よしな

 

 

 

平日なのに盛大に遊び惚けている。0時までに書き終わるだろうか。まぁ自分が決めている枠であるだけで、特に何も制限がない。ただ、書くか読む、どちらかをしておかないと何かが冷める気がする。本日のお風呂読書時間は遊びになった。

 

さておき。

 

仕事が終わってご飯を食べているとき、昨日書いていた暗黒時代の話題になって、必要以上にそこの気分に引きずられる。個々のエピソードではなくそのときの気分。色々やっていたが、膜の内側に居て、あまり身動きができない感じ。外から来た規範に従って生きているように見えて、そんなことはなく内側では何か、しゃらくせぇと感じていた。

 

そういえば、僕の寝顔は年相応に老けていて、起きると顔付きが若くなるらしい。退行現象。笑

 

で、僕の20代はだいたい沈んだ顔をしていたから、寝顔と近い。

ほんと、いまと比べたら寝ているような20代。なんだかかんだ方向は誤っていないからやりおる。

 

よし、書いているうちにちょっと戻ってきた。

やはり、書くことは遊びのようなものなのか。自分のナカを見付ける、味わうのは運動。

 

個人的に、人は動くことのが大変というのは嘘で、ほんとは動かない方がエネルギーを使うのではという感じ。この動くは物理的な移動だけではなく、新しいことを仕入れるとか、より良さげな思想に生きるようになるとかも当然含まれる。

 

どうでも良いが、先生の言い回しの「当然」が法律用語におけるそれっぽくて楽しい。法律用語における当然は、他に要件を付加しなくても効果が生じるというという意味だったはず。論理学にもそういう言い回しはあるのだろうか。

 

ともあれ。

 

暗黒時代のエピソードを話していたとき、ふと誰かさんが呟いていた「私には物語がない」というフレーズを想い出した。僕から読めば充分物語的な世界を生きていそうな人だが、それでも物語足りえないのか。

 

まぁ、僕の人生劇場の物語感は我ながらなかなかのものだが。

 

大学院卒業の虚無時代の終わり長く過ごした元恋人さんと最後の逃避行で鳥取に行った帰り鈍行で帰っていたら、ちょうど花火が見えてそこで降りて駆け込みで名も知らぬ海岸で風物詩を眺めるとか。ついでにそのあと金欠過ぎてガストで始発までうとうとするという。

 

僕が創作にいまのところ興味が向かない(なにやらビジョンはありそうだが)のは、おそらく人生劇場が物語味で楽しいから、自分の中からあえて創作で遊ぶという感覚がなかった。もちろん創造者へのハードルの高さもあるにしろ。

 

事実は小説よりも奇なりというフレーズがあるように、結局のところ、人生劇場の日常の中にアンテナというか、楽しみのようなもの味わえるかどうか。

 

僕の日常譚は特に演出していることもないのだが、楽しそうに生きているように読めるとは思うし、共時性も特にインパクトがあるようなところまでハードルを上げていない。本界隈だと爆上がりだし、場も徐々に上がってきている。

 

特に予感みたいな保留がなくても世界が良くなっている。

この良いは幸福でもない。だって、僕はきっとずっと幸福だった。そうではなく楽しさという意味。

 

あんまりこういうこと書くと言い聞かせているように聞こえなくもないから、あえて現実ではこういうことは話さない。不幸が蜜の味だとしたら他人の幸福は当人の舌次第だし。

 

院時代は時間に追われて資料を読んだりレポートを書いたりしていて、なかなか勉強していた感はあるのだが、今の方がよほど学んでいる。

 

教えられたことはほとんど残らない。自発的に学んだ(動かした)ことは還元される。

 

いやはや、忙しなさでは何もよって来ないよな。

 

本日あんまり文字数書けていないが、それでも自分を責めることはない。

したいようにすればよしなになる。

 

そんな感じでおしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。