ふえふえ

 

 

オダギリジョーと同じ位置にあごの黒子があるらしい。ついでアルパ顔の系統も同じとか。系統が同じだからと言って整いの程度も似ているとは限らないが。恋は盲目と言うし。

 

 

ここ2日ろくに本を読んでいないし文章も書いていない。まぁ人生劇場を謳歌している。なるほど、これを時間がないというのか。いや、割り振りが雑いだけな気もする。本も書き物もオアシスではない活動領域だから、2日空くとむずむずする。よまなきゃなぁ、かかなきゃなぁという義務の世界ではなく。劇場ってやりがいとか対価があるからするでは足りない。

 

感謝されないと。観測する人が居ないと、モチベーションが落ちるって、正味変な話だと思う。自電車操業的に収支で世界を勘定するのも悪くはないけど、これって需要を越えた供給をしたいときにどうなるのだろう。気持ちというプライスレスだと、返さなくても良いのだなという市場が蔓延りそう。惚れさせた者勝ちの恋愛市場とか。僕はそういう戯れはもう良いかなという感じ。

 

どうでも良い話。

 

テレビ。数年見ない間に芸能人さん達がとても老けている。細身の人は張りがなくなっているが、ギラギラしている人は老けてもギラギラしている。老化より顔つきの刻印の方が顕著なんだろうな。僕も客観的には良い歳気味だが、苦しさの刻印を付けて生きるのは勿体ない感じ。苦労は別に何も返してくれないし、単なる解釈の話。とか言っていると、不幸比べの人がやって来そうだが、不幸を比べたところで不幸だと感じることができる前に入場すらできない人に勝てる術はない。比較的に自分を捉えることは無為でしかない。比べたいのは同じ界隈の劣等だと思うが、そんなことより脳のリソースはしたいことに割くべき。

 

ほんとうにしたいことを見つけることが、ほとんど人生劇場のクエストではある。

結婚だって就職だって、別にしたいからしている訳ではなく轍的にレールに乗らないとってしていることを、自分の意志だと擬制している。それが悪いとかでもない。

 

やれやれ。

 

ここ3日で読んだ本はほとんどないのだが、村上さんの1Q84の冒頭だけ読んだ。ヤナーチェックのシンホニエッタ。村上さんの小説って、文字通りには覚えられないのだが、シーンはきちんと残るよなという感じ。状況描写とかほとんどなくても、そういう人も居るらしいなって思える。良い人とか悪い人とかではなく、その人の性格を類型しなくて単に観測として捉えている。人を観測として捉える器って、どれだけお勉強しても獲得できないと思う。ある意味宗教的な世界。

 

とはいえ、僕は宗教上の信仰を自分に取り入れるつもりはない。救われなくも楽しんでおりますし、苦しさを他責にするのは勿体ないし、安泰を自動操縦にするのも違う。両者それぞれ劇場の醍醐味でしかない。

 

期待という概念がない世界は一寸先が闇になって大変なのか。

 

ほんとはもっとあった気もするが今日はこんな感じで。

 

 

皆さん良き人生劇場でありますように。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。