクワクするらしい。同感。

夜の間にこの量が降って居たら大変だったろうな、日中は形を維持する気温ではなかったため事なきを得た模様。

 

仕事ができると見ている新人さんが、案件を女性上司に回すときに、「お昼休み大丈夫ですか」という聞いて、やっぱりこの人凄いなと思う。この上司のお昼休みのタイミングはシフト通りではないし、新人さんは先生が引率しているから関わりもほとんどないのに。気遣いができるとかではなく、すげぇ見えているなという話。

 

有能だけど子供の関係できちんとシフト勤務できないからという理由だけで、他の人よりやや冷遇されるというのはなんとも世知辛い。もちろん場を維持できる人が優遇されるというのも分かる。長く居られるというのはそれだけで経済的価値があるだろうし。

 

ただ、少し考えると、この長期間って、ステップアップする可能性に対する投資でもあって、ただ場を保つことって場当たり的な対応でしかないよな。お客さんのように先生に聞いている新人さんを見て、何かの不均衡を感じる。これは先生の時間を奪っているという意味ではなく、具体的な仕事を解決する以上の当人が気になることを聞いているということ。耳で聞いた知識を仕事に生かせるのであればどんどん聞いてステップアップしていけば良いけども。

 

この不均衡ってどうにかならないのだろうか。

そういえば、INFPって理想に囚われがちとのこと。判定された気がするが、僕はあんまり理想を追うみたいなことはないかもしれない。ここも自称できる人ではなくきちんとできる人が単位時間換算されずに評価されればいいし、場を保つ人ってそれはそれで大事だから評価は別枠で行われるべきよなというだけ。

 

でも、こんなこまごまな判定を自分の仕事もこなしている上司がするのは現実的ではない。だから、客観的に判別できる仕事に費やせる時間で判断するしかないというのも分かる。判定をAIに投げたら監視されているとかになるのだろうか。

 

 

本日は思索がもごもごしていて言語化が大変。僕は自分がどういう類型かみたいなことは気にしてない。牡羊座のAB型は最初の類型で、なんとなくは傾向として宿っているかもしれないが、HSPもINFPも最近の類型だから、そこに寄る必要もない。ただ、昔知人に「お前のような考え方は『中庸』と呼ぶのだろうな」という言があったから、仲介者気質なのかもしれない。中庸は別に何でも良いみたいなことではなく、それもある、あれもあるをまるっと取り入れて、不安定なバランスを保つということ。ついでに新たな発見がある。中庸という言葉を発明した人の原文はまだ読んでいないから概念がずれているのかもしれない。でも、中庸の概念が頭の中にきちんとある現代人ってどれくらいいるのだろう。

 

日本語が読めるのは、日本語を習得しているから。ただ、文字の意味を追うことができることと、それを味わえることは全然違う。

 

テクスト空間の把握と、言葉を味覚として感じることは繋がっていそう。別に僕は共感覚者ではない。この単語が甘いとかではなく、テクストがどういう空間を構築しようとしているかということを味わうという話。

 

雑談が言葉の意味を度外視して回っていくのは、同じ空間に居るから。

文章もそう。自分の語彙空間の世界が合いそうな人とは親和性がある。共時性でも良いのか。

 

タイミング的な空間は体としては1意だし。

 

ふと、貴方はどうしたいのかが聞きたいのだと最も長く過ごした恋人さん(きっと2番目になるだろうな)に問われたことを思い出した。この時には言語化できなかったが、相手との関係の空間の中の話で、度外視した自分の欲求があるっておかしくないか。遠慮とかではなく、天秤に載せることができるのが関係であって、それが関係劇場だと思うから、ほんとにしたいことは相関でしかなくないか。

 

まぁ、関係の前にある欲求を互いに提示して議論してより良い方策を探るというのはワンチャンありきだが、僕はそこまで関係にある人を無関係の人とは捉えられない。

 

そういえば、類型評価で一番残っているのは、「頭でっかち」という言葉。僕がちれっと自分の中にある思考を開示したときに出てきて、なるほど、そういう風に生きれば良いのかと採り入れてみて大失敗した。行動を阻害する理由として誤解されていただけで、当人、思索と行動は分けている。

 

言い訳をするために考えてないのに、開示すると言い訳っぽくなるから止めた。

先生は言い訳する方が良いって言っていた。要は、言葉現実的な自己を繕うために遣われるものではないということ。

 

説明しようとすればする語彙はあるけども、説明に特に意味はないよなというところで生きることにした。満月さんは僕の言葉が拙いことにやきもきしているかもしれないが、違うところで安心されている。

 

もう1つ思い出した。

僕は今までの人生で冷静に怒ったことはおそらく1回しかない。普段ろれつが拙いのに怒った時は無茶苦茶口が回っていたらしい。あんまり覚えていないのだが、我ながらありえそう。

 

もう怒りたくないからそんなことは起こらない。

 

 

やれやれ。

 

明日は引きこもりか始発か。

何かまとまった考えを退屈の中で整理するのか、動いてしまうのか。

 

満月さんの体に逢いに行くのと、満月さんの修士論文を味わう、どちらも捨てがたい。

どちらにせよ発見があるだろうし。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢とナイトキャップを。